空とおんなじ君の色
「ね、ね。マリィはお兄ちゃんのどういうところが好きなの?」
わたしがぐんと顔を近づけて言うと、マリィはなんだか面食らったように後退った。普段はあまり動かない眉をほんの少しだけ顰めて、べ、別に好きじゃなか……とバレバレの嘘をついている。
「好きじゃないの?」
「いや……そんな、わざわざ言うようなことじゃないでしょ」
「ふーん。……じゃあお兄ちゃんに彼女ができてもいいの?」
「やッ――そ、それは、ダメ、だけど」
うつむいてつま先を見つめていたマリィが、わたしの言葉ひとつに反応して肩を揺らすのがおもしろい。うんうん、ふうん、そうなんだあ。わたしがにまにまとマリィの顔を見ていると、マリィはなんだかおもしろくないとでも言いたげに、わたしの頬をぷにぷにと指でつついてくる。
おらおらおら、と両頬にまで伸びたマリィの人差し指は、わたしがその腕を掴んで離すまで、何を言っても身をよじっても、まったくとまる気配を見せなかった。
「まあでも、お兄ちゃんは大丈夫だと思うよ。だってお兄ちゃんもマリィのこと大好きだし」
「え……そうなん? ラベンダーさんが?」
「そうだよ。わたしがマリィと遊びに行くとか言うと、いっつも『いいなあ』って言うし。マリィを危ないところに連れて行っちゃダメだよ、とか、マリィに心配かけないようにね、とか、妹のわたしよりマリィの心配するんだもんね」
わたしがそう言ってみせると、マリィはそう……と顔を背けて何やら考え込むような素振りを見せた。
実際、わたしの目から見たお兄ちゃんは十中八九マリィのことが好きだと思う。マリィには……マリィにだけは、お兄ちゃんの向けている目がほんの少しだけ違うから。
お兄ちゃんは妹のわたしから見ても少し変わった人間で、パッと見はとても優しそうなのに実は全然そんなことない。近所のおばさんは「優しそうなお兄さんでいいわね」とか言うけれど、お兄ちゃんはわたしに対して「気がついたら家にいた小さいの」くらいの認識しかないと思う。
たとえばこのヨクバリス。マリィはネズさんにモルペコを捕まえてもらったそうだけど、うちのお兄ちゃんは一度もそんな、兄らしいことはしてくれなかった。わたしのヨクバリスはわたしが自分の手で捕まえたポケモンで、ある日うちの果樹園にあるリンゴを食べようと群れで忍び込み、傍若無人の限りを尽くしていたところをこの両腕でひっとらえたのだ。いくら進化前のホシガリス時代だったとはいえ、群れでやってきたポケモンを人間だけでなんとかするのはなかなか骨が折れたし、まあ最終的にはヤローさんに助けを求める羽目になったのだけれど……。
その頃のお兄ちゃんは我が家の危機なんて知らん顔でジムチャレンジに繰り出していたし、仮にその場に居合わせていてもわたしを助けてはくれなかったろう。同じ兄なのにどうしてこうも違うのか? ああ、あんなに仲が良いはずなのに、せめてネズさんの100分の1でいいから、あの優しさや気遣いを分けてもらえたらいいのになあ。
「お兄ちゃん、マリィにはわたしの500倍くらい優しいもん」
そう。そんな感じでわたしに冷たいお兄ちゃんも、マリィを見るときだけはすごく優しい顔をしている。普段は空っぽのように笑うお兄ちゃんであるというに、マリィと一緒にいるときだけは心の底から感情というものを溢れさせ、あの人なりの目いっぱいで嬉しそうに微笑むのだ。
あんな顔を見せられて、果たしていったいどこの誰がマリィへの恋心に気がつかないというのだろう。もしかすると気づいてないのは本人だけではないだろうか? ネズさんもこの間それらしいことを言っていたし、その証拠に今わたしの目の前にいるマリィは、先だっての言葉によって頬を染めてはもじもじとしていた。
「あんたの目からでもわかるんだ」
「わかるよ、むしろわたしだからこそ、かもね。伊達に長年あの人の妹してないし」
わたしがお手上げとでもいったふうに肩をすくめると、マリィは小さくガッツポーズしてよし、よしと頷いていた。
どうしたの? と尋ねる前にマリィはずいとわたしに迫り、まるでおのれにエールを送るように言葉を紡ぐ。決意を声にすることで勇気を奮い立たせているのだろう。
「あたし、これからラベンダーさんをデートに誘ってくる」
「え、いきなり?」
「いきなりも何もなか! うじうじしてたらジムリーダーなんてやっとれんし、あたし、居ても立ってもいられんけん。今からちょっとターフタウンまで行ってくる」
「ええ……うーん、じゃあわたしも久しぶりに家に帰ろうかなあ」
わたしがそう言うと、マリィは善は急げ! と言いながらそらとぶタクシーのほうへ走っていった。
スパイクタウンの隙間から見える空は、わたしがターフタウンで見ていたそれより狭く見える。けれどひとたび飛び出してしまえば同じ空が、広大で真っ青な世界がうんと向こうまで広がっていて、今そこから飛び立たんとするマリィの背中は、ジムリーダーとしてコートに立つあの子よりも、勇ましく勇気に満ちているようなすがたに見えた。
20201025