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あなたとあたしのプロトム図鑑

「おっじゃまっしまーす!」
 ういん、とかすかな音を立てて開く自動ドア。ミアレジムの最奥部――この研究室の扉はパスコードを入力しないと開かない仕組みになっており、この場に足を踏み入れられる、それこそが他でもないシトロンくんの歓迎の証であるのです。
 見知ったジムの見知った通路を進み、見知ったドアで見知ったコードを入力し見知った部屋のなかへ入る。見知った内装と見知った装置のあるなか、見知ってはいれど無造作に転がるネジやコードを踏まないよう見知った彼のもとへたどり着くのは至難の技なのですが、数多あるパーツの罠をくぐり抜け、無事に乗り越えられた者にのみ、彼の笑顔はもたらされるのだ。
「こんにちは、なまえさん。今日もありがとうございます」
 ふ、ふ、ふふ、ふふふふふふふ。ナイススマイルですシトロンくん。
 未だ目の前の発明品から目と手を離さないシトロンくんは、しかしつとめてにこやかに歓迎の意を示す。横顔ながらふわりと微笑むシトロンくんは、もう、もうなんと申しましょうかこの世に舞い降りた天使と言うも生ぬるいような、まるであたしのこの邪な考えすら浄化してしまうような神々しさを持っていました。
 今にも爆発しそうな鼓動を隠して彼の作業が終わるのを待つあたしは、どうにか冷静になろうと手元のタブレットで今回持ち込んできた資料を眺めていました。これでも一応れっきとしたプラターヌ博士の弟子兼助手でありますからね、かつては図鑑を託され研究所より旅立った身、こういった資料の収集・作成にはそれなりの自信があります。
 ロトムというポケモンの習性や特徴、フォルムチェンジの原理、規則性、タイプ変化、またそれによってもたらされるロトム本体の変質。先日できた新しい後輩にロトムのタマゴを譲っていただきまして、あたし自身も1からロトムを育てたりしながらコツコツ素材を集めたんですよ。
「――よし、っと」
「あ、終わりました? お疲れ様です!」
 ちらりと覗き見てみると、シトロンくんの視線の先にあったのは赤い、ぶ厚めの板のようなもの。例えるならば食パンのような、少し変則的な四角形のそれは下部に大きなモニターがついており、あたしを今日呼び出したこともあってそれが何なのかは想像に容易い。
「これ、もしかして……!」
「はい! ロトム図鑑のプロトモデルです!」
 開発本部におおまかな原案を作ってほしいと請われたらしいシトロンくんは、いよいよロトム図鑑の開発に大手をかけているようです。他にも著名な発明家がいるなか、まさか自分にそんな大役がまわってくるとは思わなかったとキラキラな笑顔で話すシトロンくん。まぶしい、尊い、いとおしい……
「なまえさん、ロトムを出していただいてもいいですか」
「わかりました! おいで、トーマス!」
 懐から取り出したボールより勢いよく飛び出すロトム――もとい、トーマス。でんきタイプの扱いに長けているからかひどくシトロンくんに懐いていて、ここで出すともうシトロンくんにへばりついて離れないのです。
 しかしシトロンくんにトーマスを邪険に扱うような素振りは一切なく、ただ純粋に慕われているのが嬉しいのだろう、満面の笑みを浮かべてトーマスとじゃれついてくれる。撮りたい、嗚呼、ここにビオラさんがいたら撮ってもらえたろうに、嗚呼、ああ……
「トーマス、ちょっとこのなかに入ってもらってもいいですか?」
「トットット!」
 シトロンくんの手中にあるのは先ほど完成したばかりのロトム図鑑のプロトモデル――言うなればプロトム図鑑。他でもないシトロンくんのお願いなのだ、トーマスが二つ返事でプロトム図鑑のなかへと入る姿を、あたしは数歩離れたところから見守っていた。
 当たり前といってはなんですけれども、トーマスは以前からシトロンくんの研究・開発には協力的でして、こうやって動作確認をするのは初めてではないのです。もちろん身の危険はありますしともすれば命に関わることにもなりかねないのですが、シトロンくんは出来るだけ負担が少なくなるよう努めてからトーマスを頼ってくれますし、何よりこればっかりはね、あたしがとめても聞いてくれないんですよ。おやより懐いてますこの子。
