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かさなるエレジー

死ネタ注意

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「おっ! なまえちゃん、明日うちで歌ってくれない? お客さんがいっぱい入っててね、君の歌をご所望なんだ」
「ヒッ――あ、は、はいっ……」
「……どうしたの? 緊張してる?」
「あ、いえ、っと、大丈夫です! えっと、また夕方。お話聞きに、いきます」
「よろしくね! お客さんはもちろんだけど、俺も奥さんもポケモンたちも、みんな君の歌が大好きなんだ!」
 ――なまえは、「男」に怯えるようになった。


 先日の変質者の件から一変、なまえはいわゆる男性恐怖症に陥った。男と面と向かって話すのはもちろん、触れられることを異常に恐れる。1対1で話などしてみろ、錯乱といっても差し支えないほど取り乱して泣いて怯えて、時には過呼吸のような症状すら起こした。
 平気なのはお互いの家族くらいのもので、必然的におれとなまえは前にも増して共に過ごすことが多くなった。おれがいないと不安そうに体を縮こませてオシャマリを抱く、あんな姿を見て放っておくことなど出来るものか。おれの用事にも、なまえの用事にも、出来うる限りでおれたちはずっと一緒にいた。太古の人々が火のもとに身を寄せあって命を繋げたように、おれがなまえにとってのそれであればいいと。
 そして、はにかんだように浮かべるなまえの笑顔のそれこそが、おれにとっての確かな炎であったように。
「今日、おれは牧場の手伝いがあるから……来てくれるか?」
「うん!」
 おれの部屋でブーバーと戯れていたなまえに声をかけ、おれたちはオハナ牧場への道を歩き出す。オハナタウンから牧場まで、何年経っても変わらない景色、変わらないポケモンたちに安らぎをもらうのは恐らくなまえも同じなのだろう。なんとなく、家にいるときよりも落ちついたような顔色を見せ、目元をうんと細めながら通りかかるヨーテリーやドロバンコを見送っていた。
「そういえば、あのケンタロスは大丈夫?」
「……危ないかもしれないな。もう随分と長い間寝たきりだし、今日明日が峠かもしれないと――」
「うそ……! は、はやく行かなきゃ」
 いてもたってもいられないと駆け出したなまえを追いかけ、おれもまた牧場への道のりを駆ける。おれたち2人とも歩き慣れた道とあって、道中の段差や起伏に足を取られることはほとんどなかった。
 なまえが焦るのも無理はないのだ、何故ならいま病床に臥しているのはかつておれたちが出会ったとき、ずっとなまえのそばにいてくれたあのケンタロスなのだから。父や祖父の代からずっとこのオハナ牧場にいたらしいあいつはうちの一番の長生きで、妻であるミルタンクもまたオカミサンほどではないが牧場のポケモンたちをまとめてくれる重鎮的な存在だ。その片割れがここ数ヶ月ずっと病に苦しんでおり、父も医者も皆口々に言う。そろそろ寿命なのだろう、と――
「ケンタロス! ケンタロスッ、大丈夫……?」
「……ぶも」
「やだ! ッやだやだ、しっかりして……!」
 飛び込むように牛舎へ足を踏み入れたなまえは、一目散にケンタロスへと駆け寄る。ずいぶん痩せた体を抱きしめ、撫でさすりながらその名を呼んだ。そばにいたおれの母はやるせなさそうになまえを見ていて、おれはその視線でなんとなくわかってしまった。ケンタロスの命の火が、もはや風前の灯であることを。
 脳裏をよぎるのはケンタロスとの思い出ばかり。初めて背中に乗せてもらった日のこと、バトルの相手をしてもらったこと、芝生に寝転んで空を見たこと、牧場の手伝いをサポートしてくれたこと。そして、他でもないなまえとの出会いの、その場にいてくれたこと。
「……も」
 つい、とケンタロスが鼻先でなまえの口元を示す。枯れ草のそばに座り込んだまま、おぼつかない動きでリズムを刻もうとするその意味は、すなわち――
「……あたしに、歌って、って……?」
 こくり。うなずくケンタロスに、なまえもまた力強くうなずいた。
 おれをちらりと窺いながら、なまえは大きく息を吸う。そしてひどく懐かしい旋律をその透き通った声で奏でた。出会いの日に聞いた歌だ、それはなまえの家に伝わっていたらしい海の民の歌。人を愛し、ポケモンを愛し、海を愛し、世界を愛す。このオハナタウンにやってきてから少しずつ心境の変化があったらしいなまえは、時折この歌に大地への愛を織り交ぜては歌った。
 大地を、陸を愛することを知ったなまえは、その想いを歌に乗せる。目を閉じて聞き入るケンタロスはこのところ見せなかった安らぎの表情を浮かべ、まるで幼子にでも帰ったかのような、ひどくにこやかな笑みをかたどっている。
 そして、ありがとうとでも言いたげになまえの頬をぺろりと舐め――そのまま、息を引き取った。



 生と死は決して切り離せないものである、それは万物の理だ。
 牧場の家に生まれた者として、ポケモントレーナーとして片時も忘れてはいけないこと。命を扱い、命に助けられ、生きている限り命と触れ続ける人間は、けれど時としてこの必然を忘れてしまう。
 そして、無意識に遠ざけていればいるほどそれは突然にやってきて、その心を押し潰さんとする。まるで「忘れるな」とでも言わんばかりに足をつかみ引き込もうとする、その感情の正体もまた、死への恐怖にほかならない。朗らかにあるものほどその痛みは強く、激しく、確実に身と心を蝕んでゆくのだ。
 何度でも、そう、何度だろうとも。
「――なまえ」
 大丈夫か、と声をかけようとして、やめた。大丈夫なわけがないのだ、家族にも等しく思っていたケンタロスを目の前で亡くしたうえ、後を追うようにミルタンクもこの世を去った。1週間と経たずに襲ったふたつの慟哭は、先の件も相まってなまえの心を暗雲のごとく曇らせる。もはや涙も枯れた頃、なまえはおれの顔を見ながら、言った。
「カキは……?」
「――は、」
「カキはどこへも行かないよね?」
 それは縋るようなひと言。おれの目を力なく見つめ、ほとんど力の入らない手でおれの腕を掴みながら言う。いかないで、そう言わなかったのは、否、言えなかったのは2匹の件が胸のうちに深く突き刺さっているからだろう。いかないで、ひとりにしないで、そんな嘆願は簡単にはねつけられるとなまえは痛いほど、知ってしまった。
 そして。
「…………当たり前だろ。おれは、アーカラの炎から――ヴェラの山から離れない、そう決めている」
 その問いかけに対して「ノー」と言えなかった、そのこともまた、おれの弱さの表れだった。
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