短編 | ナノ


▼ ぼくらのおちこぼれな夏

 暇そうにしていた私におばあちゃんが屋根裏部屋から遊び道具を持ってきてくれた。箱の中には、けん玉や独楽(こま)、お母さんが昔読んでいた漫画が無造作に入っていた。田んぼに囲まれたおばあちゃんの家に遊びに行くことが夏の恒例行事になっていて、おばあちゃんは毎年私たちが遊びに来るのを楽しみにしてくれているらしい。私も小さい頃はおばあちゃんの家に行くことが楽しみで仕方なかったけれど、小学六年生になった今では貴重な夏休みの半分をここで過ごすことが苦痛になっていた。コンビニも車で十分の距離にしかない、市民プールもない、仲の良い友達もいない。ないない尽くしのこんな田舎では、することもないのだ。私の住む町より空気はいいけど、ただ澄んでいるというだけだし、夜に田んぼを飛んでいる蛍なんて、虫が嫌いな私からしてみれば気持ち悪いだけだ。
 箱の中を漁っていると、底に古びた紙を見つけた。手に取ってみると、それは写真だった。男の子が二人と女の子が一人。三人はこちらに笑顔を向けている。写真を裏返してみれば名前が書いてあった。
『さち子・虎男(とらお)・辰男(たつお) 十二歳の夏』
 おさげの女の子を真ん中に、右側に坊主頭の活発そうな男の子、左側に坊ちゃん刈りの利発そうな男の子が立っている。さち子――覚えのある名前だなと思ったら、おばあちゃんの名前だ。もしかしたら写真の女の子は子どもの頃のおばあちゃんなのかもしれない。気になった私は、台所の椅子に座ってお茶を飲んでいたおばあちゃんに写真を見せて尋ねた。するとおばあちゃんは目を細めて笑った。
「懐かしいわね。これはあたしとおじいさんと幼馴染の三人で撮ったものよ。ずっと昔に無くしたと思っていたのに……」
 それからおばあちゃんは当時のことをゆっくりと語りだした。坊主頭の男の子が虎男、この子が私のおじいちゃんにあたる人らしい。おじいちゃんは私が生まれる前に病気で亡くなっていたから、私は名前この時に知った。坊ちゃん刈りの男の子が辰男で、写真を撮った夏に遠くの町に引っ越して、それきり音信不通になったそうだ。
「辰男くんの引っ越しは随分前から決まっていたことだったらしいのだけど、あたしたちがそれを知ったのは引っ越しの前日だったの」
 おじいちゃんは怒って、二人は大喧嘩をしたそうだ。それが原因でおじいちゃんと辰男さんは別れの挨拶を交わすことも出来ず仕舞いだったそうだ。
 今際の際におじいちゃんは「あいつに会いたい……。おれが……あの時……蛍を……あいつは……」と言葉を残したそうだ。途切れ途切れの言葉を聞いたおばあちゃんは、おじいちゃんの本音に気づくことができなかった自分を責めた。せめて辰男さんにおじいちゃんが亡くなったことを伝えようと思い捜したが、結局辰男さんは見つからなかった。
「それに喧嘩はあたしのせいでもあるのよ」
 伏し目がちにそう言うと、おばあちゃんは何かを振り払うように、晩ごはんの準備を始めると立ち上がった。準備が終わるまで、遊んでおいでと言うおばあちゃんの言葉に甘えて、私は夕焼けに染まる田んぼに足を向けた。虫の多い田んぼは好きじゃないけど、今は外の空気を吸いたい気分だったのだ。まさか、一枚の写真からあんなに悲しい思い出を聞くことになるなんて想像もしなかった。
 田んぼ道は車が一台なんとか通ることができる幅で、車が通ることはそうそう無いけれど、もし来たら田んぼの方に避ける必要がある。昨日雨が降ったせいか、田んぼにはあめんぼが何匹も泳いでいる。もっと目を凝らせば他にも虫がいるのだろう。見つけても不快なだけだからと視線を外して歩き出そうとしたとき、ツルリと足が滑った。濡れた草に足が絡めとられたのか、日ごろの運動不足が祟って足がもつれたのかは分からないけど、私の体はゆっくりと田んぼの中に落ちた。
 バシャンと大きな音を立てて、泥水が跳ねる。飛び散った水は私の口の中にも入って、土の味が広がる前に吐き出そうとむせた。
「――ちゃん、大丈夫?」
 不意に上から声がかかる。顔を上げるとそこには見覚えのある少年が手をこちらに差し伸べて立っていた。
「いきなり落ちちゃうなんて運がないし、せっかくのお洋服も泥で汚れちゃったね」
 柔和な微笑みを浮かべ、しかし眉を下げてこちらを心配そうに見てくる。そうだ、彼は写真に写っていた辰男にそっくりなのだ。
「もしかしてどこか怪我しちゃった?」
 微動だにしない私を不思議に思ったのか、辰男は自分の靴が濡れるのも厭わず田んぼの中に入ってきた。これ以上黙っているのはさすがにまずいと思って口を開いた。
「ううん、だい……っ!」
 口から出た声に耳を疑った。それは私の知っている声とは全く違うもので、濡れた手で口元を抑える。
「さちちゃんどうしたの? 本当に大丈夫?」
 覗き込む辰男の黒い目に映っているのは若き日のおばあちゃんだった。
