祠に案内してほしいと言われて、頼られたことが嬉しかった。
助けになるよと伝えることができて、数年越しの後悔が報われた気がする。
――かっこよくなったなぁ。
バスに揺られながら、その横顔を眺める。
元々綺麗な顔をしてるとは思っていたけど、少し背が伸びて、血色がよくて、俯かなくなった。線は細いけれど、健やかな男の子。
祠に何をしにきたのか知らないけれど、用事が終わったら次はどうするのかな。
このへんには涼める喫茶店もない。駅に引き返すなら、改札までは送ってもいいかな?
不要だと言われるかもしれないけど、あの頃を思えば、夏目くんをひとりで歩かせるのは心配だ。
――「保健室、行く?」
――「いい。それより、少しここにいてくれないかな」
かつて、私の近くは彼にとって避難所のようだった。
何かから追われているとき、私の傍ではほっと緊張を緩めてくれる。それが密かに嬉しくて、必要とされることが、得難かった。特別なのは夏目くんだったと思うのだけど、何か相性はよかったのだろう。
彼が以前のままなら守ってあげたかった。私なら護衛になれるかもしれない。
「祠に何しに行くの?」
「立ち入り禁止にしたいんだ」
予想外の答えで、ちょっと困る。近道が通れなくなるのか……。
裏道使ってる子、私以外にもけっこういるよねぇ。
どうして? なんのために? って問おうか迷った。
頼まれ事だって言ってたけど、夏目くんは何者なんだろうなぁ。
あの頃、何も聞かないことで傍に寄るのを許されていた気がしていた。
彼は不安定で、へたに問えば張り詰めた糸が切れて、均衡が崩れてしまいそうで、何から逃げているのか聞くことさえ躊躇われていた。
今はどうだろう。安定している?
わざわざこのために来たのなら、むやみには止めにくい。
「どこまで通れなくなるの?」
「それは見てみないとわからない」
「こっちだよ」
バスを降りて日傘を差してから、木々の繁るほうを指す。
舗装されてない山道だけど、不思議なほど歩きやすい。獣道ってものなのかもしれないけど、獣らしい獣を見かけたこともない。
夏目くんは行く手を見上げてから、私を振り向いた。
「藤森さんはここで待ってて」
「一緒に行くんじゃないの?」
「……ごめん」
困り顔で謝られるとそれ以上追及できない。ずるい。
たしかに私は勝手についてきたようなものだけど、こんな何もない道端に置き去りだと、ちょっと持て余す。
とはいえ何をするのかもよくわかっていないのについていきたいとは言えず、結局、見送ることにする。
「わかった。ここをずっとまっすぐ行くと祠っぽいのがあるよ。もっと先に行くと女子寮の裏口に着いちゃうから気をつけてね」
「うん、ありがとう」
夏目くんが林に分け入っていくのを見届けてから、バス停の椅子に腰掛ける。
黒々としたアスファルトは快晴の日差しを受けて灼熱で、うんざりした。早く帰ってきてくれるといいなぁ。
少しでも涼みたくて風の音を探していると、林の中から夏目くんの声が聞こえた。大きな独り言。
昔、夏目くんに近づこうとしたときに「寄るな、こっちへ来るな」って聞こえて、私に言ったの?ってぎょっとしたものだった。声をかけたときの反応から、違うとわかったけど。
学校の友達に話したら「不思議な人」じゃ済まないだろうなぁ。
でも、たぶん、私は、その不思議さに惹かれている。
それから、バスを2台見送った。持っていたペットボトルの中身は飲み干した。
一回寮に帰ればいいんじゃないのって5回は思ったけど、夏目くんの連絡先がわからないので、約束をすっぽかすようで躊躇われた。
ああ、氷たっぷりアイスティが飲みたい。キラキラ透き通って琥珀色の。夏目くんが帰ってきたら駅前の喫茶店で奢ってもらおう。奢りじゃなくてもいいけど、お茶に付き合ってもらうくらいはいいはずだ。
今更だけど、こんなに時間がかかるなんて、本当に手伝わなくてよかったのかな?
立ち入り禁止にするらしいし、勝手に入って何か秘密を覗いちゃっても嫌だ。
ここまで待ったのだから、あと少しで帰ってくるかもしれない。
だから、もう少し耐えよう。
時刻表の柱が冷たくて気持ちよくて、目を閉じた。
猫バスに飲まれる夢を見た。
のせられた、のかもしれない。
ふかふかのカーペットの上に倒れて、揺蕩っているようだった。
せせらぎの音がした。木陰に入ったのか、心地よい涼やかさ。
唇に冷たい水が触れた。口を緩めると少しずつ入ってきて、飲み込むと、もっと欲しくなって、目を開ける。
「夏目くん……?」
「藤森さん。ごめん。大丈夫?」
私は夏目くんに介抱されているようだった。
軽い熱中症にでもなったんだろうか。夏目くんは申し訳無さそうにしている。自己管理・自己判断の甘さのせいなので、自分を恨む。
額に濡らしたハンカチ、首にも濡れたタオルが載せられている。
草の上に寝かされて、水を飲ませるために頭を抱えられていること・その距離の近さには、なかなか動揺したけど、気怠くて抵抗できず、また寝かせてくれることに身を任せた。
「ここ……夏目くんが運んでくれたの?」
私が待っているだけの間、夏目くんは山の中で一人で作業をしていたわけだし、疲れていただろう。ちゃんと水分を摂ったかな?
