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天狗と猫又(綺良々)

「なあ、猫又。お前の名前は誰がつけたんだ?」
「わたし? わたしの名前はおばあちゃんがつけてくれたんだよ! わたし、おばあちゃんのつけてくれたこの名前、すっごくすっごく大好きなんだあ」
「ふうん……」
「そういえば、天狗様は天領奉行の大将様とは違って、天狗様だけのお名前とかないんだね」
「…………」
「にゃ……なんだか言っちゃいけないことを言っちゃった気がする……」

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「俺は人間が嫌いだ。愚かで、短命で、力もないくせに威張り散らしてやがる」
「うん……」
「名前なんてものは人間の文化だろ。俺は俺であればそれでいいし、今までそんなものを必要に思ったことはなかった」
「? でも、わざわざそんなふうに言うってことは……もしかして、何か気が変わるような出来事があったってこと?」
「おう。驚くことにな、できたんだよ。例外がな。とはいえ、名前を呼んでほしいというわけでもねえんだが……近くに天狗が二人もいるせいで困らせちまったら世話ねえから、それをなんとか解消してやりたくてな。そいつのためなら人間の文化に染まってやってもいいって、最近はちょっと思ってんだ」
「にゃ……!? 天狗様がこんなに素直に物を言うなんて、その人っていったい誰なの?」
「おまえもよく知ってるやつだぜ。ほら、あそこの天守閣にいる――」
「まさかの将軍様ぁ!?」

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「猫又。お前は人間に馴染もうとしてるんだよな。つまり、人の世界が好きってことか?」
「うん、そうだよ! だってね、みんなの暮らしてるところって当たり前だけど人がいーっぱいいて、活気もあって、見たことないものや美味しい食べ物がそこかしこにあるんだよ! 色んなものがキラキラしてて、宝物だらけで、本当にすーっごく素敵なの! ……そうだ、今度わたしが稲妻の街を――ううん、この世界の色ーんな場所をたくさん案内してあげる! 素敵なものをたくさん見たら、天狗様もきっと、人間の街が好きになれるはずだよ」
「フン……」
「にゃ……!? 天狗様も巷で噂の『フン……』の使い手なの……!?」

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「おう、猫又。お前、俺の嫁にならないか?」
「えー!? やだよ! 天狗様のお嫁様になんかなったら、わたし、もうおばあちゃんのところに帰れなくなっちゃうでしょ?」
「なんか、って……フン、だったらそのおばあちゃんとやらが死んだあとでもいいぜ。精々あと三十年もしたら死ぬだろうし、そのくらいなら余裕で待ってやる――」
「に゛ゃ!? お、おばあちゃんが死ぬ……!? 縁起でもないこと言わないでよ! 天狗様のそういうとこきらい!!」
「き、きらいだと……!? この俺を嫌いと言ったのか、猫又……!」
「ふーんだ! 天狗様のばかばかっ、もう顔も見たくない!」

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「おい、猫又」
「……」
「機嫌直せって――」
「ふん! 謝るまで……ううん、あんなことを言う天狗様のことなんて、いくら謝っても許してあげないんだからね!」
「……綺良々」
「にゃ!?」
「悪かったよ、綺良々。……俺は人への情がわからん。俺にとっては皆等しく脆い命だし、どれもが平凡でどれもが特別だ。だから……その、特定個人への思い入れとかそういうものがいまいちピンとこねえんだ。なんせ俺自身、誰かにここまで強い感情を抱いたのはお前が三人目だからよ」
「にゃっ……もう! そこで『三人目』なんて言うあたり、やっぱり天狗様は他人の心ってものがわかってないね」
「すまん……」
「まあでも、いいよ。今回だけは許してあげる。初めて綺良々って呼んでくれたの、ちょっとだけ嬉しかったしね」
「おう……」
「これからもずっと綺良々って呼んでね、天狗様」
「気が向いたらな、猫又」
「なんでー!?」

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