ベッドの上で上半身だけを起こしている少女の黒い瞳は窓から差し込む日の光りでキラキラと輝いている。
そんな姿を見ていると、まぁ仕方ないかと思ってしまうのだから不思議だ。
その子どもとも見て取れる容姿のせいなのか余りキツい事を言えない。少女が気落ちすると何故か此方が罪悪感を覚えてしまうくらいだ。
「フェミリアは何か言っていたか?」
見たところ顔色も随分良くなっているし、先ほど話を聞いた時も本人は問題ないと言ってはいたが本職の話も聞いておかねば。
そう思い問いかけてみると少女は困った顔をした。
「まだ薬が残っているので体が怠かったり、頭がボーッとするのは仕方がないそうですが……あの、フェミリアさんはお医者さん、なんですよね…?体調が良くなったら採血をさせて欲しいって言われたんですけど…。」
…何が分かってるだ、あの女。それは完全にモルモット扱いではないか。
思わずもういなくなったフェミリアに睥睨してしまった。
少女は偶然巻き込んでしまった一般人で、確かに協力を得れば麻酔弾をもっと安全に扱う事が出来るようになるだろう。
だが、そのために少女をモルモットのように彼是と採血や実験に付き合わせるのは国民を守る者として好ましくない。
「本当はお手伝いしたいのですが、注射が苦手で…。採血用の注射針は普通のものより太いので怖くて…お断りしてしまったんです。」
「それで構わない。君の体は君の物だ。アレルギー保持者は確かに珍しいが、だからと言って無理に協力したり、何かを提供する必要は無い。」
注射が苦手、という少女の言葉に小さく笑ってしまった。
やはり子どもっぽい。勿論それを悪い事とは思ってはいない。
少女は控えめで礼儀正しく実年齢よりも落ち着いている。その反面まだ大人になり切れていない部分が目立っているがその程度は愛嬌だ。
見た目も中身も少女らしい。
己の言葉に「そうでしょうか…?」と困惑と不安を滲ませた表情で首を傾げる少女を見て、話を変えてやるために口を開く。
「そうだ。体調が良いのなら、少し外の空気に当たりに行くか?」
「え、良いんですか?」
驚いた様子で少し身を乗り出してくる少女に頷き返す。
ただし体に負担をかけないよう車椅子で出る旨を伝えれば、悩むような仕草をした。
車椅子は少々大袈裟だっただろうか?
あまりにも真剣な表情で考える少女にエリスは声をかけ直す。
「無理をしなければ自力でも構わないが。」
「! 自分で歩きますっ。車椅子はちょっと、恥ずかしいと言うか…。」
車椅子が恥ずかしい、とは変わった感覚だ。
安静にしていなければならないのだから、車椅子の移動くらい別段おかしな事ではないと思うが。
ベッドから下りる少女の足元に専用の履物を置いてやれば、律儀に礼を述べられる。
病室を出て、扉脇の壁にあるパネルに触れて【外出中】の文字を出しておく。
ジッと見つめてくる少女に長く病室を空ける場合はこうしておくように伝えつつ、ゆっくりと歩き出した。
歩幅に合わせると随分のんびり歩く事になるが、予想の範囲内である。
隣では履物をペタペタと鳴らしながらキョロキョロと見回している少女。
前方への注意が疎かになって、人にぶつからないか気になってしまう。
……なかなかに目を離せられない。
小柄だが歩く度に周囲へ向けられる瞳には好奇心が色濃く滲んでいる。
特に聞いてくる事はなかったが見知らぬ物を目にすると、何やら考えているようだった。
通常の病院とは違い至る所に最新機器が設置され、武器を手にした警察や軍人とも擦れ違う。
その度に少女は振り返っては溜め息とも感嘆ともつかない声を漏らした。
外へ出ようと言ったものの少女にとっては棟内だけでも十分な様子である。
色々と見て回りたいらしく、時折早くなる歩調を何とか抑えている様子だった。
そのうち駆け出してしまうのではと思いつつ、腕時計で確認してみれば病室を出て三十分程が経過している。
そろそろ休ませなければ少女の身体に負担がかかるだろう。
目の前を横切った医療機器に視線を奪われている少女へ声をかけた。
「少し休憩を取ろう。」
「あ、……はい。」
振り返った少女は目が合うと、少し恥ずかしそうに頷く。
近くの待合室に入り、椅子に座らせてから待つよう言い置いて、一階の自販機へ向かった。
あまり待たせるのも悪い。足早にロビーを抜け、自販機でコーヒーとココアを買って戻る。
すぐに飲むのでカップタイプの飲み物だ。
行儀が悪いと知りつつ足で扉を押し開ければ座っていたはずの少女の姿はない。
またかと思いかけたエリスではあったが窓辺に佇む小さな背を見つけて己の考えが杞憂であった事に気付く。
窓ガラスに手を添えて外の景色を眺めているようだが、白い光りを受ける姿はどこか儚げに見えた。
「…不安か?」
ゆっくりと近付きながら声をかけてみれば振り返った少女の黒い瞳と視線が合わさる。
髪同様の深い夜空のような瞳が伏せられ、窓へ触れていた手が身体の前で組まれた。
「いえ、不安だなんて。とても良くしていただいているのに。…ただここに居ることが凄く不思議に思えるんです。」
「不思議?」
「もしもあの時逃げていたら。私がアレルギーを持っていなかったら。…色々な偶然が重なって今があるんですよね。」
実はまだ実感が湧かないんです。
そう困ったように自分の手元を見る少女に何と声をかけて良いのかエリスも戸惑った。
それを感じ取ってしまったようで微笑しながら少女は「ごめんなさい、気にしないでください。」と言って椅子に座った。
正面に座り、買ってきたココアを渡すと嬉しそうに受け取る。
女性らしく甘いものが好きなようでカップに口を付けて一口飲んでニコリと笑う。
一般人が突然軍や警察と関わりを持つ事になれば確かに混乱してしまうかもしれない。
特に関わり方が‘立てこもり事件’でなら尚更だろう。恐ろしい事件を体験しつつ、あまりに非日常過ぎてそれらに現実味を感じないという者もいる。
少女もきっとそんな風な状態なのだと思う。
「いきなりの事だったから無理も無い。だが今君が此処にいる事も、私が此処にいる事も、全ては様々な選択の結果であり必然でもある。」
「?」
首を傾げて見つめてくる少女に苦笑した。
無数に存在する選択肢の中で少女は無意識に己の道を選び、そして自分も数多の選択肢の中から選び出した。その道が交差したのは、選択肢を選び出した時点で決まっている。
それは選択の‘結果’であり‘必然的’に起った出来事なのだ。
しかし少女にはまだ難しかったようだ。Prev Novel top Next