Pokemon

裏切りの味は舌にひりつく

あんまり明るくない話です

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 ペパーという青年に、友だちはあまり多くなかった。
 なぜなら彼はいつだって、「あのフトゥー博士の息子」というレッテルを背負わされているからだ。背中に貼りつけられたそれはいつも彼を孤立させ、彼に向けて後ろ指をさす、そんな要因でしかなかった。
 このパルデア地方における最高峰グレープアカデミーでもそれは変わらず、いつしか彼は自ら進んで孤独の道を征くようになった。相棒のマフィティフさえいればそれでいいと。どんな孤独のときでさえ救ってくれた彼が隣にいてくれるなら、もうそれだけで満足だと。
 そうした憐れで淋しい虚勢を張りながらアカデミーの生活を送るつもりで、ペパーは日々を生きていた。

 そんな独りの日々に少し疵が入ったのは、彼が二年生に進級したばかりの頃だった。入学式と宝探しの開会式を見送り、ああ、今年もみんなあのテラスタルみたいにキラキラしてやがるな、なんて嫌み混じりに舌打ちしていたときのこと。
 彼の背中にかけられた、聞き馴染みのない呼び声がひとつ。やけにハツラツとしたその子供は、やはりハツラツとした笑顔で、ペパーのことを追いかけてきていた。瑞々しい木の枝を思わせる焦げ茶の髪と、まっすぐに透き通った灰色の瞳が印象的な少女だった。

「あのっ、二年生のペパーくん? ですか?」
「あぁ? ……なんだよ、いきなりそんなふうに言って。随分な不躾ちゃんだな」
「え! えっと、すみません! あたし、今年このグレープアカデミーに入学してきたナマエって言って……そのぉ、ペパーくんとお友だちになりたいんです」
「ハァ!?」

 ――怪しい。ペパーの第一印象はそればかりだった。
 なぜかというと、こんなふうに話しかけてくるやつには無数の覚えがあったからだ。そのうえみんな裏がある。結局こいつらはペパー本人などではなく、彼の向こう側にいるフトゥー博士を目当てにしていた。あの高名な博士の息子さんであるならきっとあなたも――あいつと親しくなればフトゥー博士とのコネクションが――適当に優しくしておけばすぐにたらしこめるだろ――そんな言葉を、何度も背中に受けてきた。
 ペパーの警戒心は最高潮だ。バトルはあまり好きではないが、もしものためにマフィティフにも協力してもらう必要があるかもしれない。腰のモンスターボールに手をかけながら、不釣り合いなほどおだやかな木漏れ日の下、目の前の少女の様子をうかがう。
 ペパーの警戒心を知ってか知らずか、少女は少しだけひるんだようでありながらも、やはりまっすぐに言葉を投げてくる。

「だって、ペパーくんってマフィティフのことをとっても大切にしてるでしょう? あたしもね、ミミッキュとカルボウっていう大切なお友だちがいるんだけど、まだまだ仲良くなれなくて……だから、ペパーくんにポケモンとの付き合い方を教えてもらえたらなって思ったの!」

 ――空いた口が塞がらなかった。今度はまったくの正反対な要因によって、ペパーは動きを止めてしまった。
 少女の――ナマエの様子をうかがうかぎり、彼女が嘘偽りを言っているようには思えない。いささか難のある大人に縁があったせいか、人の嘘、欺瞞、虚偽、そういったものには人一倍敏感だったし、勘も鋭いほうだった。
 だからこそ、ナマエの言うことがすべて真実であると判断できたのだ。実際、彼女の後ろには自由気ままにビビヨンを追いかけているミミッキュの姿があったし、もう少し離れたところにはやはり素知らぬ顔でうろつくカルボウも見えた。
 全部、“本気”だってのか――? 張りつめた警戒心をほんの少しだけ緩めながら、ペパーはナマエの言葉に頷く。

「ただし、オレとマフィティフにはオマエたちと比べ物にならないくらいのかったーい絆がある! だからオマエたちをオレたちと同じくらい仲良くしてやれるかはわからねえが……まあ、てだすけくらいはしてやるよ」

