降る、降る、なにが?

改めまして、こんにちは

 ――今度諸用でコトブキムラまで行くんだがよ、おめえも一緒に行かねえか?

 セキにそう言われたのは、先日の怪我が完治して、日常生活に何の支障もなくなった頃だった。
 ちょうどコトブキムラに用事もあったし、彼の誘いに二つ返事をして、ヒノアラシとイーブイを伴って足を運んだのが今日だ。理由は他でもない、件のギンガ団員に会いに行くためである。
 門の前でセキと別れ、できるだけ人目を避けながら長屋のほうに向かう。彼が所属する建築隊の区画へ目を向けると、ちょうどエーフィと一緒に散歩をしている後ろ姿が見えたので、ヨヒラはすぐにその名を呼んだ。

「オオツさん! こんにちは……っ」

 名前を教わったのは前回こちらを訪ねたときだ。
 ヨヒラの声を受けて、いやに目立つ長身痩躯がゆっくりと後ろを振りかえった。彼は――オオツと呼ばれた男は、少しだけつった目を柔らかく細めて笑う。

「ああ、ヨヒラちゃん、いらっしゃい。今日は――」

 言うやいなや、エーフィがひどく嬉しそうに鳴いてみせたものだから、オオツは反射的に言葉を切ってそちらを見やる。目を細めて笑う彼女を見れば、ヨヒラのとなりに並び立つイーブイのことを目に入れたのだと、すぐにわかったはずだ。途端、イーブイも母に向かって思いっきり駆け出した。
 二匹は久しぶりの再会を心から喜んでいるようで、今回ばかりはエーフィもヨヒラに対して唸るような素振りは見せない。親子水入らずを邪魔しないよう、二匹から少し距離をとってオオツと話を始めた。談笑に励みながら、なんとなく所在なさげにしていたヒノアラシを、そっと両の手で抱き上げる。

「その様子だと、イーブイとは仲良くなれたみたいだね」
「はい! ……と言っても、しばらくは全然懐いてくれなくって、このままだと危ないかなあって、思ったりもしたんですけど――」
「あはは、最初はみんなそんなものだよ。俺も、エーフィと出会ってすぐは本当に大変だったから」

 かつてを懐かしむように、オオツは顎に手を当てながら話す。きっと彼とエーフィのあいだにも複雑な物語があって、その過程があるからこそ、こんなふうに睦まじい仲になれるのだろう。
 少し前ならピンとこなかったけれど、今ならその心境について、ささやかながら共感することができる。それは他でもない、ヒノアラシとイーブイが与えてくれた「経験」のなせる技だ。

「このあいだイーブイについて教えてもらったとき、次はイーブイと一緒に遊びに来ますねって約束したから。今日はそのために来たんです」

 エーフィによって中断された問いの答えを、今更だが返しておく。
 そうだよね、イーブイ――ヨヒラが声をかけると、イーブイは長い耳をピンと立たせて反応した。そして、エーフィに軽く挨拶してからぽてぽてとこちらに戻ってきたのだ。
 ヨヒラの足元に擦り寄るイーブイの姿を見て、オオツはちいさく感嘆の声をあげる。あのイーブイが、ここまで人に懐くとは――と。

「すごいね、ヨヒラちゃん。この子がこんなふうに誰かと仲良くできるなんて、俺は思ってもみなかったよ」
「えへへ……でも、最初は本当にうまくいかなかったんです。あたしがそばにいると全然眠ってくれなくて――」

 言うやいなや、オオツはどこか納得したように、ヨヒラから目を逸らして「やっぱり」とつぶやいた。何か後ろめたいことがあるのか、首を傾げながら彼を見ると、ひどく申し訳なさそうな声が続く。

「それはね……多分、俺のせいなんだ」

 曰く――それは、イーブイが産まれた直後のこと。ただでさえ珍しいイーブイの突然変異種が産まれたということで、物珍しさにつられた近隣の住民たちが、こぞってオオツのもとへ押しかけてきたらしいのだ。
 まだまだ産まれたばかりで母子ともに気が立っているし、みだりに人の気配に触れさせないほうがいい。そっとしておいてやりたかった。けれど、オオツはポケモンどころか人付き合いもあまり得意なほうではなく、「ご近所づきあい」という大きな壁を前に、膝を折ってしまったと言う。あの日の自分は二匹にとって適切な対応をしてやることができなかったと、今でもずっと悔やみ続けている――ひどくおだやかながらも少しばかり悲壮的な語り口で、オオツは語った。

