視線を逸らし、手元へ落としたままの志貴は反省しているようだった。
それから朱鷺は少年二人へ視線をずらす。
「妹がやり過ぎたことは申し訳ないと思う。頭の怪我だし、一応明日病院へ行って来て欲しい。検査費とか怪我の治療費は兄である俺が払うから。」
そう言われて少年たちはどこか勝ち誇ったような顔をした。
自分たちには非がないのだという顔だ。
担任もこれ以上大事にしたくなかったようで、朱鷺の言葉には何も言わない。
でも、と朱鷺は続ける。
「他人の悪口を…それも仲の良いやつの悪口を目の前で言われたら誰だって腹が立つと思う。全部が全部、妹のせいって訳でもないだろ?」
「はぁ?怪我したのはソイツのせいだろ?」
「そうか?ならさっき志貴が言ってた言葉、そっくりそのままハデスに伝えておこうか。きっとそんな怪我じゃ済まないぞ?」
「「……。」」
志貴だったから額を少し切る程度の怪我だったに過ぎない。
もしも泰河や銀二、もしくは泰河のチームにいる不良に聞かれた日には切り傷どころでは済まないだろう。
軽くても骨折、酷ければ病院送りでそのまま入院コースだ。下手したら障害が残るかもしれない。
それらを考えれば志貴が負わせた怪我など本当にかすり傷程度である。
今回は学校内ということもあったが、一歩外に出て喧嘩ということになれば話は別だ。
泰河を侮辱する行為はチームの者たちからすれば許せない行為であり、泰河自身も馬鹿にされて黙っているほど温厚ではない。
弱い者や一般人へは手を出さないが馬鹿にされた場合、簡単に彼らは朱鷺の目の前にいる少年二人を完膚なきまでに叩き潰すだろう。
少年たちは漸く事態を理解したのか顔を青くして黙り込んだまま、朱鷺を見つめた。
「…そう怖がらなくても今回は黙っててやるから。すみませんでした、先生。ご迷惑おかけしてしまって。」
「い、いえ。こちらとしましても豊永さんは普段から真面目な生徒ですので、大事にならずに済んで良かったです。」
担任は一度志貴を見て、それから朱鷺へと視線を戻す。
「ところで…、豊永さんとハデスと呼ばれる彼は一体どのような関係なのですか?」
問われて朱鷺は苦笑した。
志貴はギャルでも不良でもなく、確かに関わりなどなさそうな生徒だろう。
一番の繋がりの元は自分だが今泰河と志貴を繋ぐ関係は違う。
しかし正直に言って更に混乱を呼ぶのは避けたかった。
「そうですね…友達以上、恋人未満ですがかなり仲は良いみたいですよ。」
「そ、そうですか。」
「とりあえず君は病院に行ったら志貴に請求書を渡してくれ。俺の方から学校を通じて君に費用は支払うから。」
明るい茶髪の少年がまだ少し顔色を悪くしたまま頷く。
彼らにとってはちょっとした出来心だったのかもしれない。
無口な志貴がまさか反撃してくるとは夢にも思わなかったのかもしれない。
だからこそこんな騒ぎになってしまったのだが。
帰るために朱鷺に促された志貴は一度少年たちを一瞥し、それから相変らずの無表情で生徒指導室を出た。
だいぶ人気の少なくなった薄暗い廊下を抜けて正面玄関傍に停めてあった車に乗り込む。
志貴は無言のまま助手席に座り、シートベルトをしっかりつけた。
朱鷺が車を走りださせ、校内から出てから言う。
「今回はお前ばっかが悪いとは言わないけど、相手に怪我させるのは良くないことだぞ?」
だが志貴は何も言わずに真っ直ぐ前を見つめている。
朱鷺はチラリと隣りに座る志貴を見たが、横顔はいつもの無表情のままだ。
思わず溜め息が一つ、零れ落ちた。
「手で殴るとか、叩くとかにしろよ。椅子はやり過ぎだ。明日でもいいからきちんとあの子に謝っとけよ?」
「――…だ…、」
「?」
小さく聞こえて来た声が聞き取れず、朱鷺は横を見た。
黒い瞳は前を見据えたままだったが普段よりもやや低い声で、もう一度志貴は言う。
「イヤだ。」
「あのなぁ…!」
「だって、泰河の悪口言った。ダメ、許さない。」
「…志貴、お前…。」
握り締められたシートベルトが若干ねじれていた。
無表情のまま、けれど少し眉は顰められている。
友人なのか恋人なのか。そのどちらとも言えないのかもしれない。
しかしながら朱鷺は自分が考えているよりも、志貴は志貴なりに泰河のことを‘大切’に感じているのだと漸く思い知らされた。
泣いてもいない横顔が、どこか泣いているように見えて、思わず朱鷺は志貴の頭を撫でた。
「…そうか、ごめんな。泰河とは仲良いもんな。」
「ん。悪口はいや。」
「そうだな。でも、今日のことは泰河には黙っておくんだぞ?」
「…なんで?」
「言ったらあの二人、明日には大怪我で入院させられるだろうからさ。」
途端に黙る志貴に絶対に言うなよと念を押す。
渋々という風に頷いた志貴に朱鷺は苦笑しながらハンドルに手を戻した。
妹の心境の変化に喜びつつ、どこか寂しい気持ちになりながらも店へと車を走らせるのだった。Prev Novel top Next