暑い夏に、照りつける太陽の下、山道を駆ける人がいた。
あれはたしか、クラスメートの夏目貴志くん。
何かを目指しているというよりは何かに追われるように、
たまに後ろを確認しながら走ってくる。
私を見留めると少しほっとした様子で名を呼んだ。
「っ、藤森さん!」
傍まで来て、息も絶え絶え歩みを緩めた。
指名されたので私も立ち止まる。
「大丈夫?」
声をかけると、夏目くんは力なく頷くだけだった。
あまり喋ったことがないのでよく知らないが、
見るからに華奢で、運動が得意なタイプには見えない。
ただでさえ暑いのに走ってきたせいで滝のような汗だった。
熱中症が心配になる。
「何か飲んだほうがいいよ」
少年はもう一度頷くと、鞄から水筒を取り出して飲んだ。
一口で空になってしまったらしく、軽そうに振った。
私も気を利かせて鞄から水筒を取り出し、中身を彼のコップの部分に注いでやった。
「ありがとう」
「どういたしまして。あんなに急いで、どうしたの?」
私に用事があったというわけではないだろう。
何か他に急ぐ用があるのなら休憩している暇もないかもしれない。
「それは……」
夏目くんはちらりと背後を振り返って確認した。
周囲には何も無いのだが、夏目くんはまるで蛇に睨まれた蛙のような顔をする。
「藤森さんごめん、息が整うまでここにいていい?」
「かまわないけど」
"ここ"というのはどこを指すのだろう。
この道のド真ん中のことか、クラスメートの目の前か、私が差している日傘の下か。
日傘の陰は私にかかるくらいで、夏目くんにまでに及んでいない。
相合い傘の真似事をすれば少しは日差しが紛れるのかもしれないが、
ただのクラスメートには一緒に傘を差すことも、
口付けたペットボトルを差し出すこともハードルが高い。
休憩の仕方を見るに、夏目くんはこの後また走り出すつもりらしい。
「どこか行くなら送っていこうか?」
「そんなことをしてもらうわけにはいかない。迷惑をかけてしまうから」
「迷惑かー……」
無意味だと言われるかと思ったのだけど、どちらかといえば遠慮される形だった。
私にしてみれば、少し外出が長引くくらいかまわないのだけど、こちらから食い下がるほどのことでもなかった。
雑談をしようにも、息を整えている相手に話しかけるのは申し訳ない気もする。
沈黙を気まずく感じたのか、夏目くんは休憩を早々に切り上げた。
「……よしっ。それじゃあ藤森さん、ありがとう」
夏目くんは小さく意気込んだから、出発するつもりらしい。
お礼を言われるほどのことは何もしていない。――お茶を恵んであげたくらいかな?
「いいよ。夏目くん、よくわかんないけど頑張ってね」
「ありがとう」
息を整えた夏目くんは、また背後を確認してから、前へ駆け出した。
私も背後を確認してみたけれど何もなく、ただ夏目くんが走っていくだけだった。
こういうことは初めてじゃない。
私たちはただのクラスメートなのだが、
どうやら夏目くんにとって私は何か特別らしい。
残念ながら、好きな人という意味ではない。
彼が何かから逃げ、私の近くを憩いの場にするという意味で特別なのだ。
それにしても。
「迷惑じゃないんだけどなぁ……」
呟きは暑さで溶けた。