(これは、世界が交わる前のおはなしです。)

「ちょっと急なんだけどね、どうしてもってことだから東京に戻ることになったの。本当は夏休みに入るまで待つ予定だったんだけど。だから7月からは蓮二くんと同じ中学校に通うことになるからね」

最初に母からその話を聞いたとき、わたしは心底ほっとしたのです。けれど、同時になんともいえない恐怖がわたしを支配していたのです。うん、と頷いた声は思いの外震えていて、けれど母からは何の違和感も覚えなかったのか、にこりと笑って準備しておいてねと言うだけでした。

環境が変わるということは、良くも悪くもゼロからのスタートということになります。ぎゅっと束ねた教科書はもうすぐ資源ごみに出されてしまうのでしょう。ノートもすぐに不要物となって一緒に捨てられてしまうのでしょう。鞄も、制服も、わたしがこの学校に在籍していたという証拠は何ひとつ残りはしないのです。きっと、なにひとつ。

あっという間に6月は終わり、7月になりました。今までの学校を去って、新しい学校に通うことになりました。新品の制服に袖を通して、新品の鞄を背負って、新品の教科書を詰め込んで。知らない場所は怖くて、知らない人は怖くて、でもそういう場所に行かなければならないことがわたしの義務です。職員室に行って先生に挨拶をして、そして教室に連れて行ってもらいました。賑やかな教室に、わたしのような異分子が混ざっても良いものなのか。そんなことを考えているうちに教室に入れられて、自己紹介を求められました。強張った体から声を発することは思いの外難しく、わたしは少し声が裏返ってしまいました。笑われました。恥ずかしくなりました。逃げたくなりました。結局、色々な人から質問攻めにあって逃げ出したわけなのですが。

わたしは色々な人に諭されて、少しずつ世界を広げてみることにしました。今まで見えていなかったものが、なんだかとても綺麗に輝いて見えるようになりました。怖かったものが、少しずつ触れてみたいものになりました。消えてしまいたいと考えていたことが、馬鹿らしくなって、わたしはこの大切な場所にわたしを残したくなりました。いつか捨て去ってしまったあの昔の学校の物品には謝りたくなってしまうほど、どうやらわたしの世界は少しずつ変わっていったようなのです。昨日が愛おしくなって、今日が大切になって、明日が待ち遠しくなったのです。だから、わたしは今日も明日を願いながら眠りにつくのです。

「椿ちゃん! 購買のモンブラン食べたことある!?」
「えっ、な、ないっ!」
「じゃあ今日はモンブラン半分こしよ! 美味しいよー!」
「う、うんっ」
「モンブランいつもすごい人並んでるよ。頑張ってね」
「え」
「優しい佑介様が手伝ってやるよ!」
「佑介、俺カレーパンね」
「私はメロンパン」
「お前らぁぁぁぁあああ!」
「モンブラン勝ちとろうね、椿ちゃん!」
「が、頑張ります!」

(ねぇ、世界は交わりましたか?)


デイバイデイ、バイバイ。
(明日もどうか貴方達に優しい世界でありますように)


***
椿の独白的な。自分勝手だけど他人思いな子です。
前を向くことは大変だけれど、案外世界なんて簡単に変わるものですよね。

title:約30の嘘


 



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