「お帰りなさいコヨーテ」
凜とした冷ややかな声はまるで鈴のように鼓膜を震わせた。開いた扉はぎいぎいと錆びれた音を立てて俺と真っ黒い闇を飲み込んでいく。ちいさな蝋燭ひとつで照らし出されたこの小屋には彼と自分しかいなかったが、ここはただの寝床なのでそれも特に珍しいことではなかった。適当に返事をして、俺は粗末な布にくるまる。とにもかくにも、早く眠ってしまいたかったのだ。
「血の匂いがしますね」
しかし彼がすん、と鼻を鳴らしてそんなことを言うものだから、俺はそれができなくなってしまった。彼は視覚を絶った代わりに、それ以外の五感がひどく敏感なのだ。たった一度水を浴びたくらいではその鼻はごまかせないらしい。
「…気のせいだろう」
「まさか」
ゆうるり弧を描く口元が憎らしいと思った。詮索されたくないことがあるのは、俺も彼もここに集う皆同じだというのに。
「貴方、誰かをその手に掛けてきたのでしょう」
「………」
「人殺しですか」
うふふ、なんて笑いながらそう言う彼には所謂妖艶という言葉がぴったりだと思った。橙色した蝋燭の明かりがかたくとざされた瞼をふちどる長い睫毛のうえで揺れている。きれいだ、背筋がこおるくらいに。
「…だから、何だと言うんだ」
「貴方は弱い」
「お前は何が言いたい」
普段は手袋の下にある、細い指が俺の頬にのびてきた。ひやりとまるで氷のように冷たいそれが、ナイフよりも拳銃よりも恐ろしいのは何故だろうか。その静かな美しさも、垣間見ることのできぬ瞳も、弧を描くうすい唇も、すべてが脅威でならないのは何故だろう。逃げ出したくとも逃げ出せない、俺は背中にいやな汗がひとすじだけ通ったのを感じた。
「貴方は弱いのだから、そんなことをしていたら今に足元をすくわれてしまいますよ、と」
「……は、」
「私は貴方を心配しているんだ、コヨーテ」
そのとき、そうその瞬間に、俺は見てしまったのだ。まるで夜を見下ろす満月のように、あるいは死を告げる黒猫の瞳のように、あるいはなにか得体の知れない未知の輝きを持った、その黄金色した瞳を、確かに見たのだ。ぎらぎらとひかったそれは俺を射抜いて繋ぎとめて二度と逃れられなくしてしまった。忙しくぐるぐるとめぐっていた思考さえもが身体同様ぴたりと金縛りにあって、ああ、そうか、とひとりごちた。俺がこのフォクスという人間になにか勝る日は一生きやしないんだろうな、と。そうしてそれは、俺自身がこれから先この人間に敵ってみせようなどと一切合切かんがえないからなのだろう。何にも負けやしないとした俺の信念はもろくくじけてしまって、跡形もなくなってしまった。しかし、特にそれが悔しいだとかそういう気分にはならないから不思議だ。頼りなさげに揺れていた蝋燭の火が散るように消えた。それから暗かった小屋を本物の闇が飲み込んで、俺は何も見えなくなって、頬にそう指はいまだ冷たくて、それしか覚えていなかった。何故なら俺は知らぬまに眠ってしまっていて、次に目覚めたときには夜も彼も去ったあとだったのだから。そう、すべて真実なのか、それとも俺の見た虚空の夢なのか、それさえもがくらがりの胃のなかに隠されてしまったのだ。しかし夜はまたくるし、彼はまぶたをかたく閉ざしたままでいるのでなんの問題もなかった。ただ、次にその瞳を垣間見るとき、その瞬間こそ俺が彼に食い殺されるときなのだろうな、と思う。


夜と黄金





ガルシルドっ子の本命フォクス×コヨーテ。増えろー増えろー
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