長次のバヤイ

「…昔、ここにはお城があった」

小さい頃の記憶だ。

母の手を握り、小さな青い子供用のリュックを背負っていた。
5月の連休。家族でハイキングに出かけた。
山道ではあるが、ある程度整備された道は、当時5つの長次でもつまずく事無く歩けた。

「ずーっと昔ね。山の上にお城の跡があるのよ。…おじいちゃんおばあちゃんに教えてもらったの?」
「……」

首を横に振る。
長次が何故知っているのか、母は全く気にする事無く、「そう、あともう少しだからね、いくぞーっ」と繋いでいない手を上げた。長次も無言のまま片手を上げる。
先を歩く父が笑った。



*



生まれる前の記憶。

長次がそれを意識したのは、つい最近の事だ。
見知らぬはずの土地で、どこか懐かしい気持ちになる。
来た事が無い道で、あちらの方角には何がある。

あの丘を越えると海が見えるはず。そう感じて、友達と遊んでいた輪からはずれて独り、丘を越えた。
水平線が見えた。漁船がいくつもあり、堤防で釣りをする大人たち、港の景色が遠くにあった。
本当にあった。

そういうことが、よくあった。
それから少しずつ、少しずつ、気泡のような塊で、小さなものや大きなものを『思い出した』。



*



「…こへ」

隣の家に住む、同じ年の友達の名。
毎日互いの家を行き来しながら遊んでいる子。
やかましく、野山を駆け回るのが大好きな性格で。
小さな身体をいっぱいに動かして走り回っている。

「いけいけどんどーん!」

『思い出して』からは、傍に居る友達が、『彼』であることに気づいた。
「…小平太、そっちは車道だ…」
「わかってる!ぎゅーんっ!急カーブしてちょーじにトツゲキ!」
どん、と正面から体当たりをして、小平太は腹を抱えて笑う。つられて笑う。

何故自分が『思い出した』のか、そんなことはどうでもよかった。
今度は平和な世で、いつまでも友人と過ごせるのなら。
その大切さを、この記憶は教えてくれている。



*



「あ、もんじろ!あと15びょうだ!あの忙しいのが一番うえにきたら曲がながれるんだぞ!」
「なにぃ、まじか!あと10!9!8!」
「「7!6!5!」」

公園のからくり時計の前で。
偶然だった。普段は訪れない、電車で乗りついだ先の町で。
母に手を引かれた長次が見たのは、自分と変わらぬ年頃の仙蔵と文次郎だった。
他人の空似かと、そう思ったが。目が離せなかった。
声をそろえてカウントダウンしている。

「「4!!3!!!2!!!!」」

互いに、負けまいと声を張り上げる。
そばを通る大人たちは目を細めて通り過ぎる。
「「いちー!!!ぜろー!!!!!」」
時計に反応は無かった。
「「・・・・・・・・・・・」」
互いに顔を見合わせている。後姿しか見えないので、どんな表情をしているのかはわからない。
秒針が10を過ぎたところでやっと、曲が流れ時計が動き出した。
それを見て、二人は大声で笑った。

「ぎゃはははは!おせぇ!こわれてるー!!」
「こわれてるっ!!っははははは!!!」

子供の甲高い笑い声。
何がそこまで面白いのかと呆れるほどだ。

「長次?帰るよ」
「……」
手を引かれ、まだ笑い転げる二人を目で追った。



*



小学校ではあまり目立たない児童だった。
しゃべらないという意味で、逆に目立っていたかもしれないが。

「長次ー、また夏休みの自由研究朝顔の観察?」
「……ああ」
「6年間ずっとだもんなー。俺さ、すっげぇ深い穴掘って、夏休みでどれだけ深いの作れるかっていうケンキュウにしたんだけど、先生に怒られた」
「……そうか」
「なんでだろうな」

本気で首を傾げる小平太に、長次は「さあな」と答えて教科書をランドセルに入れていく。
帰りの連絡事項を終え、教室に児童はほとんど残っていない。
教師が黒板を消している。
小平太が「今日は何して遊ぼうか」とバレーボールをアタックする仕草をしたとき、教室のドアが開いた。

「半助、明日の体育は体育館に変更らしいぞ」
チョークが飛んだ。
「石川先生…何度も言いってますが”土井先生”でしょ。土井先生」
「あっぶね。お前こそチョーク投げる癖どうにかしろよ、子供が真似するだろうが。土井先生っ」
「なんで外じゃなくなったんです?」
「無視か!?」

小平太は土井の技に目を輝かせている。
長次はランドセルを背負い、小平太の分も持って席を立つ。

「あ、待って長次!」
「…ん」
「今日は裏山に秘密基地作りにいこうぜー!木の上がいいな、木の上!絶対カッコいい!」



*



中学の3年間は、図書委員として過ごした。
当然、高校に上がってからも図書委員を希望した。

高校1年の秋。
図書委員の当番の日、カウンターで返却本の整理をしていた。
パソコンのデータから、返却日期限切れの生徒をリストアップしていく。
上から下に流れる名前の中、ふと目が止まる。『潮江文次郎』『食満留三郎』の二人。
ふ、と笑みが浮かぶがそれだけで、長次はそのリストを印刷して未返却カードを作製する。

カタ

図書室の奥で、椅子を擦る音。
西日の強い窓際を避け、生徒が席を移動する。
彼はよくこの図書室を利用している。本のリクエストもするので、大体の好みは把握済みだった。
「……」
ハサミで印刷した紙を切り、学年、組別にわけていく。
しゃき、しゃき。
静かな音が続いた。
彼が『立花仙蔵』だと、気づいたのは実は夏ごろだ。
それまでも図書室には来ていたはずなのだが(貸し出し記録は入学式の翌日から始まっている)、彼を実際に見ることはなかった。司書によると、朝であるとか、授業の合間に来ているらしい。それがこの数週間、ずっと放課後に彼は訪れている。

「……」
黒髪の後ろ頭を眺めていたら、手元が狂って文次郎の紙が歪んだ。気にせず組に分けた。
彼が好きそうな本が入荷したのだが、すすめてみるべきだろうか。
色んなジャンルの本を借りている彼は、データを並べてみたところで好みなど一見わからない。
なんせ棚の隅から順に、ジャンル別に1冊ずつ5冊を一度に借りている。
リクエストする本も様々。それでも、長次はなるほどと理解した。

しゃき、しゃき。かたん。

切り終え、クリップでとめる。これを職員室にある、教室別の連絡棚に置けば作業は終了だ。
時計をみれば、丁度図書室を閉める時間。
ひとり残っている彼もそれに気づいたらしく、「あ」と小さな呟きのあと、片づけを始めた。
もし、彼が今読んでいる本を借りにカウンターに寄るなら、そのとき、この本をすすめてみようか。
「……」
少し厚い、新しい本に視線を落とした。


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