「うぇっ…」
ボギーウッズは思わず呟いた。いやな空気が部屋に充満している。かたい鉄のにおい、と、なにか、肉の腐乱臭。後悔した。手元の封書がくしゃりと鳴く。
「トミーロッド様、いらっしゃいませんか」
声をあげたが響きもしない。口も開きたくなければ鼻だってふさぎたい気分だ。眼前に広がるのは人間の死体と死体と死体、小綺麗に整列したそれらはみんな腐りかけだった。頭が割れているもの、四肢がないもの、身体に大穴があいているもの、どれも悲惨な状態だ。
それだけだったなら直視くらいはたやすかったろう、死体なんて見慣れている。ボギーが吐き気を覚えたのは、その腹部だった。その死体らの腹は全部、不自然に膨らんでいたのだ。妊娠を連想されるようなそれが、一体なんなのか。部屋の主を知っていれば、答えは容易に割り出せた。この部屋に与えられた名称は、『飼育室』なのだ。
「トミー様、いないんですか」
まったく胸糞悪いもんを見ちまったな、だなんて思いながら、並ぶ死体のまんなかを歩くボギーは、自分の眉間にしわが寄っていることになんて気付いていないんだろう。反射的に、だとかそういうものだ。
「トミーロッド様、」
部屋の奥、ボギーが見付けたのは、派手な色の髪を散らばせ寝そべるトミーロッドだった。呼び掛けても目もくれない。こんな部屋で横になるなんて、気が知れないとボギーは思った。
「トミー様、料理長から書類を預かってきました」
「トミー様?」
何度そうしても、トミーは一向に起き上がらないばかりか、ぴくりとも動かない。怪訝に思ったボギーがその背に触れようとしたときに、やっとその口が動いた。
「お前も母親になるかい」
殺気。咄嗟、ボギーが尻餅をつくと同時、ぐちゃっと嫌な音があがる。頭上すれすれを滑空していく怪虫になんて目もくれず、手をついたそこを見下ろした。
「あーらら」
「っ…!」
死体の腹を突き破った掌には、その中身がひどく付着していた。黄緑色の粘着質のそれは、けらけらと笑うトミーの腹の中にいずれは収まるものだったのだろう。ボギーは泣きたい気分になった。最悪だ。
「よく避けたね。褒めてあげる」
「…いるなら、早く返事して下さいよ…」
「いやぁ、まさかこの部屋に人が入ってくるとは思わなくてね。誰も近付かないから」
「できるなら、近付きたくなかったです」
「あ、そう」
こんな気味の悪い部屋。ボギーはそう思ったが口には出さなかった。
「ん、」なんて言って差し出された手に、一度は落とした封書を渡す。とにかく早く手を洗いたかったボギーは、すぐさま立ち上り一言、「失礼しました」そう言って部屋を出ていった。
「まさに逃げるようにって感じ」
いつも通りにひとりになったトミーはせせら笑いながら呟いた。眉間のしわがひどかった、あの、あからさまにいやそうな顔。わりと嫌いじゃない。
この部屋に自分以外の生きた人間が入るのは初めてだった。誰も入りたいなんて思わないだろうし、自分も誰かをここに入れようだなんて思わない。不快そうな顔をされればきっと殺意ぐらい簡単に湧くだろう。実際にそうだった。けれど、なんだか。
「拍子抜けしちゃったな」
普段は澄ましたボギーの、あの阿呆面を見たらそんなのどうでもよくなった。せっかくの卵も駄目にされた、けれど特別にゆるしてやろうと思う。
気味の悪いその飼育室に、初めてひとの、トミーの笑い声が響いた。
その後、その部屋は余計に周りから敬遠されるようになる。
ひみつのへや