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ダイゴの花が咲く

「……ふあぁ」
 ――眠たいなあ。
 眠気になんとか抗おうとするわたしは、モンスターボールのひとつやふたつまるっと入りそうな大口を開けて、まぬけなあくびをひとつした。
 食後の心地よい満腹感はわたしに穏やかなまどろみを連れてくる。今にも夢の世界へ飛び立ちそうな意識をどうにか覚醒させるために散歩に出ていたところだったのだが、どうやらそれもあまり意味はないようだ。
 ここはカナズミシティ。ホウエン地方いちばんの都会、いわゆる大都市である。訳あってシダケタウンの田舎から越してきたばかりのわたしにとって都会の空気は不慣れであり、もとよりシダケからそれほど出たことがなかったのも相まって、ここに来てから出不精に拍車がかかっていた。しかしさすがにこのままではいけないと頭の片隅で思い、この堕落した生活をなんとか更生しようと外へ意識を向けてみたものの――町中をぶらつけどねむけざましにもなりゃしない。これは失敗だったかな、部屋で惰眠を貪るべきだったかと、元来の引きこもり気質が顔を出してきたところで。
 ――わたしは、いわゆる運命の出会いを果たすこととなる。
「ずいぶん大きな“あくび”だね。ボクのメタングも眠ってしまいそうだ」
 背後からかけられた穏やかな声にわたしは思わず肩を揺らす。いつになく素早い動きで振り返れば、そこにいたのは春を身にまとったようなあたたかい空気を持つ、水色の髪の青年だった。
「ふぁ!? あ、あのッ――」
「ああ、ごめん。驚かせたかな? 見事なものだったから、つい」
 くすり、爽やかに笑う好青年がわたしのあくびに突っ込んでくる。突っ込むといっても嫌みではなく、その立ち姿のごとく振る舞いまでもが清らかだ。風が吹くイケメンとはまさにこのことか、かつて読んだマンガの一節がふと頭をよぎる。
「えぇと……あの、」
「うん?」
「そ……そんなに、見事な、あくびでした……?」
 街中、往来、そして美青年に話しかけられた衝撃に耐えきれずふざけたことを口走るわたし。死にたい! そう思った。
 けれど目の前の彼はわたしの戯言に驚いた様子を見せたかと思えば、今度はなぜか声をあげて笑い出す。その所作ですら品のあるお人、さぞかし育ちのいい方なのだろうな。胸元を彩るワインレッドのスカーフもおそらくわたしなんか手の届かない上等な品だと思われるが、けれどその質を鼻にかけるような気配や様子をまったく感じられない。成金や悪党とは一線を画している。
「うん、ボクは嫌いじゃないな。わかるよ、こんなぽかぽか陽気の日は眠たくなるよね」
 ぐ、と空を仰ぐ顎のラインにわたしの目は釘づけとなる。目を細めながら陽射しを見つめる視線の動きひとつすらひどく様になっていた。
「きれい――」
 思わず口をついて出たひと言に、目の前の彼はハッとしたように目線を下げてわたしを見る。あわ、ちがう、あの、と慌ててしどろもどろになるわたしにも呆れる素振りはない。ただひどく穏やかに、優しく笑って、うなずいた。
「綺麗だよね。この太陽も、しぜんのめぐみも。星の営みは本当に素晴らしいものだから」
 ふわり。花が咲いた、そう思う。彼の笑顔も、わたしの胸にも、それはまさしく「花」があった。恋の花とでも呼ぶべきそれが、音もなくわたしの胸に巣食い、そして静かにねをはるのだろう。
 じゃあね、と手を振って立ち去る彼に別れの挨拶をする余裕もないまま、わたしはその場に立ち尽くす。名前も聞けなかった、そんな後悔がやってきたのは家に帰ったあとのこと。今はただ彼に会えた喜びと熱く高鳴る胸の鼓動に、ひたすら浸っていたかった。
「また、会えるかな……」
 そして、インドア派をこじらせすぎたわたしの趣味が周辺の散歩となるのも。彼がホウエン有数の大企業であるデボンコーポレーションの御曹司だということを知るのも、また少し先の話である。


その後散歩の範囲が広がりに広がったりストーカー気質を発揮したりしてトクサネのお家を突き止めるとか突き止めないとか
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