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見世物小屋設定のパロディ
知念くんが異形
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 こんな田舎に見世物小屋がやってくるなんて、もう二度とないことかもしれない。それなのにお母さんもお父さんも、危ないから行っちゃだめだとわたしに厳しく言いつけた。西洋手品や曲芸、そして何よりジャングルの奥地から連れてこられた異形の人間たちがそこにはいるんだと、村で噂を聞いた。自分の目で確かめに行かなければ気がすまない!
 だから、いけないこととは知りつつも夜中に家から抜け出した。走って走って胸を高鳴らせ辿り着いた村の外れには、真っ赤なテントと人だかり。高台に経つ帽子を被ったお兄さんが声高に、「お代は見てのお帰りで!」と叫んでいる。わたしのような子供が一人で来ている様子はなくて、もしかしたら怒られるかもしれないと思ったけれど、帽子のお兄さんはわたしを一瞥すると他の大人たちに対するのと同じように「ようこそいらっしゃいました!」と恭しくお辞儀をしたのだった。

「さあさあさあ、入って入って! 間もなく始まるよ! お父さんお母さんおじいちゃんおばあちゃん、お嬢ちゃんにお坊ちゃん! 我が一座が誇る世にも奇妙な見世物の数々をご照覧あれ!」

 人波に揉まれながらもテントの中に吸込まれると、四方を布で囲まれたその中は薄暗くどんよりとしていて、思ったよりも狭苦しい。簡素なステージが設けられているだけで客席などはなく、わたしたち観客はせり上がりのステージを立ったまま見上げるかたちになった。観客はわたしを含めて三十人ほどで、体の小さい子供であるわたしは運良く最前列に滑り込むことが出来た。背伸びをしてみるとステージ上はよくわからない染みや血みたいな赤色で汚れていて、感じたことのない予感に背中がぞわぞわと粟立つ。怖いという気持ちと、楽しみだという気持ちが、半分半分。
 何が観られるのかな。楽しみだね。そう囁き合う人達の声が周囲を飛び交い、テント内の興奮がてっぺんまで高まったとき、静かに流れ続けていたレコードの音がぴたりと止んだ。板の上に躍り出たのは、さっきまで外で呼び込みをしていた男の人とは違う、けれど同じような黒い法被姿の、眼鏡をかけた人。すらりと背が高くて、格好が良い。あちこち布が裂けたぼろぼろのテントで弁をふるっているのが奇妙に思えるぐらい、芯の入った綺麗な立ち姿だ。

「今宵はようこそお集まりくださいました。まずご覧に入れますのは、南米のジャングルから連れて帰って参りましたる大男! 密林の猛獣に育てられ、生肉だろうが虫だろうが美味そうに平らげます! 皆様もゆめゆめ気を許さぬよう……!」

 眼鏡の人が身を翻してステージ端の暗闇に身を溶かした刹那、獣の咆哮が観客の鼓膜を揺さぶった。舞台に上がったのは、二メートルもあろうかという大柄な男の人、……人、あれは人なんだろうか。耳が壊れてしまいそうな叫びを上げながら、人間の姿に変えられた肉食の猛獣のように狭いステージを暴れ回る。首に括りつけられた縄が舞台袖まで伸びているので、きっと誰かが押さえ付けているんだろう。その制御が無ければ、今にも客席に飛び降りてきて頭を食いちぎられてしまいそうだ。
 しばらくその猛獣男の大暴れを茫然と見詰めていると、先ほどはけて行った眼鏡の人が再び現れた。手にはバケツを持っており、やおらその中に片腕を突っ込んで大きなお魚を取り出した。

「ホラ、ご飯ですよ」
「食い物おおおおお!」

 眼鏡の人は猛獣男の突進をひらりと交わし、手にしたお魚を高く放り投げる。宙を舞ったお魚はステージ中央にびたんと落下するや否や、その巨躯に見合わぬ速さで方向を転換した猛獣男に噛み付かれた! まるで麩菓子でも食べているみたいに、何の加工もされていない大きなお魚を、ばりばりと。たった数口で、跡形も残さずお魚は胃の中へ収まってしまった。

「す、すごい……!」

 そこからの見世物も、今まで体験したことのないわくわくをくれるものばかりだった。異人さんのような毛の色をした男の人が剣を丸呑みしたり、身体がくっついた双子のホルマリン漬けが登場したり、坊主の男の人が火を噴いたり、そばかすの男の人が兎に曲芸をやらせたり。怖かったりもしたけれど、次はどんなものが出てくるんだろうという期待感でわたしの胸の中はいっぱいだった。

「お帰りはあちらから!」

 眼鏡の、(恐らく座長であろう)男性が最後をそう締めくくるまで、わたしはずっと拍手をしていた。きっとわたしが家を抜け出したことに気付いた両親はカンカンに怒っているだろう、ああ、帰りたくないな。一晩中ここにいて、まだまだ見世物が見たい! またあの猛獣みたいな人が見たいな、火を噴く人ももう少し見たかった、どうやったらあんなこと出来るようになるのか教えてもらえないかな、さすがに企業秘密なのかな。そんな風に思いながら手を打ち鳴らし続けていると、気付けばわたし以外のお客さんは一人も居なくなっていた。


「やー、一人で来たの?」
「はぐれたのかも知れませんよ」
「あれま、そりゃでーじ。へーく帰らせんと」
「大丈夫ですか? 帰り道は分かります?」

 帽子の人と眼鏡の人がわたしの顔を覗き込んだ。ショウの最中は感じなかった、聞き慣れぬ訛りがある。でも、わたしのことを心配しているのだな、というのは伝わってきた。迷子だと思われて警察に連絡されたら困ったことになる、ただでさえもう怒られるのは決まっているのに。二人に頭を下げ、大丈夫です、一人で来ました、ちゃんと帰れますと伝えた。

