「安静にしているよう言っただろう。」
見ていられなくて思わず声をかければ驚いたように肩が跳ねる。
振り返った黒い瞳は僅かに見開かれたかと思うと、申し訳なさそうに視線を床へ落とした。
少し辛そうに呼吸を繰り返す少女の体を支えて自販機の隣りにあったベンチへ座らせる。
その手に握られていた長財布を見てエリスは己の考えが当たっていた事に気付く。
恐らく寝起きで喉が渇いてしまったのだろう。
二階の自販機は先日不具合が生じてしまい、現在は外されている。
きっと二階をグルッと回って自販機がないことに気付いた少女は一階まで下りたのだ。
息の荒さからして階段を使ったのかもしれない。体調が不安定なのに無理をしては更に悪化してしまうことくらい少女も分かっているだろうに。
自販機に小銭を入れてミネラルウォーターを買い、蓋を開けてから少女へ渡す。
目の前に差し出されたペットボトルに数度瞬きを繰り返し、少女は恐る恐るという体で手を伸ばした。
しっかり掴んだ事を確認して手を離してやれば今度は自力で水を飲む。
しかし、一口二口飲むとすぐに止めて、ぺこりと頭を下げてきた。
「ごめんなさい…。喉が渇いてしまって飲み物を買おうと思ったんです。」
何やら少女は勝手に病室を抜け出した事を咎められていると勘違いしているようだ。
「いや、病室から出るのは構わない。ただ君はアレルギー反応を起してかなり体力を消耗している。無理をしては体に良くない。」
「…すみません。」
言い直してみても、何故か少女は理解してくれない。
逆にしょんぼりと肩を落としてしまった。
少女の国の人間は皆少女のような者が多いのだろうか?
他人の事ばかり気にして、気を遣って、己の事など二の次のように扱っている。
そのような考えはエリスにとって余り好ましいものではなかった。
己の身を大切に出来なければ他者を大切になど出来ないものだ、というのが彼の信条だったのだ。
小さく溜め息を吐けば目の前の少女が小さくビクリと震える。
それにもう一度零れそうになった溜め息を飲み込んで、エリスは座っていた少女を横向きに抱き上げた。
いわゆるお姫様抱っこという姿に少女が腕の中で慌てた様子で動くが、鍛え抜かれた体を持つエリスにとっては何の支障もない。
「お、下ろしてください…っ。」
恥かしいのか頬を赤らめて抗議の声を上げる少女に視線を落とす。
ペットボトルをぎゅっと抱き締めて見上げてくる姿はやはり二十歳には見えない。
ついでに言うなら持ち上げた足が何故何も履いていないのと疑問も浮かぶ。
「こうされるのが嫌なら、もう少し安静にしていてくれ。……ところで、何故裸足なんだ?ベッドの足元の方に入院者専用の履き物が置いてあっただろう?」
「え?…あ、」
「……気付いてなかったのか。」
「ご、ごめんなさい…。」
頭の中から抜けていたのか、寝起きで頭が回らなかったのか。どちらにせよ冷たい床を裸足で歩くなんて事はもう勘弁してもらいたい。
何より病室の壁には埋め込み式の冷蔵庫がついている。
その中には常にミネラルウォーターが数本入っているのだが、やはりそれにも気付かなかったようだ。
こんなのでよく故郷を離れて此方で暮らしていられるなとエリスは若干の感心を覚えつつ、少女を抱えたままロビーを抜けて、エレベーターの前に立つ。
少女にエレベーターのボタンを押してもらい、ついでに次からはエレベーターを使うように言い含めながら下りて来たそれに乗る。
上手い具合に誰もいなかったその中でも下ろさずにいれば、諦めた様子で少女は身を預けてきた。
それでも少し緊張しているのが伝わってくる。
警戒で無い辺りが無防備だと思ってしまうが、少女の故郷の国を考えるとそれが普通なのかもしれない。
銃火器を一般人が手にしない国。戦争を放棄し、平和を愛すると宣言する国。
だからこそこんなにも少女は警戒心が薄いのだと思うと、平和過ぎるのも考えものである。
軽い音を立てて二階に到着したエレベーターから下りて真っ直ぐ病室へ向かう。
行儀が悪いが、足で扉をスライドさせて入れば丁度看護士が中にいた。少女を見て少し怒った顔で「安静にしていてください!」と言う。
更に気落ちする少女が若干哀れでならなかったが、甘やかしてまた無理をされても困るので敢えて黙ったままエリスは少女をベッドに下ろした。
ベッドの上の簡易テーブルには病人食とは別の極普通の食事が並んでいる。
ただしアレルギーを起こす食品は使われていないので一般人からすればやや質素に見えるだろう。
少女はテーブルの前に座って此方を見上げてくる。
「あの、リーヴィスさんはご飯を食べないんですか…?」
一人で先に食べて良いものなのか気にしているらしい。
自分は良いんだと言えば、そうですかと返事をして、ようやく食事に手を付け始める。
その様子をぼんやり眺めながらもまるで小さな子どもを相手にしているような何とも言えない気分がした。
面倒と言う訳ではないけれども一々確認するように視線を向けてくる様は、親の顔色を窺う子どもとダブって見える。
もう少し肩の力を抜いても良いんじゃないかと内心で苦笑してしまった。Prev Novel top Next