降る、降る、なにが?

雪解雨にはなりうるか

 ――本当に、よくわからない娘だな。

 気分転換に集落をぶらついていたおり、とある団員の独り言を聞いた。
 その口振りは誰をさしているのか明白なものだが、戸惑うような物言いと表情は、よくよく聞けば敵意を感じるほどのものではない。「笑っている」というヨヒラの判断が功を奏しているのだろうかと、セキは少しだけ胸がかるくなったような感覚をおぼえる。
 彼の視線はいくらか素直であり、おそらく去っていったヨヒラの背中をずっと追っていたのだろう。点々と残るちいさな足跡がその気づきを裏づけてくれたので、セキはとりあえず、その先を進んでみることにした。
 思えば、自分はヨヒラのことを何も知らない。異性であることや集落のことを盾にしすぎて、守るべき彼女から遠ざかっていた。
 あとをつけるのは少々姑息な手段ではあるが、しかしなりふり構ってもいられない。そろそろ立ち止まっているのも飽きたし、これ以上無益な時間を過ごしたくはなかった。
 ヨヒラのやること、もしくは団員との付き合いがわかれば、きっとこれからに活かすことができるだろう――半ば自分を正当化するようにして、ずんずんと集落のはずれを進んでいたのだが……

「あたし、何にもわるいこと、してないのに……っ」

 人の気配を察して目をこらしたセキが捉えたのは、だあれもいない木陰で膝を抱えながら泣きじゃくる、幼い少女のすがただった。
 細くて小さな肩を大げさなくらいしゃくりあげて、ヨヒラはずっと泣いている。今まで一度も見せてこなかった、か弱いこどもがそこにいる。
 頼るべき親も、心強い相棒もいない、ひとりぼっちの背中。ちいさく丸まったヨヒラのすがたは、まるで孤独という言葉がそのまま生まれ変わったようだった。
 ひとりぼっちの少女が声を殺して泣く光景は、きっとこの世の誰が見たって憐憫の情を掻き立てる。もちろんこのセキも例外ではなく、気づけば考えるより先に歩み出して、その幼い体をめちゃくちゃに抱きしめていた。
 やせ細った体はセキの胸板に刺さるようで、それはきっと皮膚や骨をかいくぐり、見えぬはずの心にぐっさりと深い傷をつける。慌てたヨヒラが暴れるのもお構いなしに、セキはその腕の力を緩めない。なんとなく、離してはいけない気がしたからだ。
 このまま手を離してしまえばすぐにでもヨヒラが消えてしまいそうだと――そんな、出所のわからない恐怖で頭がいっぱいになっていた。こんなことを考える理由や義理が自分にないことも、彼女がただ、つい先日出会ったばかりの少女であることも、わかっているはずなのに。
 セキが離してくれないことを――そして、彼に敵意や害意がないことを理解したのだろうか、やがてヨヒラの抵抗もちいさくなる。腕のなかの塊が大人しくなったのにほっとする反面、急激に冷えた頭はおのれの行為を著しく恥じた。
 すまん! という謝罪とともに体を離してその顔を見ると、幾筋もの痕が残る頬が目に入って胸が痛んだ。未だ戸惑っているのだろうヨヒラは、複雑そうな瞳を伏せてモゴモゴと唇を動かしていたが。
 セキは、意を決して問う。いつもお前は“こう”なのかと。こんなふうに、一人で泣いてばかりなのかと。
 強がりはやめてくれと添えると、ヨヒラは観念したように再び涙を流しながら、ぐちゃぐちゃの声で応えた。

「泣くときは一人、って。ずっと前に、決めたから」
「……それは、なんでだ? おめえのそばにはヨネがいるだろうよ」
「きらわれたくなかったんだもん。ヨネさんはもちろん……セキさんにもだよ」

 けれど、彼女の口から出てきたのはあまりにも痛々しく、諦めたような言葉だった。
 壊れそうなくらい震える肩に触れるも、ヨヒラからはなんの反応もない。ひとしきり暴れて疲れているのか、心を許してくれたおかげか、もしくは抵抗への諦めか――真偽はこの際放っておくとして、彼女の肩に手を添えながら、しっかりとその言葉に耳を傾ける。涙につまる言葉はひどく聞き取りづらかったが、それでも一言一句聞き逃してなるものかと、全神経を集中させた。

「セキさんもヨネさんも、こんなあたしに優しくしてくれてる。集落の人たちをざわつかせてる原因のあたしを、見ず知らずの子供を守ろうとしてくれてる……だからせめて、これ以上の迷惑はかけないように、って思って。迷惑な子はきらわれちゃうもんね」
「……まさか、オレたちゃそんなことくらいで迷惑だなんて思わねえよ」
「うん……でも、あたしが嫌だったの。あたし、今だって何にも思い出せないし、他に味方もいないし……今ここでセキさんとヨネさんにまで見放されちゃったら、今度こそ行く宛もなくなって死んじゃう。だから、せめて二人にだけはきらわれないようにしたくて――」

 鈍い音を立てて、しきりに胸が痛む。目の前で震えながら泣いている幼子に何にもしてやれない、非力な自分がひどくもどかしくて、歯がゆかった。
 コンゴウ団のリーダーとして、もっとうまく立ちまわれていたら。もっともっと立派で、頼りがいのある男であれば、こんなふうにヨヒラが泣くことはなかったかもしれないのに。
 意味のない謝罪が喉から漏れそうになったのを、すんでのところで飲み込む。こんなところで謝ったって結局ヨヒラを困らせてしまうだけだし、それこそ情けない人間のすることだ。
 こんなときこそ笑って、胸を張っていなければ――それがコンゴウ団のリーダーである、セキという男なのだから。
 セキは一度だけ深呼吸をして、泣きじゃくるヨヒラの頭をなでる。やさしいそれに驚いたのか否か、ヨヒラが弾かれるように顔を上げた刹那、はらりと涙の粒が散った。

「嫌ったりなんかしねえよ。オレはもちろん、ヨネだって。なんせ昔はツバキも弱々の泣き虫ケムッソだったんだから、そういうのには慣れてんだぜ」
「で、でも……あたしはよそ者だし、ツバキさんみたいに昔からここにいるわけじゃ――」
「おめえがどこから来たとか、どんな人間だとかなんてもう関係のねえことだ。少なくともオレやヨネにとって、おめえは同じ時間を過ごした仲間なんだからよ」

 再び、はらりと涙が伝う。さらに勢いを増したそれは、しかし悲しみであふれたものではなくなっているように見えた。

「だから……もう、絶対に一人で泣くんじゃねえよ。オレもヨネも、おめえの涙を受け止められないほど狭量じゃねえんだから」
「――」
「オレたちがそばにいる。この土地に馴染むまで……いや、おめえが嫌って言うまで、ずっと守ってやるからよ」

 目の前の幼子は、初めて声をあげて泣いた。


2024/01/24 加筆修正
2022/03/16

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