●私は貴方を 目が覚めた。 どんよりとどす黒い液体が心臓に絡みついたかのように、体が重い。 霞む目を擦り、周りを見渡す。どうやら机で寝てしまったようだ、顔に残る痕が物語っている。 目の前にはまっさらな日記帳が自らを主張するかのように捲れていた。 この前掃除をしていたら偶然にも見つけた代物だ。 しかし、内容がない。いくら捲っても一ページ以外真っ白なのだ。 陽に照らしてみたり、水を少し濡らしてみたりもした。だけど、只々白の世界が続くだけ。 買った覚えがないから更に頭がこんがらがる。 「・・・今日から書いてみようかしら」 使わないのも勿体ないし。そう言い立ち上がると机の端で何かが揺れる。勿忘草だ。 一ページだけ記されていた内容には、「勿忘草を貰った。嬉しかったから、私もお礼を渡した」とだけ残っていた。勿論書いた覚えもなし、誰から貰ったかも、分からない。 「最近疲れてるのかしら」 頭を押さえながら時間を確認する。もうそろそろ出ないとバイト先に間に合わない。 お気に入りのオレンジのリボンを頭に飾り、ゆるりとリップグロスを塗る。 片隅に置かれた”人形”が、まるでいってらっしゃいと言うかのように、目を閉じていた。 「いらっしゃいませ!」 今日も通常営業しているバイト先は、色んなお客で大賑わいだった。 ピンクのエプロンを付け、忙しなく動く店長に笑みが零れる。私のコーナーもなかなかの売れ行きだ。 「最近合言葉が変わったの」 常連客に教える合言葉は、最近本人のド忘れにより変更になった。偶然にも、皆が綺麗に忘れてしまっていたのだ。こんな偶然もあるのね、そう言い笑った合った覚えがある。 何も変わらない日々、けれども。 ここ何日、何故か心がくしゅっとするような、違和感を感じるのだ。 突如鳴り響く音に小瓶が揺れる。雷だ。 「今日は閉めようか」 店長の言葉で店員は着々と帰る準備をし始める。 少し多めに発注してしまった星形のキャンディを二つ手に取り、嫌になるほど降り続く雨の中小走りで駆け抜けた。 家に着く頃には髪がべったりと頬にくっついていた。着替えなきゃ、そう思い服に手をかけたところで、ポケットに硬いものが入ってることに気付く。 ついさっき、バイト先から持ってきたキャンディーだ。 「あぁ、癖で二つ持ってきちゃったわ」 口に出してから気づく。癖って、なんの癖だろう。 ふと、毛布を掛けられた人形に目線がいく。黒髪に、白い顔。 転がっていたから拾っただけ。 周りに誰の人形かと尋ねても首を振る一方だったから、持って帰ってきた。 妙にリアルな見た目に、何故か心の騒めきが止まらなかった。もう何日も前の話だ。 ただ目を閉じただけの人形の頭を、撫でる。 「ここじゃ少し可哀想ね・・・あら?」 少し移動させようと背中に腕を回した瞬間、人形のポケットから輝く物がこぼれ落ちた。 銀色に輝く、真ん中に四葉のマークが入ったネックレス。 「これ・・・!」 手に取り四葉の裏を確認する。 ”シュガテール・グランジャー” 名前が彫られたそのネックレスは、レダ事件で死んだ母からのプレゼントだった。 急いで机の日記を確認する。焦る手が汗で滲んでいるのが分かった。 「今日は勿忘草を貰った。嬉しかったから、私もお礼を渡したわ。 母がくれたネックレスを、大切な人、ナギに。」 日記の文が蘇る。カラフルな文字の中に何度も何度も、同じ単語が並んだ。 ナギ・・・ナギ、ナギ! 日記に水滴が零れ落ちた。歪む視界の中前を見据える。 勿忘草の花言葉は、私を忘れないで、よね。 「そうよね、ナギ」 震える手で人形となった愛しい頬に手を置いた。 「私が必ず、また貴方を笑わせてあげるから」 まだ雨が止まぬなか、部屋はただ暗く静まるだけだった。 ▼戻る 貴方が忘れたって私は一生忘れない ナギくん、少しだけ店長お借りしました。ありがとうございます。 |