あやかしやこう7






「……ようやく終わったよい」

マルコは一つため息をつくと、山のような書類の最後の一枚に押印し、時計を見る。まだぎりぎり日付が変わらないくらいで、集中できたためか予想していたよりも早く作業が終わったようだ。眼鏡を外し机に置くと、ん、と小さく伸びをする。そして、中心に寄りに寄った眉間の皺を指で左右に広げ、ぐりぐりと揉みこんだ。
サッチに酒でも貰ってこようか、と腰を上げようとすると控えめなノック音が聞えてきた。

「……ヤコウ、どうしたよい」
「お疲れ様。仕事、そろそろ終わるんじゃないかと思ってさ」

ぼちぼち飲みたくなってきたんじゃないの?と、目の前に立つヤコウは、ウィスキーの瓶とグラスセットを掲げるとにっこり笑う。

「ああ、丁度貰いに行こうと思ってた頃だ」
「あ、ほんと?んー、いいタイミング。さすが俺」

しかもヤコウが持ってきた火酒はマルコが好んで嗜むものだった。サッチにでも確認してくれたのだろうか。「俺も一緒に飲んでいい?」と小首をかしげるヤコウの頭を、了承の代りになでてやった。





「でさあ、クザンってやつ本当にしつけぇんだよ。やたらと俺を傍に置きたがるし、おれんち来ないか?とかいいだすの」

だからばれてるかもって思って逃げてきたんだ。そう語るヤコウは、酒のせいかいつも以上に饒舌で目元はほんのり朱に染まっていた。ヤコウの話を面白おかしく聞きながらも、クザンの下心になんとなく気付いてマルコは苦笑する。

ヤコウがモビーに乗船してから一週間ばかり経ったが、彼はずいぶんと皆に打ち解けてきたようだった。乗船したての頃も朗らかではあったが、今に比べるとその違いがよくわかる。やはり先日の敵船殲滅以来、船員が彼を見る目がいくらか変わったからであろうか。
それまでは彼を訝しげに見ていた男達でさえ、ヤコウを食堂に誘ったり手合わせをするようになった。ヤコウも周りに認められ、徐々に緊張がほぐれたのかもしれない。彼の予想以上の実力に一目置いたのはマルコも同じであった。

「しかし、本当に潜伏なんかもできるんだねい。お前みたいな見た目だと目立ちそうなもんだが」
「潜伏先によっては髪の色から目、肌の色も変えるよ。海軍なんかは四六時中誰かと一緒だからボロが出るし、あんまり変装しなかったけど。ちなみに女にだって化けられる」

それを聞いたマルコは、へえ、とヤコウを頭のてっぺんからつま先まで視線を往復させる。たしかにこの容姿ならいい女に化けられることだろう。

「……やだ、マルコのえっち」

視線に気付いたヤコウがしなをつくり甘い声を出し、げらげらと笑った。その婀娜めいた目つきに不覚にもくらりと来てしまい、マルコはグラスに残った酒を誤魔化すようにがぶりと飲み干した。

瓶をつかもうとした手を、不意にヤコウに絡めとられる。その指先が思った以上に熱くてマルコはどきりとしてしまう。ヤコウはその手を握ったまま、マルコのひざに馬乗りになった。

「なぁ、マルコ。俺が暗殺の次に得意なもの、教えようか」
「なんだ?」

マルコは動揺が悟られないよう、なるべくなんでもないような声を出す。

「房中術だ、七つのころから仕込まれた」

そう言って、少し長めの髪をかきあげてうなじをちらりと見せる。お前の褐色の肌にはらはらとこぼれる金糸がとても倒錯的なんだと、姉者にヤコウがよく言われていた仕草だ。これがいかに効果的かは今までも散々実践済みである。

「ぼう……、なんだよい?」
「あ、そう言わないのか?性交渉、んーと、セックス」

そう言うと、マルコの目が少し見開かれた。

「俺、里の姉者よりうまかったから。マルコも満足させてあげられると思うけど」

そうけろりと言うヤコウは、マルコの吐息がかかるくらいまで顔を近づけると彼の少し厚い唇をちろりと舐めあげる。そのまま触れるだけのキスをして、ちゅ、とリップ音をさせた。
マルコが黙ってされるがままになっているのを是認だと捉えたのか、ヤコウの細い指がマルコの顎を摘み、もう一度触れるだけのキスを落とす。指はそのまま顔の輪郭を滑り、耳をするりと撫で、耳の後ろに口付ける。鼻腔をくすぐる彼の甘い匂いに、マルコは背筋にぞわりと欲を走らせた。

「ヤコウ、待て」

突然の制止に、ヤコウは反射的にぱっと顔を離す。

「オメェとは、しねえよい」

マルコの一言を聞いて、ヤコウは大きな目をさらに大きく見開いたあと、眉毛を下げて情けない顔をした。おねだりを聞いてもらえない子犬のような表情に綺麗な顔も台無しで、マルコは思わず出た苦笑を飲み込む。

「俺だけに抱かれたくなったら来るんだな」

単に欲求不満を解消しようとしているのがばれてしまい、ヤコウは眉根を寄せたあと拗ねたように呟いた。

「わかった」

思った以上に聞き分けの良いヤコウの言葉にマルコはうんうんと頷き、ヤコウの頭を優しく撫でてやる。その手のひらに擦り寄るように頭を寄せるいじらしさに思わず口を吸いたくなったが、そこは持ち前の精神力で制した。

「なら自分の部屋に戻りな」

自分の腰の上に乗っていたヤコウを、ぐいっと抱き上げて下ろしてやる。「うん!」と元気な返事をしたヤコウはドアへ向かうが、

「誰か他の人に頼むな!」
「えっ」
「マルコ、おやすみ」
「おい」

不穏な一言を残して、ヤコウの笑顔がドアの奥に吸い込まれた。

「……そういうことじゃ、ねえんだよい」

閉まったドアを見つめながら出された言葉は、誰にも聞かれることはなかった。



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