 ペパーの返答に、ナマエはひどく晴れやかな笑みを浮かべて喜びを露わにする。つられて綻びそうになる頬をなんとか律して、ペパーは軽く腕を組みながら、目の前の三人を見やった。
 デコボコなふうでもあるが、それでもお互いを嫌っているようには思えない。きっと道筋がわからないだけで、少しつついてやればすぐに仲良くなれるだろうと――そんな印象を抱くような面々だった。

(……なんで受けちまったんだろ。こんなの、めんどくせーって決まってるのに)

 ――嬉しかった、のかもしれない。「フトゥー博士の息子」ではない、ただの自分に声をかけてくれたことが。遠巻きにするでも、距離を置くでもなく、ただひたすらまっすぐに接してくれたことが。
 ナマエという少女にたいして覚えたいわれのない「懐かしさ」がそれを手伝ったことも否定できない。初対面のはずなのに、まるでひどく見知ったような、うまく言語化することのできない既視感を彼女に覚えている。
 知らぬ間にボールから飛び出していたマフィティフも、ペパーの心境を察しているのか、その顔をくしゃりと歪めて笑っていた。
 ペパーの心の奥に貼られた壁に、小さなヒビがひとつ入ったように思われる時間だった。


  ◇◇◇


 それからというもの、ナマエはまるで毎日のようにペパーのもとを訪れた。

「あのねあのねっ、ペパーくん! みてみて、カルボウが抱っこさせてくれたの!」

 ある日は、カルボウが初めて抱っこさせてくれた喜びを伝えに。

「ペパーくん、ペパーくん! 聞いてよー、ミミッキュがあたしのことぶったんだよー! ひどいよねぇ、あたし、お父さんにもぶたれたことないのにさ!」

 またある日は、ミミッキュとケンカしたことをぶすくれながら報告してきた。

「そういえば、総合コースのネモちゃんが生徒会長に選ばれたみたいだよ! まだ一年生なのにすごいよね」

 その次の日には、なんてことない世間話をぐだぐだと話して帰っていった。
 気づけばペパーの毎日には、当たり前のようにナマエの存在が練りこまれていて。ついには「そろそろアイツが来る時間だな」なんてことばかりを考えながら、彼女のためのサンドウィッチをこさえる日々となっていたのである。

(――くそ、なんでこんなことばっかやってんだ)

 自嘲と自虐をトマトのヘタと共にゴミ箱へ捨てる。なぜならナマエの顔を見た途端、そんな憂鬱は全部消えてなくなってしまうと知っていたからだ。
 しみったれた日々も彼女の笑顔がすべて払う。まばゆい太陽にでも照らされたかのごとく、気づけば笑って、「たのしい」なんて思ってしまう。
 久しぶりにできた「友だち」は、ペパーにとって大切なものを、たくさん落としていってくれた。
 
 しかし、そんなちいさな刺激と嬉しさをあたえる毎日にも、突如として終わりが訪れる。その発端となったのは、ナマエが明日から数日間家に帰るという、当たり前のような知らせであった。

「ほんとは、あたしもあんまり帰りたくないんだけどね。こればっかりは、どうにも……」

 どうやら母親が彼女にひどく会いたがっているようで、少しばかり実家に帰って話し相手をしてくる必要があるらしい。ナマエいわく母親はとてもさみしがりやな質で、娘をアカデミーに入れるかどうかで何日も悩んだくらいなのだと。
 親の愛なんてものはペパーにはよくわからないし、その話自体は適当に聞き流してしまったが――それでも、入学してから一ヶ月やそこらの間に帰省を促してくるあたり、よほど娘に依存している性質なのだろうという察しはついた。
 放任と依存、どちらが幸せなのだろうと、そんなことだけを脳裏によぎらせながら。


