あやかしやこう9






「セックスならしねェぞ」
「ちがう」

そんなに年中盛ってない、とドアの前にいたヤコウは頬をぶすりと膨らませたが、何人かその相手になっていることをマルコはきちんと知っていた。

「今日、マルコの布団で一緒に寝てもいい?」

なにかと大人ぶるのが常なくせに、今日のヤコウは迷子になった子どものような顔をしている。それが何だかいじらしくて、マルコはついつい添い寝を許してしまった。

「手、にぎってもいい?」

ごそごそと横に潜り込んだヤコウは、遠慮がちにそういった。その幼い提案にマルコは思わず噴き出す。

「なんだよい。サッチから怖い話でもきいたのか?」
「ちがう。けど、ちがわないっていうか。……俺、だめなんだよ」

こういう、星も月もないような夜。とヤコウはか細い声で呟いた。確かに今夜は珍しく空も海も、真っ黒なインクを流したように闇に包まれている。

「……真っ暗は、怖い。捨てられたときを思い出すから」

雨垂れのように、ぽつりと零す。ランタンの小さな明かりに照らされたその目は少し震えていた。






子捨て山。忍びの里は、近隣の町や集落からそう呼ばれていた。

家の食い扶持を減らしたい、しかし自らの手で命を葬るのは忍びない。そんな子どもたちを背に抱き胸に抱き、里の入り口にひっそりと置く影は後を立たなかった。
ヤコウが捨てられたのは、まだ三つの頃だった。母親は大変見目麗しい娼婦であった。行きずりの客の血を引いたのか褐色の肌に金糸の髪で生まれてきた幼子はワノ国では異形であり、ヤコウは「鬼子」として忌み嫌われた。人の目に耐えられなかったのか、はたまた鬼子を愛することはできなかったのか、今ではもうわからない。

ヤコウが風の冷たさにふるりと身を震わせ、目を覚ますと、そこはもういつもの寝屋ではなかった。行灯の明かりも、布団もない、とっぷりとした闇に包まれていた。ひんやりとした夜風や虫の声でここが外だとわかる。ふといつも隣に寄り添う母の姿がないことに気付き、ヤコウは小さな声をあげた。

「……ははうえ、」

返事はない。いっそう冷たい風が頬をなでるだけであった。

「ははうえ!」

今度はもう少し声を張る。どこかで獣の遠吠えが聞えてびくりと体が強張る。
一寸先ですら何も見えない。恐ろしい。でも、胸をよぎる一つの不安を認めるのは、もっと恐ろしかった。

「ははうえ……どこにおられますか」

堪えきれず、ぼろりと大粒の涙が零れる。
声を震わせて母を呼びながらも、頭の奥ではひどく冷静な自分がいた。
ヤコウは、自分が他人に何と呼ばれていたかを知っている。母が、もう三つにもなる自分に名前をつけない訳も、知っている。

われは、すてられたのだ。鬼の子だから。ばけものだから。

「ははうえ…」
「いくら呼んでも母君は来ないよ」

ふと頭上から降ってきた声に、泣き面を上げる。自分より、いくつか年上の少年がヤコウを興味深そうな顔で覗き込んでいた。

「お前、名はなんという」
「……ない」
「ない?」
「……おにご、としかよばれたことはない」

そこまで告げると少年は目を見開いた後、からからと笑った。涙目で睨みつける視線に気付くと、「悪い」大して悪びれずにそう言い、ヤコウに手を差し伸べる。

「鬼でも化け物でも、うちじゃ大歓迎だ。こいよ」

恐る恐る握り締めたその手は、まめだらけでかさついていたが、とても温かかった。





「そいつ…ヨダカは、俺の兄者になってくれた。名前は、里でつけてもらった」

かっこいい名前だろ?とヤコウは少し得意げな顔をして笑う。
今では、己を捨てた母親に感謝すらしているという。忍びの里では自分のような境遇の子供は沢山いて、悲しいのは己ただひとりではないのだと安心できた。
姉者や兄者はたまにからかいはするが、皆優しい。長は厳しかったが、うまくやると大層ほめてくれた。大きくなって様々な任務をこなせるようになると、毎日はあっという間に過ぎていった。

それでもやっぱり、真っ暗な夜は不安になる。この世に自分ひとりしかいないんじゃないかと恐ろしくなる。

隣に寝転がりながら、ヤコウの話を黙って聞いていたマルコは、彼の頭をわしわしとなでてやる。ヤコウはくすぐったそうに身をよじらせた。

「ほれ、ガキは早く寝ねぇと大きくならねェぞ」
「ガキじゃない」
「俺に比べたら立派なガキだよい。寝ろ、手ェ握っててやるから」

頭をぐしゃぐしゃにした手を下ろして、ヤコウの手を握る。自分のものより少し小さな手の、その指先は冷たかった。

「なあ、マルコ。名前、呼んで」
「……ヤコウ」

マルコは、できるだけやさしく、その名を紡いだ。名前を呼ぶのに合わせて、空いている手でヤコウの方をとんとんとさする。ヤコウの目が、徐々にとろりとしてくるのがわかった。

「ヤコウ」

暗闇は怖いけど、マルコの優しい声が流れ星みたいにヤコウの胸に落ちてくる。

「ヤコウ」

自分のものより少し大きいマルコの手はごつごつしていて、でもとても温かい。

「…寝たか」

いつの間にか、すやすやと安らかな寝息をたててヤコウは眠っていた。おとなしくしていると可愛いんだがな、とマルコは口の端をくいと上げた。
明日はまたいつもどおり、笑ってくれるといい。
ようやく体温を取り戻した手を握りなおし、そのままマルコも目を閉じた。
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