「俺が守ってやれなかったのが悪いのに、にげるような真似をしてしまって……自分の不甲斐なさが情けない。イーブイにもエーフィにも、申し訳が立たないよ」

 オオツは、ずっと伏せていた目を開いて、今度はまっすぐにヨヒラのほうを見た。

「でも……そうして傷ついたイーブイの心を、君が救ってくれたんだね」

 ありがとう、ヨヒラちゃん――オオツにそう告げられて、なんとなく照れくさい気持ちになった。自己満足などではなく、きちんと自分がイーブイのためになれていたことが嬉しい。
 先輩とも言うべき彼に褒められたことは素直に自信につながるし、知り得なかったイーブイの話を聞けたことで、色々なことに合点がいった。生後間もない頃に無遠慮な人の目に晒されてしまったのなら、確かにあんなふうな警戒心の塊にもなるだろう。どうしてちゃんと守ってやらなかったんだと思う自分も確かにいるけれど、それが今言うべき言葉でないことくらいは理解しているし、人生が思い通りにいかないものだということだって、身を持って知っている。
 彼の話を聞けば聞くほど、かつて自分に向いていた好奇や侮蔑の目を思い出して、なんとなく背筋がぞわぞわとするけれど――その苦い体験があったからこそ、こうしてイーブイに寄り添えたのだと再確認できたことのほうが大きい。その「意味」を改めて見出だせたことが、まるで自分の成長のようで誇らしくなる。
 もしかすると、それはイーブイも同じなのかもしれない。ヨヒラの足元にいる彼女はものまねでもするように誇らしげな顔をしていて、そして――

「い、イーブイ!? どうしたの……!?」

 刹那、何処より現れた煙がたつまきのようにイーブイを包む。突然の出来事に慌てるヨヒラだったが、彼女を制するようにオオツが手を差し伸べて、そして、おだやかに微笑みながら「今は見守ろう」と言った。会話の合間にも黒煙はとまらず、たちまちイーブイを覆い隠して、ぱちり、ぱちりと火花を散らす。
 やがて、黒煙を裂くように桜色の光がきらめいた。それが眼光だとわかったのは、煙の合間から伸びる触手がいっさいを晴らしたからだった。
 現れたのは、まっしろな毛並みに水色の模様が際立つポケモン。差し色の桜色は以前ヨヒラがつくった掛け布団のパッチワークによく似ていて、まるでその色を撮したかのように、ともすればあじさいにも似通った色合いだった。
 戸惑うヨヒラにオオツが告げる。この子は、進化を果たしたのだと。

「ニンフィアと言うらしい。エーフィやブラッキーと同じで、君とイーブイが仲良くなれたからこそ、こんなふうに進化できたんだ」

 ヨヒラは、ゆっくりとイーブイの――もとい、ニンフィアと呼ばれたポケモンのほうを見る。ポケモンの進化に立ち会ったのは初めてだったし、ニンフィアというポケモンと相まみえるのもそうだ。進化がどういうものなのかはテルたちに聞いて知っていたが、いざそれを目の当たりにすると、やはり驚きが勝ってしまう。
 ヨヒラの困惑を察したのか、ニンフィアはヨヒラの目を見つめながら、すぐににっこりと笑ってみせる。その顔はイーブイの頃に見せていたのとまったく同じで、やっと彼女が大切な友だちであると認識できた。
 彼女は可愛らしいリボン状の触手をふわりとヨヒラの頬に触れさせ、そして優しく撫でてみせる。まるでそれは、「これからはわたしが守るね」とでも言ってくれているようで、思わず両頬が綻んだ。
 腕のなかにいるヒノアラシもひときわ喜んでいるようで、ニンフィアは彼をくすぐるように触手を動かす。けらけらと笑う声が可愛らしくて、ヨヒラもオオツも、エーフィでさえも、つられて笑っていた。

「ええと……改めてよろしくね、ニンフィア。――今のあなた、とってもとっても、可愛いよ」

 言うと、ニンフィアは満面の笑みを浮かべてヨヒラたちに飛びついてきたのだった。


2024/01/28 加筆修正
2022/04/28

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