HoYoverse

夢見が悪いわ

「――今ので五回目のため息。お兄ちゃん、さてはナマエのこと考えてるのね」

 不意に投げかけられたリネットの言葉。予想外のそれにリネは大げさに肩を跳ねさせ、あまつさえその場ですっ転んでしまいそうになった。
 ばくばくと激しく動く心臓を押さえながら、背後に立つ妹を振り返る。どうして、と問うと、リネットはふん、とちいさく鼻を鳴らした。

「逆に、どうして私がわからないと思ったのか聞きたいくらいだけど」
「そ、それは……ねえ、リネット――」
「昔からそう。ナマエのことを考えてるとき、お兄ちゃんはいつもあからさまにため息が増えてた」

 じっとりとした視線のままに吐き出される言葉たちは、リネにいくつもの図星を輝かせた。彼はうぐぅ、とうめき声にもならない声を漏らしながら、普段の饒舌な様子はどこへやら、もはや言葉をなくしている。
 フォンテーヌで一番人気の「大魔術師リネ」からは予想もつかないそのすがたは、果たして彼女の澄んだ瞳に、どのように映っているのだろう。

「ナマエのことになると、途端にダメになっちゃうんだから」

 ――おかげで、私はいつまで経っても待機モードになれない。
 情けない兄を真似たようなリネットのため息が、今だけは耳によく刺さる。ごめんね、と謝ってみるも、今ほしいのはそれじゃないと言わんばかりに冷たくあしらわれてしまった。
 
「彼女、もうすぐ帰ってくるわ。……迎えに行ってあげたら、きっと喜んでくれると思うけど」
「それは……もしかして、『さっさと行け』って言ってる?」
「私だって、たまには一人になりたいときがある」

 それだけ言って、リネットはすんと目を閉じた。
 これ以上話しかけるなと言わんばかりの行動は一見するとひどく冷たく見えるものだが、今だけはやさしく、リネの背中を押してくれる。

「……ごめんよ、リネット。ありがとう」

 ふかふかのソファの上で動かなくなったリネットに謝罪と感謝の言葉を述べ、重たい足をゆっくりと動かした。
 べつに、ナマエを出迎えることに対して躊躇いがあったわけじゃない。ただ、ほんの少しの準備がいるだけ。彼女の前に立つとどうしても気が緩んでしまうものだから、「大魔術師リネ」の仮面を被るためにいつもより集中する必要があるのだ。
 胸の奥に秘めた気持ちを誰にも悟られないよう、この仮面は何重にも重ねておかねばならないから。
 よし、とちいさく気合いを入れて、リネは部屋の扉を開く。外の空気を吸いさえすれば、ただの静かな少年から華々しい大魔術師へと、すっかり姿を変えられるから。

 
  ◇◇◇

 
(……本当に、めんどくさい人たち)

 ソファのうえでころりと寝転がりながら、リネットはゆっくりと両目を開き、天井に張りつく照明を眺めた。照明用マシナリーは少し古びてきていて、そろそろフレミネに手を入れてもらう必要があるかもしれない。
 人間関係にもマシナリーのように手を加える必要があることを、よもや身近な二人のおかげで再認識する羽目になるとは。それぞれが背負っているものがあるのは百も承知だが、それにしたってじれったすぎる。お互い好き合っているのはわかっているのに今ひとつ踏み出せないでいる彼らの距離感は、近くで見ているリネットにとってひどくもどかしいものだった。
 それが彼らなりの答えであるなら納得もできるが、しかし、どう見たって二人とも満足なんかしていない。柄にもなくやきもきしてしまうのは、それが一番の理由だろう。
 ……一階から声がする。陽気なリネの声色により、おそらくナマエが帰ってきたのであろうことがわかった。続くフレミネや他の弟妹たちもナマエのことを出迎えて、彼らが和気あいあいと過ごしているらしいことが、静かな私室で横たわるリネットにも壁越しながら伝わってくる。

(……私たちは、たしかに『家族』。それでも、リネたちの関係を厭うような人はいない。障害があるとすれば、私たちがファデュイの一員で、明日があるかどうかもわからない立場だってこと――)

 自分たちはただの魔術師ではない。スネージナヤに本部を持つ組織の一員で、エージェント。危険な任務を何度もこなし、糸を手繰るような生の道を歩いている。
「またね」が叶うような立場ではないことくらい、リネットだってわかっている。ただ――

(無責任なことはしたくない……でも、大事な家族の幸せは、少しでも願っていたいものよ)

 だから私は、ほんの少しだけお兄ちゃんの背中を押すの――それくらいのわがままは許してほしいわ。だって、このままどうにもならないなんて、それこそ夢見が悪すぎるから。
 取り留めもないことばかりを思いめぐらせながら、リネットは本格的に待機モードへと移行するため、意識をソファの浮遊感へと沈めはじめた。鼓膜をくすぐる子守唄は、階下よりずっと聞こえてきている、家族の健やかな団欒の声だ。


2024/03/27

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