「しっかりしたお子さんですねぇ」
「どう? 楽しかったか?」
「はい、とっても! もっともっと見たいぐらいでした!」

 帽子の人に頭をくしゃくしゃと撫でられて訊かれると、自分でも驚くぐらいすらすらと感想が溢れ出た。まとめると、凄かった、最高の夜でした、もっと見たい、それに尽きるんだけれど。
 二人は顔を見合わせて、一言二言小さな声で話し合ったのち、帽子の人の方がわたしの手を握った。

「そんなに気に入って貰えたならよ、わったーの一座の目玉商品見てもらうさー」
「今日は時間の都合で省略しましたが、あれが全てではないんですよ」
「え、そんな、いいんですか?」
「君にだけ、特別ですよ」


 案内されたのはテントの裏側。ステージに直接出られるようにテントにぴったりくっついて、トタン屋根の掘っ建て小屋があった。俺達は明日の支度があるから一人で楽しんでおいで、と言われ、小屋の中にはわたしだけが足を踏み入れた。
 真っ暗闇のなかに、何かの気配がある。
 大暴れしていたあの獣のような人だったら、どうしよう。ごくりと生唾を飲み込んだけれどわたしは好奇心に抗えない性分だ、一歩また一歩と泥のような暗がりに進んで行った。


「たーか、いちゅんばぁ?」
「! ……っ」

 汗がこめかみを伝って、落ちる。何も見えない場所から低い声がして、わたしは漸くにじり歩くのを止め、闇に目を凝らした。


 黄色い、目。
 人だ、人の顔だ。


「やー、誰? 新人か?」
「……ちが、います」
「何でくんねぇとぅくるに……?」
「あの、座長さん? が、見てもいいって」
「永四郎か……はぁやぁ、珍しい日もあるもんだばー」


 ずるずる、と、地面を這う音が聞こえる。
 粗末な造りの小屋だ。天井や壁から差し込む月光で声の正体が露になった時、わたしは大声を出さぬよう両手のひらで口元を抑えた。

 足が、ない。

 正確に言うなら、足がある部分が鈍色の鱗でびっしりと覆われていて、まるで蛇のような、お魚のような下肢をしている。上半身はまるきり人間で、継ぎ接ぎだらけの襦袢を羽織って、その普通さが却って下半身の異質さを際立たせていた。

「あ、あなたは、だれ?」
「……蛇男」
「へび、……蛇男さん?」
「ここではずっとそう呼ばれてるさぁ」

 蛇男さんは壁に凭れて地面に座っていたけれど、その首には太い縄が回され、その先は小屋の柱にしっかりと結び付けられていた。これでは這いずって少しばかりの距離を動くことしか出来そうにない。あんまりにも可哀想だ。

「おい」
「は、はい」
「やー、可哀想だとか考えただろ」
「……こんなところに縛られて、動けない蛇男さんは、可哀想です。ひどい」
「は、見世物なんて見に来ておいてそれか。さっきさんざん見たもんは可哀想じゃないばぁ?」
「それは、……暴れる人には、縄をつけないと、危ないですし」
「本気で暴れてたと思ってるんかやー? だとしたら、やーはふらーさぁ。何もわかってねーらん。……あんねぇむん、全部演技やし」

 ステージ上から、まさに客を取って食わんとするばかりの勢いの猛獣男の姿を思い出す。あれが演技だったなんてとても思えない。でも、黄色いぎょろりとした目を伏せた蛇男さんが嘘を言っているようにも見えなかった。

「蛇男さんは、ずっとここにいるんですか」
「ここに来る前のくとぅなんて、忘れちまったさぁ」

 月光を反射して光る鱗が、綺麗で、でもどこか恐ろしくて、わたしはその場から動けないまま蛇男さんと言葉を交わし続けた。蛇男さんはその黄色い瞳でじっとわたしのことを見ていたけれど、不意に視線が数秒間絡み合った時、わたしの口は勝手に、とんでもないことを言い出した。

「わたし、蛇男さんのこと、助けてあげたいです」
「……あい?」
「蛇男さん、こんなところ出て、外に出ましょうよ」
「……」
「ねえ、蛇男さん、あなたの名前、教えてくれませんか」
「……かしまさい。話しすぎた。やーと話すくとぅは、もうねーらん。帰ーれ」
「わたしは、なまえっていいます。蛇男さん、怒っちゃったなら本当にごめんなさい、ただわたしは、」
「ここから出て、わーみてぇなのがどうやって生きていちゅんばぁ? やーが責任持てるのか?」
「それは、……それは……」
「わーを外に連れ出して、後は放っておくつもりだったのか?」
「ち、違います!」
「違わん。やーは、ただ勢いであびただけ。ぬーがよ、わーが可哀想? はっ、余計なお世話さぁ。へーく帰ーれよ」
「蛇男さん、」
「……なまえ、わーが、人間に見えるか? それとも化け物に見えるか」

 答えられなかった、何も。何一つ。



 それからこの田舎に見世物小屋がやってくることは無かったけれど。大人になって、結婚して、子供が生まれて、ささやかながらも確かな幸せを手に入れた今になっても、わたしはあのまぼろしのようだった一夜を反芻し続ける。彼はあの後どうなったのだろう。今もあそこに、あの見世物小屋にいるんだろうか。まだあの暗い天幕のなかに、たったひとりで繋がれているだろうか。
 まあ、けれど。そんなこと、わたしには知る由もない。知る権利もない。笑っちゃうくらいなにもないのだ。あの人の救世主になり損なった、愚かなわたしには。


(たった一夜のメシア)
title 「食用」さまより
企画『Resurgence』さまへ提出