しかし囚人も追い詰められて形振り構っていられなくなったのか、傍にいた女性を無理矢理捕まえ、持っていたナイフをその首に押し付けた。
「寄るな!それ以上近寄ったらこの女を殺すぞ!!」
壁に背を向け、叫ぶ囚人にエリスは思わず舌打ちを零す。
手で隊員たちに銃口を下ろすよう促した。
囚人に捕まえられている女性を見たエリスの淡い黄緑色の瞳が驚きに見開かれる。
先ほど窓越しで見た女性だった。
否、女性と呼ぶにはかなり若く見えた。
大学なのだから恐らく十九から二十三、四くらいであるのだろうが、どう見ても十代半ばくらいにしか見えない幼さの残る顔立ちは少女と言っても良いほどである。
小さな背に力を加えれば折れてしまいそうな華奢な手足と、細い肩。
ナイフのつき付けられた首も随分細い。
黒い大きな瞳にはありありと恐怖の色が浮かんでいた。
それでも叫ぶまいとしているのか小さな唇は、真一文字に引き結ばれている。
「お前も銃を下ろせ!」
銃口を向けたままのエリスに囚人が怒鳴った。
エリスの視線と少女の視線が一瞬だが交差した。
声に出さず謝罪の言葉を告げ、エリスは発砲する。
囚人が怯んだが、その場に力なく崩折れたのは少女の方だった。
細い足には針のようなものが浅く刺さっている。
動けなくなった人質に混乱する囚人の左肩へ狙いをつけたエリスは、今度こそ立てこもり犯へ向けて間髪いれずに発砲した。
肩に麻酔弾を受けた囚人が倒れ、すぐに隊員たちが取り押さえる。
座り込むように倒れた少女へエリスは駆け寄り、足に刺さっていた麻酔弾の針をサッと引き抜く。
麻酔のせいかぐったりとした体を抱き起こして少女の顔を覗き込んで驚いた。
顔色が真っ青を通り越して白に近い。
しかも妙に呼吸が速く、触れた手足が異様に冷たく冷え切っている。
――アナフィラキシー・ショック。
頭を過ぎった単語に血の気が引く感覚を覚えながら、通信司令部へ連絡を送った。
「こちらCS1、応答願う。」
【…こちら通信司令部。どうしましたか、CS1。】
「囚人の身柄確保は完了したが、人質の一人にTZのアレルギー反応が現れているため救援隊の派遣を頼む。」
【了解。すぐに救援隊を派遣します。】
通信を切り、冷えた少女の体に上着を着せ、呼吸がしやすいように床へ寝かせると顎を上げさせて気道確保をする。
声をかけ続けていると閉じていた黒い瞳が瞼の裏からゆっくりと顔を覗かせた。
けれどあまり意識がハッキリしていないらしく、ぼんやりとして焦点が合わさっていない。
TZ――軍や警察が使用している麻酔弾――にはたまにアレルギー反応を起す者がいる。
じんましんや皮膚の赤み程度ならまだしも此処まで重度のアレルギー反応を起す症例がなかったし、エリス自身もアナフィラキシーの知識はそれほど多くないため下手に手出しが出来ない。
どうしたものかと思いつつ声をかけて少女の意識を繋ぎ留めることに専念した。
やがてサイレンの音が響き渡り、何人もの救援隊員たちが担架を滑らせながら教室に入ってくる。
血圧を測ったり、体温を測ったりしている様子を見ながらエリスは部下に囚人の護送を頼み、自身は少女に付いて救援隊の車両へ乗り込んだ。
酸素マスクを施された少女の顔色は未だ白い。
迅速かつ的確に処置をしていく救援隊員達の動きを見ている事しか出来ない己にエリスは情けない気持ちになった。
麻酔弾にアレルギーを起こす者がいることは知っていた。
それなのに、その可能性を考えずに安易な行動をしてしまった自分の不甲斐なさに、少女から視線を逸らす。
大人用の弾は麻酔の量も多い。
もしもこれ以上アレルギー反応が酷くなれば、命を落とすかもしれない。
暗鬱とした考えが思考に広がり、知らずエリスの眉が顰められる。
軍の医療病棟に到着し、救急搬入口から少女は処置室へストレッチャーで移動した。
が、意識がないらしく少女に反応はない。
苦しげな荒い息と表情に、あぁ見なければ良かったと後悔した。
処置室の前の廊下にある簡易の椅子に越しかけ、処置が終わるのを待つ。精神的にもヘコんでいるのに、任務の疲れまでドッと押し寄せてくるものだからエリスは背もたれに身を寄り掛からせた。
時間にしては数十分だったか、それとも一時間以上経っていたのかは定かではないが、処置室のランプが消える。
それに立ち上がるのと同時に扉が開いてストレッチャーに乗った少女が現れた。
「どうだ?」
傍にいた医師に離しかける。髪の色が白くなり始めた初老の医師は穏やかに笑って頷いた。
「大丈夫、今は安定しておるよ。一応様子を見るために二日、三日入院してもらう事にはなるがね。」
「そうか。…すまない。」
「ほっほっ、それはあの娘さんに言ってやらんとなぁ。」
「…あぁ。」
医師に礼を述べて、エリスは少女が移された病室へと移動する。
軍の医療病棟と併設されているが少女は一般人用の階にいるだろう。
医療病棟は大きく分けて四つに分類されている。
軍のスペース、囚人のスペース、警察のスペース、一般人のスペースだ。
囚人や凶悪犯などを収容する階は軍と警察の間に挟まれており、そこだけはエレベーターが他とは別になっている。
一般人は最も階下で見舞いなどが来れるような造りだ。
一階分上がるのにエレベーターを使うのも阿呆らしくてエリスは階段を上ろうと足を踏み出した。
途端に耳につけたままだった通信機から部下の声が聞こえて来る。
【GOLD DOG,こちらRED DOGっス。】
「何かあったのか?」
珍しく部下から届いた通信に思わず足が止まった。
【そうじゃないんスけど、さっきの女の子の名前とかが分かったんで連絡しようかと!】
「そうか。」
【名前はユイ=アマミヤ、街の東側に住んでるみたいっスね。国籍は…お!東洋っス!!】
「……そうか。」
報告と言う部類に入るのかよく分からない連絡に、エリスは内心溜め息を零しつつ相槌を打った。
年若い者に多いその曖昧かつ大雑把過ぎる内容ではよく分からない。
あまり役に立たなさそうな情報を聞き終えて通信を切り、止まってしまっていた足を再度動かした。
二階のナースステーションで聞けば少女は階の一番端にある個人の病室だそうだ。
静かな廊下に足音を響かせながら向かい、途中の自販機でミネラルウォーターを二本購入する。
そうして少女がいるであろう病室の前に立ってそっと扉をスライドさせた。
淡いベージュ色のカーテンを避けて中へ入る。
清潔感のある白い病室の中は物が少なく、ベッドと小さなチェスト、壁の隅に洗面台が備え付けられただけの簡素な造りだ。
ベッド脇にパイス椅子を立てて座った。
眠る少女の顔色はだいぶ良くなっていたのでホッとしながらも、する事もないので少女を観察してみた。Prev Novel top Next