雛の巣立ち

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 自分の身の上を知ったのはいつだったかな。細かい年齢は正直覚えてないんだけど、小学校低学年くらいの頃だったと思う。
 断っておくが今の義父はとても気の良い人であって、決して彼が故意にバラしたとか、酔いが回ってぶちまけたとかそんな間抜けな理由じゃあない。あの人は僕をひたすら可愛がってくれた。それこそ実の娘でも育てるかのように、愛情たっぷりで今まで面倒を見てくれたんだろうさ。……だからこそ、こんなふうに歪んで育ってしまった自分が少々申し訳なくなるんだけどな。
 どうして僕が親戚をたらい回しにされていたのか。どうして、別に死んだわけでもなさそうな親と離ればなれになってしまったのか、その理由をすっぺらこっぺらと軽い口で宣ったのは当時世話になっていた養母だ。一応弁明しておくと、彼女も別にわざとバラしたわけではなくて……まあ、きっかけ自体はただのうっかり、のはずだ。
 昔から僕はこんな感じであまり表情の変わらないたちで、まあ、そんな子供に愛情注いで育てられる人間なんかそう多くはないだろう。どの家でも僕は厄介者であったし、時には下卑た理由で手を出そうとした輩もいた。義兄とか義父とかそういうやつね。ありがたいことに顔面だけは綺麗に産んでもらったもので、そういうふうに扱おうとする人間も、別にゼロではなかったわけ。……どうなったのか? それは君の想像におまかせしておくよ。
 で、まったく笑わなければ不満を言うこともなく、何をされてもそのまま受けとめていた僕を気味悪がった養母は言った。「確かにこんな子がいたんじゃあ、あの高科家も落ちぶれてしまうだろうよ」ってね――
 なあ、世長。高科先輩の家が日本舞踊の家元だってことは知ってるか? ……そう、高科流というそうだ。あそこはなかなか歴史のある家系でね、いわゆる名家に数えられるほど格式高い家なんだ。
 格式高くて歴史がある家というのは、得てして考え方が凝り固まってしまいがちなのだけれど……まあ、あの家も例外ではなかったようだ。あとで調べてわかったことだけど、例にもれず高科家は古きを重んじ、新しきを拒み続けた。家のためにならないこと、醜聞の種になり得るものはどんどん排他していった。たとえそれが身内に数えられるものであっても、良しとされないなら簡単に切り捨てた。
 僕は切り捨てられたんだとさ。あの家の当主に……高科の血と柵に。

