3.
「・・・・・・・え?」
とっさに振り返る。一瞬、嘘、と呟いて目をこすった。だが、目をこすってもその見慣れた人影は消えない。長身。細身でありながら筋肉質な体と整った顔立ち。宝石のような緑の瞳と、金と黒のツートンカラーの髪。どうして嵌めているのか分からない、黒の革手袋。
「ネウロ・・・・・何でここに」
「それは我が輩の台詞だ。何故貴様がここに居る」
「私は作品展の中学の部で最優秀賞取ったから、そのプレゼンと手伝いで・・・って、だから何であんたがここに」
「桂木、知り合い?」
匪口がちょいちょいと弥子の肩をつついて囁く。弥子は頷いて、「さっき話した友人です」と言った。
「へえ・・・この人が」
匪口は面白そうにネウロを眺めながら、「すごいいい男じゃん」とまた弥子の耳元に囁く。何故かネウロが目に見えて不機嫌になるのがわかって、弥子はあわててネウロの方へ駆け寄った。
「ネウロ、だから何でって」
「県の科学展だ、県立の博物館員が手伝いに駆り出されるのは当然だろうが馬鹿め」
「・・・あ、それもそうか」
そんなことなら自分が賞を取ったことも話しておきたかったと弥子は悔やむ。話しておけば今日会えることだってわかっただろうに。会いたいなんて悩む必要もなかっただろうに。
何だか馬鹿馬鹿しいような気分になって弥子は溜め息をつく。だが、ネウロはまだあからさまに不機嫌な表情で匪口をねめつけていた。
「・・・で、それは何だ」
「はへ?そ、それって?」
「それ、だ」
ネウロが中指で(中指で!!)匪口を指した。弥子は慌てて「ご、ごめんなさい匪口さん!!」と頭を下げ、「ネウロ、失礼だよ!!」とたしなめる。
「何を言う。我が輩はいつ何時も誰に対してもこんな態度だ」
「それが失礼だって言ってんの!!匪口さんにはお世話になったんだよ、とっても!!」
慌てて口早に、「部活の先輩なんだよ」と説明する。
「私と一緒に科学展に作品を出展して、高校の部で最優秀を取った人だよ。ついでに夏休み一杯かけて、私にプレゼントかパソコンの使い方とか教えてくれた人」
「・・・ほう。夏休み一杯、か。全く顔を見せんと思っていれば、そんなくだらない理由でそれと夏休み一杯二人で登校していたわけか」
「く、くだらないって何!?」
「くだらないだろうが馬鹿め。どうせ脳が空の貴様のことだ、ごくごく基本的な操作に慣れるだけで夏休みを丸々潰したに決まっている」
う、と詰まる。図星だった。反論できない弥子を見て、ネウロがさらに苛々と舌打ちをする。
「ネウロ・・・?」
「行くぞ」
「へ?い、行くって、どこに?」
「黙っていろこの洗濯板」
「せ、洗濯板って何―――!?」
わめく弥子の肩を、ぐい、とネウロが抱いた。そのまま肩を押されるようにして歩かされる。手袋の感触の冷たさにはっとした。どうして、と驚いて息を詰める。
彼が弥子に触れてくるのは初めてのことだった。もともと日本人にはスキンシップの習慣はない。挨拶代りのキスですら一般的ではないこの国では、よほどのことがない限り他人の肌に触れる機会などない。まして、ネウロは他人と触れ合うことを極端に嫌い、握手すら誰ともしない男なのだ。当然今まで一度も彼が弥子に触れたことはない。だから、思いもかけない感触に焦った。動機が速くなるのを懸命に抑える。
「ちょっ、ネウロ、何して」
背後で匪口が面白そうに笑うのがわかった。
「えーと、桂木?」
「な、何ですか・・・?」
返事をすると、隣でネウロがぴくりと身じろぐのがわかった。あからさまに不機嫌なオーラが流れてくる。努めて無視しながら笑顔を作ると、匪口がまた楽しげに笑った。
「俺、邪魔みたいだから退散するよ。スペースのチェックと集合時間忘れないで。じゃ!」
「え、ちょ、匪口さん?どうせなら一緒に・・・」
「馬に蹴られたくないから遠慮するよー。じゃあね」
えええええ!?混乱したまま立ち尽くしていると、またぐい、と肩を抱かれて無理やり振り向かされ、そのまま歩かされる。それもかなりの速足で。二人の間の身長差も手伝って、弥子は半ば引きずられるような体制になっている。いささか焦って「ちょっと、ネウロ、早いってば!」と叫ぶと、ほんの少し彼の足取りが緩んだ。だが、肩を抱いた手は解かれる気配もない。
「待ってよ、ネウロ」
「・・・・・・」
ネウロは何も答えない。不機嫌な表情のまま、弥子を見ようともしない。
「待ってってば!!どうしたの、絶対おかしいよ!?」
服の裾を引っ張るようにして強引にストップをかけながら叫ぶ。
「私、何かしたの?それなら謝るから、止まって。話をしてよ」
懸命に呼びかけると、ようやくネウロの足が止まる。緑の瞳がまっすぐに弥子を射抜いた。少し居心地が悪くて身じろぐと、ネウロは小さく、呟くように言った。
「・・・3カ月と25日」
「・・・へ?」
「3カ月と25日、貴様は顔を出さなかった。予告もなしだ。・・・もう、貴様が来ることはないのかもしれない、と。そう思った」
