振り回されても ■1/2

 カチカチとキーボードを打つ音がする。
 十斗は資料で散らかった部屋のソファに座ってコーヒーをすすっていた。
 遊びに来たはいいが、禄門は締切間近の原稿を執筆しているためかまってはくれなかった。

 デスクの前でパソコンに向かっている禄門をちらりと見る。
 原稿に手いっぱいで手入れをしていないのだろう、いつもより伸びている無精ひげをぼりぼりと書きながら禄門は唸っていた。

「塙の旦那」

「んー……もうちょっと待ってくれる?」

 呼びかけても、さっきからずっと同じ回答である。
 もうちょっとといいつつ、すでに十斗は一時間以上待たされていた。
 最初はいつもの軽い感じではなく、真剣な表情で原稿に打ちこんでいる禄門を珍しそうに見つめていたが、今ではそれにも飽きて近くにある資料をぱらぱらとめくったりしている。

 カップに再び口をつけると、もう中身はなくなっていた。
 十斗は小さくため息をつくと立ち上がり、もう五杯目になるコーヒーを入れに行く。
 ついでにと禄門のカップを見にいけば、とうの昔に空っぽになっていたようだ。
 コーヒーはちゃんと飲むのかよとふてくされつつも、そのカップも一緒に持って台所に向かう。

 ビンのインスタントコーヒーの中からカップに粉を入れ、保温になっているポットからお湯を入れる。白いカップの中、褐色の液体になっていくのを見つめながらため息をついた。
 原稿で忙しくなければ嫌なくらいにべたべたとかまってくるくせに。あとどれくらい待てばいいのだ。
 十斗はむしゃくしゃしてやや乱暴にカップを手に取った。

「これで終わり!」

 するとタイミングを見計らったように禄門が声をあげる。
 振り返ると、椅子にもたれ背伸びをしている禄門が目に付いた。

「やっと終わったか……」

 十斗が早足に禄門に近寄ると、傍にきたことに気付いた禄門はニヤリと笑う。
 何かと思った時には、禄門の腕が腰に来ており、禄門の方へ引き寄せられた。

「あ……おいっ」

「あつっ!」

 急に抱き寄せたため、十斗の手に持っていたカップから熱い褐色の液体が零れ落ちた。それはキーボードや机の上、さらには禄門の手にも落ちる。

「すぐに冷やせ」

 慌ててカップを置きながら言うが、禄門はコーヒーの液が零れた手をぶらぶら振るだけで、台所の方へ動こうともしなければ抱き寄せた十斗を離そうともしない。
 しばらくそんな禄門をじとっと睨みつけたが、彼はさらに腰にある手に力を込めるだけ。

「……なんだよ?」

 しぶしぶと疑問を口にすると、禄門は火傷した左手を十斗に差し出してきた。

「舐めて」

 にやにやと口元が歪んでいる。
 火傷した部分を舐めろなど阿呆なことを言うなと、さすがに十斗は呆れしかめ面になる。

「瀬具ちゃんに舐めてもらえば治るって」

 十斗の心が想像できたのか、禄門はさらに左手を十斗の口元に近づける。手の甲が十斗の唇に触れた。
 睨んでも一向に手をどかさない禄門に十斗の方が根負けする。
 十斗は禄門の手を掴むと、その手の甲の少しだけ赤くなったところを舌で舐める。

「うひょー」

 十斗が舐めているところを嬉しそうに見ている禄門に、十斗は視線だけであっち向けと送る。
 しかし禄門は意図に気づいていても、十斗から目線をずらさない。
 一通り火傷のところを舐め終わった十斗は、禄門を上目遣いに見上げて尋ねた。



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