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「ねえ知念くん、知ってる? 人間が人間を食べるとね、頭がおかしくなっちゃうらしいよ」

 どこかのオカルトまとめサイトでかじった知識を披露すると、知念くんはスティーブン・キング作『ミルクマン』を読み続けながら表情ひとつ変えず、ああ知ってる。と短く答えた。

「知念くんは何でも知ってるんだね!」
「何でもは知らん」
「私が言うこと、何でも知ってるって言うから」
「知ってるくとぅばかりあびてくるからな」

 三年生になってから同じクラスになった、知念寛くん。それまでは学校内でたまに姿を見かけていたぐらいだけれど、同じ六組になってから知念くんの色んな一面を見て、どうしようもなく惹かれた。美化委員である知念くんは綺麗好きであるらしく、机のなかがいつもぴしっと整っているところとか、ペンを持っているのかと思ってよく見てみたらなぜかピンセットを構えていたりとか、前髪だけ白いちょっと変わっているところとか。仲良くなりたいなと思ったから、知念くんが休み時間にいつも読んでいる本のことをちょっと調べた。
 私も同じ作者の本を図書室で借りて何冊か読んでみたら、貸し出し表にはいつも先に知念くんの名前があった。このあいだ聞いてみたら、もうこの学校にあるスティーブン・キングの小説はすべて読み終えてしまって、最近は自分で買ったものを持ってきて読んでいるらしい。
 その作者、好きなの? って訊いてみたら、知念くんは頷いてくれて、そこから私は毎日、知念くんに話しかけている。知念くんが興味があるであろう話題で、知らないことを教えてあげて、びっくりさせたくて。そしたらきっと知念くんは、私に興味を持ってくれると思うから。

「明日はきっと驚かせるから、楽しみにしててね!」

 これ以上はきっと読書の邪魔になるから、私はすぐ知念くんの机を離れた。
 テニス部で頑張っている知念くんがくつろげる、貴重な休み時間。友達と言っていいのかも微妙なポジションの私が、これ以上ぐだぐだ居座っても困らせるだけだ。いつか知念くんを驚かせて、知念くんが私に興味を持ってくれたら、もっとたくさん喋る。これが私の直近の目標だ。

 知念くんは私の方を見てやおら口を開きかけたが、すぐに本へ視線を戻した。私の席は知念くんの三つ後ろで、休み時間は前の二人が教室を出ていくから、次の予鈴が鳴るまでは読書する知念くんの伸ばされた背筋を眺めることに没頭できる。しあわせ!
 ぽかぽかと初夏の陽気。全快にされた窓から吹き抜ける風が心地よくて、だんだんとねむくなる。ううん、ちょっと勿体ないけど、今日は少しだけ寝ちゃおう。突っ伏すと冷たい机が気持ちよくて、すぐさま瞼が重たくなりはじめた。



 あたたかい海の底に立っていた。
 隣にいるのは、知念くんだ。長い襟足が水に揺れている。

「なまえ」

 知念くんの低くて優しい声が私の名前を呼ぶ。あれ、私の名前知ってたんだっけ。知ってるかもしれないけど、今まで呼ばれたことがないから驚いちゃった。
 黄色がかったふたつの目玉が私のほうを真っすぐ向いて、骨ばった手のひらが私の頬に触れる。水のなかにいるというのに、不思議と感じるのは知念くんの体温だけ。その手は優しく私の顔から首に流れて、肩へ、腕へ。くすぐったいよと言おうとしたけれど、私の口から出たのはいくつかの気泡だった。

「しちゅんよ、なまえ」

 あ。そうか、これは現実じゃないのか。
 自分勝手な夢を見る恥ずかしいやつだな、私は。私の都合と妄想でかたちづくられた知念くんは、どうやら好きだと囁いた。私の腕を両手で壊れものに触れるように包んで、真っすぐ私を見つめている。いつも私が話しかけるのは座った知念くんの真横からで、こんなふうに正面から見つめられたことは一回たりともないのに、優秀な脳が補完してくれてるんだろう。

 私もすきだよ。だいすきだよ。
 吐き出した言葉は、ぶくぶくと間抜けな泡になって、少しだけ上昇して、弾けて消えた。









 休憩のあとから放課後までの数時間、みょうじは眠り続けていた。どんな幸せな夢を見ているのか、机に突っ伏し、教師に起きろと頭を叩かれても夢の世界から帰ってくることはなく、時折むにゃむにゃと聞き取れない寝言を言った。
 全ての授業が終わり、部活へ、帰宅へ、生徒は各自教室を後にする。俺も部室へ向かうため席を立つが、振り返ればまだ起きる気配がなく寝息を立てるみょうじの姿があった。どんな夢を見ているんだろうか、緩んだ、幸せそうな表情。確かにこれは無理やり起こすのが申し訳なくなる。


