袖触れ合うも


 小さい頃から悪運が強かった。
 犬も歩けば棒に当たる という言葉はまさに私のためにある。

 一メートル先に植木鉢が落ちてくるなんてことは日常茶飯事。
 出かけ先ではほぼ必ず別の知り合いと遭遇する。
 それが修羅場だったり、思いもよらない組み合わせだったりする確率も高い。
 事故や事件現場に出くわしたことは数え切れない。
 偶然他人の告白を盗み聞きしてしまったり、悪事を盗み見てしまったり、呼び出しや喧嘩の始まりに居合わせたり、数分前に通った場所が良くも悪くもニュースで取り上げられたり。
 まるで旅行先で必ず殺人事件が起こる某少年探偵の宿命みたいな、もっと予測不可能なほど多種多様な物事が起こる。
 たとえば 池袋を訪れるたびに、生ける都市伝説『首無しライダー』を見かける。あちらが私の顔を覚えてしまうくらいだから、相当な頻度だと思う。

 事情聴取や軽傷はあれど、大きな怪我をしたことがないのが不幸中の幸いだ。
 ひったくりにあったり、物が壊れることはあるけど、そういうときは新たな『偶然』によって修復される。
 犯人が捕まる、同じものを贈られる、などなど。
 この『悪運』は私を傷つける種類のものではなく、かと言って高確率で宝くじに当たるようなものでもない。誰かに自慢できるようなものではなく、かといって哀れまれるものでもない。
 私自身は至って平々凡々で、美人でもないし、特別賢くも優しくもなく、成績も友達の数もそこそこで、人に注目される要素はない。
 憧れや好奇心が強いわけでもなく、『ダラーズ』に誘われたときだって断った。
 ただでさえ何もしなくても『特殊』や『非日常』とすれ違ってしまう、通行人A体質なのだ。
 ほっといても喧騒に巻き込まれるのだから、自ら分け入っていく必要を感じない。
 世の中には『特殊な人』がいるということを、そして私がそうではないということを、痛いくらいわかっている。
 悪運が事件を引き寄せても、私に人を惹きつける魅力などない。

 たとえば 小中高と 平和島静雄という男の子と同じ学校で、何度か同じクラスにもなった。
 静雄君はびっくりするほどの怪力の持ち主で、彼自身に悪意がなくとも よく問題を起こしていた。
 小学3年生のとき、彼の投げたボールが私の鼻先を通過して、校舎のガラスを割り、窓枠をぐにゃりと歪めた。
 小学4年生のとき、手近にあったために投げられた 教科書入りの私の机は、標的を過ぎって勢いよく黒板に衝突した。
 小学5年生のとき、昇降口においておいた私の傘で、彼は二桁の高校生を打ち倒した。
 小学6年生のとき、静雄君がオルガンを投げたのと、鉄棒を曲げたのを間近で目撃した。

 中学生のときもいろいろあったけど、高校に進学すると、静雄君は『折原臨也』という宿敵と出会ってしまい、ただでさえ身体が強靭になっていたので、破壊の頻度と規模がさらに大きくなる。
 毎日喧騒が響いた。
 廊下で 折原臨也がどこにいったか と聞かれたことは数知れず、学校でも池袋の街でも、彼の活躍を目撃したり、巻き込まれたりした。
 1年生のとき、放課後図書委員の当番の時に、件の二人が図書室で喧嘩をして全ての本棚が倒れた。
 2年生のとき、折原君の悪巧みの独り言を立ち聞きしてしまって、こっちが弱みを握られたような気分になった。
 3年生のとき、彼らの友人の岸谷新羅君が池袋で首無しライダーと親密そうにしているのを目撃した。
 あえて代表例に静雄君を挙げたのは、助けたり助けられたり謝ったり謝られたりお礼を言ったり当番が一緒だったり、挙げきれないくらいいろんなことがあったからだ。
 そのすべてを、私は良い思い出であり「つながり」だと密かに思っている。

 壊れた傘については、後日 呼び止められて謝られた。
 当時彼の両親も謝罪に奔走しており、家に電話がかかってきた。
 新しいものを贈ってもらってから、雨の日が楽しくなった。

 さまざまな場面を見てきて、痣や掠り傷を作ったけど、私は静雄君が怖くはない。
 だって彼が暴力が嫌いだから。

 『慣れ』というのは怖いもので、被害に遭うのは悪運のせいだと思うから、巻き込まれたり壊されることが迷惑だとは思わない。むしろ不自然なくらい偶然が続くたびに、わざとだと思われているんじゃないかと怯えてしまう。

 物が欲しいわけじゃないし、いつのまにか芸能人になっていた彼の弟くんに握手してほしいわけでもない。
 律儀にならなくていい、悩まないで、困らないで、気にしないでほしい、と思うのに、気に留めないで欲しいとは思えない。
 すぐに忘れられてしまうことは少し寂しいと思ってしまう自分に嫌悪する。
 静雄君にとって私は「同級生」で「クラスメート」で「とりとめもない存在」で「見たことのある顔」で、今はただの「同窓生」だ。

 池袋に来ると遭遇するかもしれないと思って、どきどきする。
 そのどきどきは、彼に伴う事件への身構えというのもあるけど。

 会ったところで何をするわけでもない。
 「あ」と視線が交わって、軽く会釈するだけだ。お礼やお詫びでおごったりおごられたりすることもある。
 でも、それだけ。

 池袋の街では、他の同窓生ともたびたび再会する。
 折原君には苦手意識があるから見るとひやひやするんだけど……。

 そういえばこの間。
 夜に60階通りのハンズ前に人が大勢集まってて、老若男女バラバラなのに、その中に高校や大学の知り合いがいたりした。
 一斉に着信音が鳴り響いて、その場の人がみんなケータイ見て、なんか睨まれて……。 なんだろう? と思ったら首無しライダーが現れて、特撮みたいなことになって……。
 あとで知り合いに聞いたら、『ダラーズ』の集会だったんだって。

 ダラーズってほんとにあったんだー なんて、笑って言えたのは その日だけだった。

 池袋の街は めぐる。

 望む者も、望まない者も乗せて、
 日常と非日常の境界を喧騒に融かして。



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