「・・・え」
「もう、貴様は何にでも無邪気に喜ぶことができる年齢ではない。貴様が博物館に来る理由はもうないのだと、用済みになったのだと思った。・・・だというのに、貴様はこんなところに居て、会うつもりもなかった我が輩にのんきに声をかけてくる。それも、隣に知らない男を連れて。そして、その男とずっといたのだと、夏休みの間、そのために会うことができなかったのだなどと言う」
腹も経つに決まっているだろうこの馬鹿が。無表情のままにそうネウロは言った。
それが感情を知らない彼なりの“嫉妬”だったのだと弥子が悟るのは、それからずっと後のことだ。そして静かな感動とともに、どうしてネウロがそんなにも簡単に弥子の手を離そうとしたのか悟ることになるが、この時の弥子にはまだそんなことは分からない。分からないなりに、ネウロが弥子を諦めようとしていたのだということだけは感覚として分かった。
「・・・ネウロの馬鹿」
思わず、低い声が出た。
「・・・・・・・」
「馬鹿だって言ってんの!!」
叫ぶ。ネウロは唖然とした顔で弥子を見た。
「だって」
言い淀んで口をつぐむ。上手い言葉が見つからない。でも、何でもいいからとにかく何かを言わないと目の前の男が手の中からすり抜けていくような気がして、弥子は必死に口を開いた。
「だって、あんたは私が何の研究で最優秀を取ったのかも知らないくせに、そんなことを言うから。あんたと連絡も取れずにいて、私があんたのアドレスさえ知らないことを知ってどれだけ寂しかったのかも知らないくせに、そんなこと」
唇がわななく。ネウロの顔を見ることができない。視線を床に落として、懸命に続けた。
「あんたがわたしを山に連れてってくれるたびに集めてた、植物標本とその知識をまとめたもの。それが、私の出した作品」
ネウロがはじかれたように顔を上げた。
「レポートのチェックするたびに、あんたのことを思い出してたのに。私とあんたの間には、会わなくなったらもうそれでお終いになってしまうような、それだけの絆しかなかったんだって思って、悔しくて」
「ヤコ」
ネウロが小さく呟くのが聞こえて、口をつぐむ。
肩を抱いていた冷たい感触がふいに離れた。驚いてぴくりと反応した頬をぐいと掴まれ、思い切り上を向かされる。首がイカれてしまうような勢い。後ろの筋にパキっと嫌な感触が走った。
「い、痛いよ」
「五月蠅い・・・馬鹿めが」
いつものように乱暴な口調。だが、まるで弥子の視線を避けるかのようにその目はほんの少しそらされている。
「・・・もう知らんぞ」
「・・・何がよ」
「せっかく逃がしてやろうとしたものを、自ら捕まりに来るとは・・・貴様はやはり宇宙レベルの救えない馬鹿だな」
「だから、何の話・・・」
「貴様にはどうせ解らん話だ。解る日が来たら思い出せばいい・・・つくづくどうしようもないな」
ネウロが深々とため息をつく。妙に艶やかに響く魅力的なテノールに居心地悪く身じろぎしながらも、彼の口調から先ほどまでの不機嫌さが消えたのを感じて弥子は微笑んだ。
「よかった」
知らず、そう呟く。ネウロはそれには何も答えず、黙って弥子の頬から手を離した。
「単細胞にしてはよく纏められているな」
弥子のスペースの前に立ったネウロの、それが第一声だった。ああもう、こいつは・・・と頭を抱えつつも、それが彼の最大級の賛辞だということも知っている。そりゃあネウロからしたら低レベルな単細胞だろうけどね、と内心で呟きながら携帯を取り出す。
「ネウロ」
ほら、あんたも。そう言って携帯を振ってみせる。
「・・・・・・」
無言のうちに弥子の意図を理解したらしいネウロは、黙って彼の携帯を取り出した。
そのまま、何も言わずに互いのアドレスを交換する。仏頂面で見下ろしてくるネウロに小さく笑って、「ありがと」と言った。
まあ、いくらアドレスを教えたって、ひねくれ屋のこいつが自分から連絡を取ろうとしてくるわけがない。つまり、弥子が押してやらないとこいつはそっぽを向いたままなのだ。
それが「どうして」なのかは、まだ弥子にはわからないのだが。
さあて、いつどんな理由をつけて、ネウロに電話をかけてやろうか。
それがこの後、弥子の小さな悩みになるのだが、それはまた別のお話。
長いことお待たせしていたキリリク11211番紫水あやね様より「デート」。
博物館員×女子中学生。
「Rendezvous」の数年前、まだ弥子がネウロの気持ちに気づく前のお話です。
ネウロが弥子に振り回される話ですね。この話の弥子は天然小悪魔な気がしてならない!展覧会デートが書きたかったのですが、果たしてデートと呼んでいいのかはなはだ不安・・・。
すみません、こんなものしか書けなくてorz
苦情など受け付けますので・・・!
コウヤ
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