「ちねん、くん」
「っ、ぬーが……」

 思わず返事をしてしまうほど明瞭な寝言。教室にはもう俺とみょうじしかいないが、誰かに聞かれていたら二人とも恥ずかしい思いをするところだった。良かったな、みょうじ。

「ううーん……」
「……」

 さすがにそろそろ起こさないとまずい。目が覚めて、暗くなった外と誰もいない教室に動転する姿がありありと思い浮かぶ。肩を掴み、軽く揺さぶる。

「えぇ、起きろ。もう帰ーる時間さー」
「起きたくない……起きたくない……」

 ――こいつ本当は起きてるんじゃないか?
 みょうじは起きたくないと言いながら首を左右に振り、まだ目を開く気配を見せない。丸めた教科書で打たれても起きなかった女がこの程度で目を覚ます訳もないか。今度は強めに肩を叩いてやり、名を呼ぼうとしかけて、そういえばこいつの名前を面と向かって呼んだことはないなと思い返す。勿論知ってはいるものの、名前を必要とするほどのやり取りをしたことは無かった。
 
「みょうじ」

 二人きりの静かな教室に俺の声が静かに響き、返事はないまま壁に吸込まれた。穏やかな寝息を立てるみょうじは一瞬もぞもぞと身を捩ったが、返答はない。

「……」

 おそらく、初夏の陽気に当てられたんだと思う。









 知念くんとこんなにお喋りをしたのは初めてだ。
 最初は色んなことを質問したけれど、肝心の答えの部分は聞き取れなくって、やっぱりこれは私の夢でしかないから、私の知らないことはわからないようになっているんだなあ、って納得した。残念だと思ったけど、逆を返せばこの世界では、知念くんと何だって出来ると気付いてからは、ただただ楽しかった。
 落ちている貝殻を数えて、水面を見上げて、それから海底を、手を繋いでゆっくりお散歩した。歩いていると途中から学校のなかのような景色になっていって、気付けばいつもの教室に私たちはいた。いつもと違うのは、知念くんが私の席のところに来てくれていて、座っているわたしに話しかけてくれていること。

「知念くん」
「ぬーが?」

 この夢がずっと続けばいいなあ。
 起きたくない。
 ずっとこうして、知念くんが私を見ていてくれればいいのに!
 ……あ、でも、本物の知念くんに会えないのはやっぱり嫌だな。目の前にいる知念くんは私のことを見てくれているけれど、私の想像が生み出したご都合主義の偽物だし、そう考えてしまうとこの状況はちょっと空しい。
 横に立って話をしていた知念くんが、突然腰を屈めた。背の高い知念くんだから、ちょっと無理した体勢になってようやく、座っている私と同じぐらいの視線の高さになる。こんな至近距離で顔を見たの、はじめて! ああ、たかが夢なのに、心臓がばくばくして、頭がおかしくなっちゃいそう。

「みょうじ」

 今まで名前で読んでくれていたのに、どうしていきなり苗字で呼ぶんだろう。そこは名前で呼んでほしかった、知念くんちょっとそういうところあるよ! 現実では到底できない駄目出しを心のなかで呟いてみる。
 ちょっと緊張した知念くんの顔が近付いてきて、これは! と、目を閉じる。うわー、私、まじか、夢のなかでキスしちゃうってちょっとドン引きされちゃう案件だ、友達にも言えないや。

 重なった唇はすぐに離れて、触れていた熱を窓からの風が冷やしてゆく。
 いつの間にかラケットバッグを背負っていた知念くんが口角を吊り上げて、首を傾いだ。


「起きたばぁ?」
「……、え、……お、……おはよう……?」


 早く帰れよ、と、廊下から先生の声が聞こえた。
 知念くんはラケットバッグを背負いなおし、教室を出て行こうとする。


「ま、待って!」
「あい?」
「あの、知念くんさ、いま、私に、……」


 それから先は、何をどう喋ったかよく覚えていない。まとめてしまうと、とにかく明日から、私はオカルトサイトを恐怖に耐えながら見なくても良くなって、明日から、私は大好きなひとの顔を正面から見られることになって、明日から、私は大好きなひとと、夢のなかでなくてもたくさんお喋りができるようになった。ということ、です。


 恥ずかし!



(くるっちゃうんだぜ)
title 「深爪」さまより