手のひらの間に
小さな庭の傍らに、うず高く盛り上がった土の山がある。
不格好な十字架の建てられたそれが何かの墓標であることも、その下にその「何か」が埋まっていることも。そして、おそらく幼い子どもが手ずから作り上げたものであることもひと目で理解できるほど、その物体は上から下まで立派な「墓」であった。
――ここに、この人の大切な存在が眠っているんだな。
墓前にしゃがみ込んで神妙な様子で手をあわせる想い人の背中を追うように、ヒビキもまたその墓標にゆっくりと頭を垂れた。
どれほどの時間が経っただろうか。重苦しい静寂はもはや悠久にも感じられるほど長く、マサラタウンの閑静な風合いも相まって時の流れが止まったのかと錯覚してしまいそうになる。
かすかな衣擦れの音を立てることも憚られるほど、この場にはひたすらの静が横たわっていた。
「……あの頃のアタシには、これで精一杯だったんだよね」
沈黙を破ったのは、予想外にも彼女の――ナマエのほうであった。当時を懐かしむように、けれども確かな自嘲を孕ませて、彼女は口元だけで笑みをかたどる。
「何にもわからないまま埋めて、子供だましみたいなお墓を建てて……。ポケモンタワーに行けば? ってグリーンにも言われたけど、アタシ、それは怖くってさ。あの子の死を認めたくなかったんだろうね」
手のひらを何度も開いて、閉じて。感触を確かめるようなその動きから、おそらく生前の思い出を反芻しているだろうことは簡単に察せられた。否、もしかすると冷たくなった肉を、土の下に眠る骨のそれを思い返しているのかもしれないけれど。
「多分、今もうまく受けとめきれてないんだと思う。……こんなに未練たらたらじゃあ、この子にも悪いってわかってるくせにね」
ナマエが取り出したのはフシギバナの収められたモンスターボールだ。カプセル越しながらも伝わってくる、心配そうにこちらの顔色を窺っているフシギバナの様子。育て始めてまだ数ヶ月だというのにここまで懐いているという事実も、彼女が選ばれた存在であることの証左であった。
ナマエは微笑みながらそっとボールにキスをする。その手慣れた動作は、ポケモンを繰り出す際に彼女のよくやることだった。
このフシギバナはナマエがロケット団から足を洗った際にオーキド博士から贈られたもので、彼女と博士との信頼関係を証明する大切なポケモンである。ナマエは優秀なマサラのトレーナーだった。優秀で、ポケモン想いで、繊細な心を持っていたからこそ、相棒の死を受けとめきれずに闇へと堕ちてしまったのだろうし――今もなお、堕ちてしまった闇の欠片に苦しめられているのである。
「ナマエさん――」
弱々しく声をあげる。途端、憂いていた横顔はすぐに大きく目を見開き、ゆっくりとヒビキのほうへ向けられた。なあに、と唇の動きだけで発せられたその一言に、どうしてこんなにも胸がかき乱されるのだろう。
「――そろそろ出発しませんか? 朝方イトマルの巣に水滴がついているのを見たので、今日はきっとにほんばれですよ」
「ほんと〜!? あはは、ヒビキったら本当によく見てるんだねえ。……んじゃま、トキワに向かおうか」
下半身を軽く叩きながら、ナマエは何かを振り払うように勢い良く立ち上がる。高い空を見上げて、大きく伸びをして。そして、天に伸びていたその手はゆっくりとヒビキの目の前に差し出された。
……喉からはみ出そうになった綺麗事を、すんでのところで飲み込んだ。自分には何も言う資格はない。ポケモンを――特に、苦楽を共にした相棒を亡くした経験のない自分が、安っぽい慰めの言葉などかけていいはずがない。
そういう舐め合いが許されるのは、例えばかのトキワシティジムリーダーのように、近しい思いを抱いている人間だけだ。
刹那、ずんと腹の底が重くなる。ヒビキはこのみみっちくも情けない感情の出どころや名前をよく知っていた。身勝手で穢らわしい、子供みたいな青い衝動だ。
――情けない、情けないな。もっと大人になりたいのに。
そっと重ねたナマエの手のひらは、女性らしく白くて細いそれであるはずなのに、なぜだかひどく大きなものに感じられた。
20210923