HoYoverse

しあわせの残り香

 璃月には無数の人々が行き交っている。
 この国で生まれ育った者、他国から商売にやってきた者、祖国を追い出された者、のんびりと旅行に勤しむ者……それらすべてがナマエにとっては等しく愛しい存在で、彼はこの地に足を踏み入れるすべての者たちを愛していた。
 この璃月に生きる人間を見守り、共に暮らしていく――それこそが、亡き最愛の妻と交わした最期の約束だったからだ。
 ナマエの愛はこの土地に暮らす者に等しく注がれるが、しかし、そのなかにもほんの少しの「特別」があった。それはかつて彼が妻との間に残した子の残り香――いわゆる、彼の子孫となる者たちだ。
 ナマエは仙人譲りの異常な記憶力によって、おのれの血を引く人間の八割強を把握している。その知識を悪用することは決してないが、おのれの下に続く家系図のほとんどは、彼の脳内にしっかりと収められていた。
 そして、今まさに子孫のうちの一人がナマエの目の前を通りかかった。少年は明るく気さくな人好きのする気質で、その振る舞いはナマエのそれとよく似ている。

「おっ、ナマエの兄ちゃんじゃねえか! 今日は一緒じゃねえんだな、美人の姉ちゃんと!」

 彼の名は嘉明。翹英荘出身の、獣舞劇に打ち込む少年だ。
 港の隅でぶらつくナマエを見つけるなり、嘉明はその凛々しい顔をぺかりと崩してこちらに駆け寄ってきた。二人のやり取りはまるで旧知を匂わせるようなそれだったが、実のところ、こうして面識を持ったのはつい最近のことだったりする。

「ハハ、オレだってたまには一人で散歩もするんだぜ。つーか、むしろ誰かと一緒のほうが珍しいんだけどな」
「マジ? でも、オレが見るときは六割――いや、七割は誰かと一緒のような……」
「それはオマエのタイミングが悪いだけだな」

 ナマエがこつんと額をつつくと、嘉明はくすぐったそうにけらけらと笑って、ナマエの元を去っていく。今日は護送のために遺瓏埠のほうまで行くらしい。
 気をつけてな、と伝えてやれば、嘉明は元気よく走りながら、にっかとした笑顔を返してくれる。その姿にだぶついたのは、かつて過ごした幸せな日々だ。

(自分で言うのもなんだけど、本当によく似てるよな……)

 ぐんぐん小さくなる嘉明の背中を見送りながら、璃月港の潮風に向かってため息をひとつ吐く。
 ナマエが子を残してもう千年以上は経つが、嘉明を見ているとかつての息子たちを――否、まるで自分自身を相手しているかのような、複雑な気持ちにさせられる。以前なんかは兄弟に間違われたこともあった――それくらい、嘉明はナマエによく似ているのだ。体質や気質というよりは、何よりその見てくれが。
 嘉明と瓜ふたつなことについて悪感情を抱いたことはないが、それはそれとして、なんとなく落ちつかないこともある。亡き妻によく似た気質を持つヨォーヨの存在もあり、近頃の璃月港はナマエの精神をひどくざわつかせるのだ。
 まるで当時の――彼の人生においていちばん幸せだった頃――愛しい妻がいて、大切な子どもたちがいて、かけがえのない友人もいた美しい思い出の一時が、すぐそこに蘇ってきたようなほろ苦い錯覚をおぼえてしまう。
 そんなこと、ありえるわけがないのに。璃月の青空に鎮座する太陽を眺めながら、ナマエは再び、深く長いため息を吐いたのだった。


2024/03/22

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