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ちいさなせなか

「シトロンくん! 今ちょっといいかい? エレザードの育成についてなんだが――」
「いたいた、おーい! ジムリーダー、今日こそバトルしてくれよー!」
「ごめんねシトロンちゃん、実はうちの店の冷蔵庫がおかしくなっちゃって――」
 もはや雑音にも等しい人々の声を受け、シトロンくんは今日も忙しそうだ。
 誰に対しても笑顔で接し、敬語を崩さないままあくせく働く彼はこのミアレシティのジムリーダーで、そしてわたしの幼なじみ。奇しくも同じミアレ病院で同じ日のほぼ同じ時間に生まれたわたしたちは、何らかの縁を感じたらしい両親によって何をするにも一緒に育った。勉強も、ポケモンも、機械いじりも同じように教わって、けれどそのどれもがわたしにはうまく身につかず、まるでわたしの才能を吸い取ったかのようにシトロンくんはそのすべてを着実に我がものとしていった。同じ日に生まれたことも相まってまるで双子のよう――そう言っていたのは誰だったか。
 話を戻そう。その反面、わたしは芸術方面や美的センスに恵まれていたようで、シトロンくんの発明品のデザインやポケモンの手入れなど、また違った方面で彼のサポートを任されている。花嫁修業と称して身につけさせられた家事の腕もここで活きており、メカやポケモンに夢中で散らかり放題の彼の部屋を片づけたり、寝食を忘れて没頭する彼のために手早く摂れる食事を用意したり、さながら母か姉にでもなったようにわたしは彼の世話を焼いていた。揶揄とはいえ双子とはいったい何だったのか、まあ別にどうでもいいのだけれど。
 良く言えば心優しい。悪く言えばヘタレ。妹のユリーカちゃんがハツラツとした子であることも相まって、シトロンくんはどこか気弱で内向的だとからかわれることも多かった。そのたびにわたしがいじめっ子を黙らせていたのだけれど、年を取るごとに機械やポケモンに没頭していく彼の背中を見るのがわたしはなんとなく心苦しくて、余計に彼から目を離せずにいたように思う。それは罪悪感なのか彼の父親から「息子を頼む」と言われたゆえの義務感からなのか、果たしてどちらなのかまだわたしにはわからない。でもどうしたってあの背中を放っておけないのだ、誰よりも何よりも期待や重荷を背負うその姿に、わたしは幾度も胸を打たれては感情の波を乱していた。
 そしてわたしは雑念を振り払うように自身の作業に身を投じる。今日のバイトはトリミアンのカットだ。きのみで毛を染め、ハサミを我が手のように扱い思い思いの姿に変える。トレーナーとトリミアン双方の意見をうまく取り入れて万全の結果を出すことは本当に難しくて歯がゆく思うこともあるけれど、完成したときの達成感やお客様に喜んでもらえたときの充足感は何物にも変えがたい。わたしはこの仕事が好きだ。ポケモンだって大好きだし、人に喜んでもらうことが好き、人に尽くすことが好き。何かを身につけることで新たな道が拓けるような、この感覚が本当に大好きだった。
 だから正直なところ、シトロンくんの世話を焼くこともわたしは別に苦じゃないんだ。彼が笑ってくれるなら、負担を少しでも減らすことが出来るなら、それがわたしの幸せや喜びに繋がっていくから。


 そうこうしているうちに先ほどの呼び出しをまるっと片づけたのだろう、なんとなく肩を落としながら戻ってきたシトロンくんは、けれどわたしの存在に気づかないまま道端のベンチへ腰掛ける。小さな体にオーバーワーク、負担がかからないわけがない。わたしは背後からこっそりと近づいて、ふぅ、と小さく息を吐いて肩を揉む、その手にわたしの手を重ねた。一瞬びくりと肩を震わせたシトロンくんは、けれどわたしの手の感触に覚えがあったからなのだろう、すぐに緊張をほどいて身をゆだねてきた。
「いたんだね、なまえ」
「うん。じーっと見てた、今日も大変そうだねえ」
「あはは……でも、これがぼくの仕事だから」
 出来ることはやらなくちゃ。そう言いながらシトロンくんは傍らのモンスターボールを手に取り、慈しむようにして中のエレザードとレアコイルを見つめた。ミアレの天才少年がこんなにも小さくてこんなにも優しい男の子であること、街の人々は覚えているのだろうか。
 機械の扱いに秀でているからといって彼が機械なわけじゃない。ジムリーダーにだって私生活はある。プライベートも、個人の事情も、好きも嫌いもイヤも疲れたもあるというに、彼を慕う人間はみなそれを忘れているかのように何かあれば彼を頼る、たとえ彼がどれほど多忙でどれほど彼が滅入っていても。
 そしてシトロンくんがそれらを撥ねつけることはない。「出来る」彼であるからこそ、「出来ない」苦しみを知っているからだ。ひとりで出来ない悔しさ、叶わない歯がゆさ、人を頼れる強さ、それらすべてを我が身をもって経験しているからこそシトロンくんは受け入れる。そのかなしみを癒す手立てが自身のなかにあるのなら、と。
「……わたしにも、手伝えたらいいのに」
「え?」
「ジムリーダーじゃないから、バトルは無理でも。メカとか、育成の相談とか、そういうの出来たらよかった」
 ぐ、と彼の肩を指圧する。マッサージは最近覚えたことだ。痛みに跳ねる肩を押さえつけて続行すれば、少々街中であげるには相応しくない叫び声がもれた。背後のヤヤコマが飛び立ち微睡むメェークルは目を覚ます。我慢して、そう言うとシトロンくんは拳を握りしめて声を噛み殺した。
「シトロンくんばっかり、しんどいの、やだな」
 ぽろりと漏れた言葉にシトロンくんが顔を上げてわたしのほうを振り向いた。まあるいレンズの向こうの瞳はよく見えない、けれどとにかく驚愕に染まっていることはなんとなくだがわかった気がした。程なくしてその顔はふわりと微笑みにかわり、面食らったわたしの頬へシトロンくんの手が伸びてくる。発明の連続で年齢不相応に荒れている、男の子の指先だ。
「そんなこと言ってくれるの、ユリーカとなまえくらいだよ」
「そう?」
「うん。嬉しいな、なまえたちがそう思ってくれるからこそ、ぼくはたくさん頑張れるんです」
 ――ありがとう。
 そう言ってシトロンくんは笑う。太陽を反射して輝く、わたしの大好きな笑顔だ。
「なまえが居てくれなきゃ、多分ぼくはまともに生きていけないので。これからもよろしくお願いしますね、出来ればその、ずっと」
「そりゃもちろんそのつもりで――ん?」
 ほんのりと頬を染めるシトロンくんは、どこか落ち着かない様子でベンチを立って歩き出す。わたしの返事を聞いたのか否か、それはもう彼にしかわからないし、わかったとしても多分わたしにその真意を聞く勇気はない。
 ずっと一緒にいる。子供のわたしたちにとってはごく当たり前の概念が、しかしなんだか別の意味を孕んでいるような気さえする、そんな昼下がりの出来事だった。


リクエストボックスより、シトロンくんと同い年の女の子でした。同い年ということでこんな感じになってしまいましたが、いまいちリクエストに添えていなかったらごめんなさい。
リクエストありがとうございました!
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