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刹那的な逃避行

「――雨、ひっどいねえ」
 トクサネシティで雨が降ることは珍しい。
 宇宙開発センターが設置されているとおり、この街は晴れの日が多く風向きだって安定している、穏やかな気候を持つ場所であった。
 ゆえに雨に関してあまり注意を払っていないというか、何も考えていないというか、まあつまるところ無策を極めた私たちは通り雨に景気よく振られたというわけだ。
「あめふらしのニョロトノでもいるのかな? なんて……夕立ちだからじきに止むだろうけど、さすがにこのままじゃ大変、かな」
 全身ビショビショのダイゴくんが少しだけ気だるげに笑う。肩をすくめる彼はトレードマークのジャケットを脱ぎ、スカーフも外して、上半身はベストとシャツのみという軽装になっていた。雨の染み込んだ服をわざわざ着ておく義理はないし、それは正しい判断だ。――ただ、雫の伝う横顔や濡れそぼった髪の毛がいやに扇情的である、そのことを抜きとするならば。
 私は私でスタジャンを脱ぎ、上はキャミソールを身に纏うのみ。雨粒だらけのメガネが気持ち悪いので、外して胸元に弦を差し込んでいる。裸眼の視力は良くないが、濡れて歪んだ視界よりはこちらのほうがマシだろう。
「はい、なまえ。これ着て」
「うわっ……え、でもダイゴくんは」
「ボクは男だからね、心配いらない、平気だよ」
 水をはらったジャケットを私に羽織らせるダイゴくん。濡れてはいるがないよりはマシだと、おそらく服が透けるのを防ぐ意味合いもあったのかもしれない。私だって大丈夫だよ、プロトに乾かしてもらえるもの、そういった反論は彼の目線で遮られる。
 どこか有無を言わさないような、「御曹司」たるもの、「チャンピオン」たるものの空気。人の上に立つ人間が持ち得る、ある種のオーラのようなものに、私は思わずひるんでしまった。
「――と、このままフレンドリィショップの軒先に世話になってるわけにもいかないし……」
 すいと視線をそらしたダイゴくんは、未だ止む気配のない空を眺めてはつぶやく。遠方で聞こえるのはかみなりの音だろうか、なんとなく背中が粟立つような心地がした。かみなりはあまり得意でない。何か特別な理由があるわけでもないのだけど、本当に「なんとなく」私はそれを苦手としていた。
 仕方ないね、とダイゴくんが言う。刹那、彼は私の手を取って駆け出していた。目指すはおそらく彼の家、ここからは少し離れているけれど、やまない雨を待つよりはいくつも建設的な気がする。
 ばしゃん、と水たまりに足を突っ込むのも気にせず、私たちは雨に濡れた街の中を走っていた。郊外へ向かっていることもありどんどん人気のなくなるトクサネシティはまるで私たちしかいないようで、そう、ひいては世界が私たちだけのような錯覚すら起こさせる。
「なんか青春してるみたいだね、ボクたち」
 雨音に混じって聞こえてきた彼の声は弾んでいる。背中もどこか軽やかで、つられて私もステップを踏むかのように雨の中を駆け抜けた。
 10年前に手に入れられなかったものを追いかけるように、私たちは雨のなか、現実からの逃避行を繰り広げている。


title:アメジスト少年「雨やどりの誘惑」
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