 トーマスがプロトム図鑑に入り込んだその瞬間からおよそ数秒間、とてもじゃないけれど目を開けていられないくらいの閃光が辺り一面を照らす。その間もシトロンくんにプロトム図鑑を離す様子がなかったのは、おそらくトーマスが自分に懐いている=自分がそばにいれば負担やストレスが減る可能性があると考えたこと、またもしものときに周りへの被害を抑えるためでしょうか。強い子ですね、本当に、物理的にも眩しいですね。
 程なくして発光がやみ、あたしもプロトム図鑑の様子をうかがおうと思い、シトロンくんの背後よりそーっと覗き込んでみました。しかし画面は暗いまま、何の音沙汰もありません。さすがのシトロンくんも厳しい顔をしています。このまま何も反応がなければ無理やりにでも図鑑とトーマスを分離させて――
「――ビ」
「び?」
「び、ビビビ、ビビビビびビビびびびびびBiび…………」
 奇怪な音声を立てながらプロトム図鑑が震え始める。振動により発熱し始めたのだろう、シトロンくんは顔をしかめていますがプロトム図鑑を手放す様子は見られません。あたしが代わります、そう声をかけようとシトロンくんの腕を掴んだときだった。
「だめロト」
 ふと下方よりかかった声にあたしの手がとまる。
 は? なに? だめ? 何が?
 頭にクエスチョンマークを浮かべるあたしを嘲笑うかのように、プロトム図鑑はシトロンくんの手を離れてふよふよと浮遊し始めた。
 プロトム図鑑は再びぶるぶる震えたかと思うと、にょきん、と角のような部分と手のような部分を突出させる。モニター部分も不規則に点滅したかと思えば何やら絵文字のようなものを表示しており、そこにあるのはバッテンマーク。プロトム図鑑――否、トーマスが怒りを表していると察するのは容易かった。
「あんまりベタベタしちゃダメロト、ヤキモチ妬いちゃうロト」
「や、やきも、ハァ!? ダメですダメダメ! だだだだってロトムは性別不明――」
「性別不明でもおおまかな性別くらいあるロト! 『トーマス』なんて男の子の名前つけられてがっかりロ、あたしは女の子ロト!」
「それなら最初に言っ――は?」
 待って、トーマスが、しゃべって、いる?
 ふとシトロンくんのほうを見れば、歓喜に震えているような、けれど至極冷静に場を分析しているような面持ちでプロトム図鑑を見つめていた。
「トーマス、どこか不具合はありませんか?」
「ビビ……ちょっと体が重いロト。あと図鑑のデータを引っ張ってくるのに少し時間がかかるロト」
「なるほど、全体の軽量化と……もしかすると個体ごとに回路の相性もあるのかもしれませんね。もう少し試行錯誤が必要なようです」
 ふむ、と深く考え込むシトロンくんと、開いた口の塞がらないあたし。あたしが呆然としているのに気づいたらしいシトロンくんは、どこか誇らしげにあたしを見ながら言った。
「翻訳機能、つけてみました」
 一人旅になると淋しいですからね、そうこともなげに話す姿はなるほど天才少年といったところでしょうか。「つけてみました」で機能しちゃうところがもう、もう、ナイスシトロンくん、ナイスエンジェル、ナイスエンジニア、あなたがいてくれればそれだけできっと世界の未来は明るいですね。
「ありがとう、トーマス。きみのおかげでぼくたちの研究はまた1歩先に進めました!」
 君の笑顔は100万ボルト――!
 全身しびれたような感覚に陥るあたしをトーマスが鼻で笑う。トーマスの異変に気づいたシトロンくんが後ろを振り向くその数秒の間に体制を立て直したあたし、我ながらグッジョブだと思うんです。
「では図鑑の微調整をして、一度本部へデータを送ります。お二方の、あともう少しお付き合いをお願いしますね!」
「おー!」
「もちロトム、ロト!」
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