「――忌み子という言葉、知ってる?」
 僕がそう訊ねると、世長は一瞬迷うような顔をしながらもきちんと答えてくれる。おそらく色んな本で学んできたことなのだろう、基本的な知識というのは年齢以上に備わっているようだ。
「話が早くて助かる。単刀直入に言うとね、僕はまさにそれだったんだよ」
「えっ……えっと、どういう」
「小説とかでよくあるだろ。双子だ、双子。それも男女の」
 古い慣習に縛られた高科家に双子が生まれてくるなんて、それこそ前代未聞そのものの出来事だったのではないか。現代日本としては馬鹿げた価値観であるかもしれないが、それでも古くさい考えの染みついたあの家にとって、直系の子が双子というのはあまり気持ちの良いものではなかったらしい。
 そのうえ僕たちはよりによって異性として生を受けた。男女の双子といえばかつては心中者の生まれ変わりなんて言われていたくらいだし、兎にも角にも僕たちは非常に不吉なものを背負って生まれてきてしまったのだ。
 そして、結果。高科家の犠牲になったのはあとに生まれてきた妹、つまりこの僕であった。二人目の赤子は「高科」という名字を名乗ることも、病院から帰ることもないままよその家の子になった。家の敷居を跨ぐことすら許されなかったのだ。
「――あとはまあ、それこそよくある話。母方の親戚をたらし回しにされて……なんとか落ちつけたのが、中小路にあるひな屋だったってわけ」
 世長は言葉をなくしている。いたわるように僕を見ながら、はくはくと口を開閉していた。
 無理もないと言えばそうだ。ぼーっと過ごしているような……それこそ得体のしれない先輩が突然過去を打ち明けてきて、しかもその内容が舞台演劇さながらの、暗く重たい話だったのだから。
 目の前にあるテーブルと僕、それらを交互に見ながら、世長は口をもごもごと動かす。聞きたいことがあるならどうぞ、そう言うと意を決したように言葉を発した。
「あの……えっと。あまり、デリカシーがないことをお訊きしてしまうかもしれないんですが」
「いいよ。好きに言いな」
「はい……その、雛杉先輩は77期ですよね? フミさんの双子なら年齢があわないな、って、ちょっと」
「ああ、それね。僕は元々絢浜の聖アガタ女学院に通ってたから、年齢をひとつ誤魔化して入学したってだけ。本当はちゃんと同い年だよ」
「……バレませんか? 元クラスメイトとかに……」
「今のところは問題ないな。そんなに仲のいい人間もいなかったし……そもそも『通』も偽名だから」
「嘘でしょ……!?」
 話についてこれているようで、実はそうでもないらしい。世長は僕がしゃべるたびに神妙な顔をしたり心底驚いたりと、日頃は大人しめな表情筋を忙しなく動かしていた。
 君、なかなか面白い子だね――僕がそう言ってやると、恐縮ですと身を縮こまらせていた。大袈裟に騒いだ自覚はあるらしいが、まあ、突拍子もなくこんな話を聞かされたらそうなるのも無理はないだろう。
 うんうんと頭を悩ませながら、しかしそれでも世長は問う。どうして自分にこの話をしてくれたのか、と。
「まあ……元々の理由は、自分だけが君の秘密を知っているのは不公平だと思ったから。君が立花を好きなこともそうだけど、彼女に抱くやりきれない気持ちとか、色々ね」
「う……その説はずいぶんとご迷惑を――」
「そういうのはもういい。あとは……そうだな、これはあのとき君に声をかけた理由にもつながるけど、君には何か似たものを感じている。共通点とかそういう浅いものではなくて、もっとこう、深いところで」
 この感情の正体が何なのかはわからない。わかるのは恋心や同情といった一言で表せるようなものではないということくらいで、自分の口から出た「似たものを感じている」という表現も正しいのかどうか。
 ただひとつだけ確信しているのは、世長創司郎という男に過去の自分を重ねているということ。
 僕は誰にも頼れないまま、たったひとつの沈黙を選んだ。口を噤んでいれば、感情を表に出さなければ仕打ちが増長することはなかったし、やがて他人は僕に興味関心をなくしていく。それが幼い僕にとって唯一にして最大の自衛手段だったのだけれど、気づけばこんなふうにひとりになってしまっていた。
 今まではそれでもいい、この人生において別段の支障はないと思っていたのに、誰も傍にいないがらんどうの世界がひどく淋しいものであるのだと、クォーツでの目まぐるしい一年を過ごして理解してしまったのだ。
 誰の手もとれない人生は……きっと、ひどく淋しくて、虚しい。
 ゆえに僕は彼に同じ轍を踏んでほしくないし、暗い闇に堕ちて道を誤ってほしくもない。まだやり直せるはずだ。世長創司郎という繊細で柔らかい人間は、まだまだみんなの元へ戻り、健やかに日々を過ごしていける。
 おのれが持つ頼りない身とつたない言葉で、この幼くも不安定な、ともすれば自己犠牲に走らんとする少年を守れるのなら――僕は、僕こそはそこに意味を見出そう。生まれて初めて感じるような、湧き上がる感情の息吹とともに、この少年を支えてやろうじゃないか。
「つらくなったら来るといい。僕はいつでも待ってるから」
「……なんで、」
「君の助けになりたいからだよ」
 そう言うと、世長は眉間にくっとシワを寄せながら小さく頷いたのだった。


20210425
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