  ◇◇◇


 ペパーという青年に、友だちはあまり多くなかった。
 だから友だち付き合いというものは正直よくわからなかったし、適当な距離感というのも掴みづらいものであった。彼にとっての「友だち」は長らくマフィティフくらいのもので、対等な人間との付き合いなんて、ひどく難しいことのように思えてならなかったから。
 けれど、きっと友だちならば帰省を見送ることくらいは許されるだろう。弁当代わりにアイツが好きなサンドウィッチをたくさん持たせてやって、あまったぶんは母親と一緒に食べればいい。自分にはサンドウィッチを持たせてくれるくらいの友だちがいるから大丈夫だと、そうやって母親を安心させてやればいいと思ったのだ。
 そうだ、どうせなら少し驚かせてやってもいいかもしれない――そう思い立ち、ペパーはナマエが帰ると言っていたその日に、こっそりアカデミーの正門で彼女を待ち構えた。ここならば必ず会えるだろうと踏んで、午前の授業をすべて放ったらかしてマフィティフと共に待機していた。

「あら――あなた、もしかしてペパーくん?」

 しかし、ペパーの前に現れたのはナマエではなく――どこかで見覚えがあるような、一人の妙齢の女性であった。
 彼女は灰色の瞳を数度しばたたかせてから、はにかむようにして言葉を次ぐ。怪訝な顔をしたペパーにも、あまり怖じていないようだった。

「ごめんなさいね、いきなり話しかけてしまって。覚えていないかしら――わたし、あなたのお父様のもとで研究員をやっていたのだけれど」
「あ――!」

 唸り声をあげるマフィティフの横で、ペパーはおおきく目を見開く。少しくすんだ焦げ茶の髪と、底の知れない灰色の瞳――やけに熱心な様子で父親の研究を手伝っていた、ゼロラボの元研究員だ。
 ある日を境に姿を見なくなって久しいが、どうして彼女がこんなところに足を運んでいるのだろう。ペパーが疑問を投げかける前に、答えは向こうから飛びついてきた。

「ちょうどよかったわ、あなたに紹介したい子がいるの。……ほら、ナマエ! そんなところに突っ立ってないではやくいらっしゃい!」

 聞き馴染みのある名前と、待ちわびていた少女の気配。しかし、目の前の女性との取り合わせは最悪なもののように思えた。
 こわごわとしながら振り向いたさき、そこにいたのは名前のとおり、ペパーがずっと待ちわびていたナマエ本人であるように見えた。――きっと、おそらく、そうであると。
 なぜ確証が持てないのかと言われたら、今のナマエはペパーが見たことのない――否、もはや飽きるほどに見ている姿に酷似してしまっていたからだ。いつもの少しくすんだ焦げ茶の髪はすっかり染め上げられ――もしかするとこちらが地毛なのかもしれないが――、シャンパンとコーヒーを混ぜたツートンヘアーとなっている。それはペパーが毎日鏡で見ているその色とまったく同じもので、恐ろしいほどの類似性に、腹の奥がぐるぐるとざわついている。
 つまみ食いしたサンドウィッチの具材がせり上がってきそうになり、思わず片手で口を覆った。

「あのね、ペパーくん。この子はナマエって言って……わたしの娘なんだけど、あなたの妹でもあるのよ」

 頭上から降ってくる無慈悲な言葉。ひどく残酷で残虐なそれはペパーの心を殴り飛ばし、少しずつ芽生えていた「何か」をすっかり壊すようであった。
 ちらりと覗き見た灰色はドブのように濁っていて、その奥に秘められた「悪魔」にこちらを覗かれているような気がしてならない。――この女は心に悪魔を飼っている! そう確信するに充分なほど、灰色の双眸は狂気に染まりきっていた。
 対するナマエはペパーのほうを見ようともせず、ただ真っ青な顔のまま足元を見つめ、ひたすら唇をふるわせている。

「う……うそ、だろ? なんだよ、サプライズちゃんにしては度が過ぎてるぜ――」

 ペパーの言葉に、ナマエはぴくりと肩を揺らす。そうして両手で顔を覆いながら、ちいさく「わからない」とだけ言った。
 ペパーの両手からバスケットがこぼれ落ちたのは、ほんの二秒ほど後のことだ。


書き納めがこんな話だなんて……
2022/12/31

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