翌朝、目を覚ましたエリスは軽くシャワーを浴び直して私服を着ると軽い朝食を摂った。
食事とは言え暫く帰って来れなかったマンションの冷蔵庫に物がある訳もなく、置いてあった保存食を一袋開ける。
真空パックのそれは間にほんのりと甘いバニラクリームをはさんだ香ばしいクラッカーのようなものだ。
それを特に美味しいとも不味いとも思わず食べ切り、壁にある埋め込み式の液晶テレビから流れ出るニュースを聞き流しつつ寝起きで未だ固まっている体を解す。
広いスペースで簡単なストレッチを行い体を解す。
それすらも終わってしまうと、手持ち無沙汰になったエリスは洗濯機から洗い終えて乾燥も済まされた服を取り出し、ハンガーにかけて自室にある備え付けのワードロープ――衣装タンスの一つだ――に戻す。
それすら終わってしまうと意味もなくニュースを見たり、掃除をしたりと思い付く限りを実行した。
その結果、見舞いが許される午前九時頃には全ての部屋がまるで売り出し中のマンションのように綺麗になっていた。
必要最低限ながらも質の良い家具が並ぶからこそ、余計にそれらしく見える。
丁度良い時刻である事を確認したエリスは革製のジャケットを着込んで、部屋の鍵とバイクの鍵、財布を手に部屋を出た。
地下駐車場で自身のバイクに乗り、道路に出て、渋滞に混む自動車の間を擦り抜けるように走る。
バスの横を通り抜けながら窓際に座る年若い男女達を目にすると、少女の顔が頭の中に浮かんだ。
彼女の日常を壊してしまったと思うとやはり己の不甲斐無さに溜め息が漏れてしまう。
ほんの少し落ち込んだ心を誤魔化すように速度を上げて、普段よりもずっと速いスピードで路面を駆け抜けた。
そのせいか思ったよりも病棟へは早く到着してしまった。
勿論、見舞いには支障のない時間ではある。
見舞い客や入院患者で少し賑やかなロビーを通り、階段を上ってエリスは少女のいるであろう病室へ向かう。
一人用の個人部屋の前に立ち二度ほど軽く扉を叩いた。
程無くして開いた扉から出て来た人物にエリスは片眉を器用に上げて、見た。
「何でお前がいる?」
きっちり閉め切られたカーテンを背に立つ女性はエリスの知人であり、軍の医療機関の一員でもあるフェミリアだった。
「様子を見に来たのよ。重度のアレルギー保持者だもの、その後の体調とか経過を確認しておきたいじゃない。」
「…モルモットと勘違いするなよ。」
「分かってるわよ、失礼ね。今は検診も兼ねてるからちょっと外で待っててちょうだい。…彼女のあられもない姿を見たいなら別だけど。」
フェミリアの冗談をエリスが嗜める前に、カーテンの向こう側からフェミリアの名を焦った様子で呼ぶ少女の声がした。
その声にはほんの僅かに咎めるような色が混じっている。
少女に名を呼ばれたフェミリアは軽く肩を竦めて笑う。
やや胡乱な視線を一度投げ付けてからエリスは病室を一旦出て、廊下の壁に寄りかかって待つことにした。
――全く、アイツは何を考えているんだ。
少女に対して、こうなった責任感は感じているものの恋愛や欲望といった感情は一切感じていない。
だと言うのに面白がって変な勘繰りをされても困る。少女にも失礼だ。
何度言っても悪びれた様子のない幼馴染にエリスは嘆息した。
暫くして扉が静かにスライドして開く。顔を横に向けて壁から背を離せば、少女が患者服の姿のまま少しだけ困ったような顔をして立っている。
「すみません、お待たせしてしまって…。」
「いや構わない。入っても良いか?」
「はい、どうぞ。」
扉を開けたままそっと手で促す少女の前を通って室内へ足を踏み入れる。
と、ベッド脇のチェストの上には綺麗な花が花瓶に入れられて飾られていた。
少女はベッドへ戻り、エリスは昨日と同様にパイプ椅子に腰掛ける。
…花一つで殺風景だった部屋が随分と見違えるように明るくなっていた。
隣りでは彼是(あれこれ)と書類を書いているフェミリアの姿。余程興味があるらしく、書かれている紙には理解出来ない専門用語も幾つか見受けられた。
しかしエリスが見ている事に気が付いたフェミリアは顔を上げると立ち上がり、「邪魔者は消えるわね。」などと冗談を言い残して去って行く。
部下と言い、フェミリアと言い、何故こうもくだらない冗談や勘繰りばかりするのだか。
やや呆れを含んだ瞳で見送ってから少女へ向き直る。
「具合はどうだ?」
パッと見でも昨日よりは顔色の良い少女は予想通り「昨日より身体の怠さがなくなりました。」とふんわり笑う。
ただ頭痛というか、ほんの僅かに頭がボーッとするらしい。
薬が体から抜け切っていないせいだろう。
体調が万全でないのならば、まだまだ油断は出来ないかと頭の片隅で考えつつ少女に何か必要な物はないかと問いかけた。
患者服も下着も、その他の必要な物はある程度用意されているものの、二十歳の女性にとって何が必要なのかイマイチ分からないエリスからすると不自由ではないかと気になっていたのだ。
しかし少女は少し考えるような仕草をして、特にありませんと言う。
「何か必要な物や困った事があったら言ってくれ。」
「はい。」
頷く少女ではあるが、何となくこの少女はあまり言わなさそうだと思う。
きっと声をかけてくる時は本当に困った時くらいだろう。
ベッドの中で素直に毛布にくるまっている少女を見て、気付かれない程度にエリスはふっと息を吐き出した。Prev Novel top Next