体格差もあまりないし、軽々とはいかなかったと思うけと、引きずられもせず、ずいぶん心地よく運ばれた気がする。
バス停の近くにしては、こんなところに沢があったなんて知らなかった。偶然見つけたのか、わざわざ探したのか……。
あのあたりはバスの時間以外、人通りがないから、途方に暮れたんだろうなぁ。
寮に運んでくれてもよかったけど、騒がれるよりは、こうしてくれてよかった。
とんだ迷惑をかけてしまった。
「運んだのはニャンコ先生なんだ」
にゃんこせんせい。可愛らしい響き。
指されたほうを見ると、ふっくらした、猫?
夢に見た猫バスとは似てない気がする。
「ふん。日差しで倒れるなんて軟弱な奴め」
「……喋った」
3メートルくらい離れた位置からでも、はっきり聞こえる声。
夏目くんのそれは霊感とかそういうのなのかもしれない、何が来ても驚くまい、とは思っていたけど、実際に目にするとやっぱり衝撃的だ。幽霊系かと思いきやマスコット系とは。この愛くるしさは予想だにしなかった。ホラー映画の観すぎかな。
「これが……夏目くんが追われてたもの?」
「いや、ニャンコ先生は」
「失礼な。私は夏目の用心棒だ」
「ようじんぼう……」
彼を脅かすモノじゃないらしい。それならいい。
そして今の夏目くんには、私以外の安全地帯があるということなのだろう。
彼はもう、ただ顔色を悪くして逃げまわるこどもではなかった。
「にゃんこせんせい、こっちにきて」
「馬鹿を言うな。お前の傍には二度と寄らん」
「酷い……」
「藤森さんは妖を寄せつけない体質だから」
「……そうなの?」
ぱちくりと瞬く。そんな特別っぽい体質なの、すごいじゃん、私。
これまでの夏目くんの様子を思い返すと、なんとなく納得できた。蚊取り線香みたいな感じか。
ニャンコ先生は肩が凝ったような振る舞い。
「私だから運べたのだ。酷い消耗だった」
「そう……なんだ……」
声に出したのは、自分を納得させるため。それくらいじゃ動じないよと示すため。
それにね、やっぱり、自分が特別みたいな事実は嬉しい。
その体質が遺伝なのかなんなのかすら私にはわからないけど。
「あの祠は妖たちにとって大切な場所らしいんだ。特に、十日後の祭りが終わるまでは人に近寄ってほしくない、と彼らが言っている」
夏目くんが「彼ら」と示した草の上には、何もないように見える。
どうして夏目くんはこんなに詳しい事情を話してくれるんだろうって考える。
答えは簡単だった。
「――私が通ってはいけなかったんだね」
だから夏目くんはその場所に私がついていくのを拒んだし、どこが禁止区域なのかわかるまで待たせたんだろう。
ピンポイントで自分のせいだとわかって、さすがにへこむ。
でも、きっと向き合わなきゃいけないことなんだろう。
「……うん」
そんな顔しないでほしい。 困らせたかったわけじゃない。
ニャンコ先生や「彼ら」とやらへの態度を見るに、あやかしはきっと夏目くんにとって近しいものなのだ。
それらのためにここまで来たのなら、それは誇っていい。
私はまだ、しっくりこないけれど。
「……夏目くん、手紙書いていい?」
帰りのバスに揺られながら、伝える努力をした。
せめてメール。の時代だろうとは思ったけど、考え直しても、文通のほうがしっくりきた。
「たぶん、他にも迷惑をかけているんだろうけど、私には見えないから、気遣うことを忘れてしまいそうで。
夏目くんの話、聞きたい。夏目くんが出会ったことあるアヤカシとか、知ってることを教えて。返事はいつでも、暇なときでいいから。ついでに今の高校の話なんかも聞けたら嬉しい。
それから、もしも私の体質が役に立ちそうなことがあったら教えて。今度は私が助けるからね」
さすがに我が儘かな・手間をかけさせすぎかな、と反省が過ったけれど、鼓膜を震わせたのは優しい声。
「わかった。これからよろしく、藤森さん」
「うん、よろしく」
承諾されたので、一通目は丁寧に大切に書こうと決めた。
次は駅前というアナウンスを受けて、降車ボタンを押す。お茶の時間だ。