 身体を濡れたタオルで拭いて、綺麗な服に着替えた。どういうわけか私は昔にタイムスリップしてしまったようだ。それも精神だけ。そしてその精神は、これまた何故かおばあちゃんの身体に入り込んでしまった。玄関では辰男が待っている。二人は、学校へ成績のことで呼び出された虎男を迎えに行こうとしていたらしい(おじいちゃんはどうやら成績があまりよろしくないようだ)。その途中であんなことがあったから、今はおばあちゃんの家まで戻ってきた。着替えが終わると、私と辰男は学校に向かった。
「ちょっと遅くなっちゃったね。虎ちゃん短気だから怒ってるかな」
「えっと、ごめんね」
「仕方ないさ、あんなに濡れちゃったら。それに虎ちゃんはさちちゃんには優しいから許してくれるよ」
 そう言って辰男はくすくす笑った。気のせいかもしれないが、どことなくその笑顔に寂しさがあるように見えたのは、私が事情を知っているからなのだろう。
辰男の笑顔をみて、私がこの時代のおばあちゃんの身体を借りて此処にいるのは、おばあちゃんの願いを叶えるためじゃないかと、確信はないけど思った。
 仲の良かった三人の毀(こぼ)れてしまった絆を修復するために私はここにいるのではないか?
 田んぼ道を抜けて、少し歩いたところに木造の小さな学校があった。校門のところに坊主頭の男の子が立っている。
「いた、虎ちゃんだ。やっばり機嫌が悪そうだなあ」
 虎男はむすっとした顔で此方を睨んでいる。辰男が手を振っても顔を背けてしまった。
「相当へそを曲げてるみたいだ。今日は蛍を見に行く約束だったけど、これは流れそうだな」
「蛍?」
「忘れちゃったの? 今日は三人で蛍を見に行く約束だったでしょ」
「ああ、そうだったね。ごめんね、忘れてた」
 そう言うと辰男はハァとため息をこぼした。「楽しみにしていたのは僕だけ?」と口を尖らせる。
「そこで伝えたいことがあったんだけど……またの機会のほうがいいかな」
 どこかぼんやりとした目でそう呟いた辰男の言葉に、私の脳裏におじいちゃんの最後の言葉が浮かんだ。
ホタル、そうだ、おじいちゃんが言っていた蛍とは、この約束のことなんじゃ……。
 おじいちゃんはこの日、機嫌を悪くして帰っちゃうんだ。それで蛍を見に行く約束を破ってしまう。辰男はそこで引っ越しの話をするつもりだったけど、機会を逃して、前日まで伝えることができなかったのだとすれば、何としてでも今日の蛍を見に行かせないと。
 そんなことを考えていると、虎男がずんずん此方に歩いてくるのがみえた。
「虎ちゃん、今日の蛍だけど」
「そんなものナシだ! 気分が乗らない」
「……そっか、わかったよ」
 そう言った辰男は、本音を飲みこんで何とか言葉を吐き出したみたいな顔で笑った。このままじゃ駄目だ。虎男が辰男に「どうせお前が田んぼにいる虫に目をとられて遅れたんだろ」と責めている。辰男はそれを否定しない。
違う、遅れてしまったのは私のせいで――そうか待てよ、おばあちゃんの言っていた「あたしのせい」とはもしかするとコレだったのか。おばあちゃんは虎男の怒りに怯んでしまい真実を話せなかったのかもしれない。このまま私が黙り込んで、蛍観賞が流れてしまえば、未来は何も変わらない!
「虎男くんごめんね、私のせいで遅くなっちゃったの。それに辰男くんもダメだよ。伝えたいことがあるならすぐに言わないと、後じゃ後悔することになる」
 そう言ってからもう一度謝って頭を下げると、二人は少し焦ったようだった。普段のおばあちゃんはこんな行動をとらないのだろう。
「私は今日蛍を見に行きたい! だからお願い、虎男くんみんなで一緒に行こう」
「……僕も、今日行きたいな。二人に話したいことがあるんだ」
私と辰男はジッと虎男の顔をみつめる。その視線に居心地が悪くなったのか、虎男は顔を背けて舌打ちをした。
「早くしないと蛍が飛ぶ時間がくるぞ」
「虎ちゃん! そうだね、急ごう」
「そういえば伝えたいことってなんだよ。今じゃダメなのか?」
「うーん……。ふふ、今じゃないかな」
「なんだよそれ。まあ池まで我慢してやるよ。……おいさち子、遅いと置いてくぞ」
 二人が歩き出して、私も慌てて二人の後を追って一歩踏み出すと、ぐらりと地面が揺れた。景色が歪んで、身体が沈んでいく感覚に私は思わず目を閉じてしまった。
ああ、私の役目は終わったのだ。

バシャンと水しぶきが上がる。気がつけば私は田んぼの中に倒れこんでいた。
ズボンに染みてくる泥水の不快感に顔をしかめる。その時、田んぼ道を車が一台走って行った。どうやら私は現代に戻ってきたみたいだ。おばあちゃんたちはどうなったのだろう。辰男はあの後引っ越しのことを伝えることができたのかな。
私は田んぼから飛び出ると、おばあちゃんの家に走って戻った。玄関で靴を脱いで、キッチンに飛び込む。おばあちゃんが目を大きくしてこちらをみている。泥で汚れている私の服を見るとキッチンを慌てて出て行った。
机の上には二枚の写真が置いてあった。一枚はあの夏の写真だ。重ねるように置いてあるその写真を手にとる。そこに書いてある文字は――



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