夏休みだというのに、あたしは毎朝制服を着て学校に来ている。その理由は当番でもない学校の花壇の花の水やり。林間学校の朝までも早く起きてやってきた。あたしの心が荒みきった時に笑いかけてくれたようなこの花がなぜかあたしの中で特別な存在になっていた。きっと真奈美はあたしがこんなにこの花に思い入れているのかを知らない。知らなくていい。
しかし、中学3年生の夏といえば、受験真っ只中のような気がするけれど、この学校は大学までの一貫校でそれほどまで焦っていない。試験はあるけれど、みんなそこまで心配していない。だから、こんな時期なのに林間学校もあるのだろう。あたしは元の世界にいた時はもう少し焦っていた気がする。元に戻った時に後悔することになるのだろうか。それとも、もう戻ることはできないのだろうか。一人でこうやって水をあげているとふつふつとそんな疑問が湧いては消えていく。乾いた笑いが一人でに出てきてしまう。最後の水滴がじょうろから落ちて、ぶつかった花はおじぎをするように跳ねた。
ジョウロに新しく水を汲んで花壇に戻ってくると人影が会った。この場所で人に会うのは初めてだったうえに、たった今水をあげていた花を眺めているから思わず歩みを止めてしまった。その人は濃紺の髪をさらりと揺らして立ち上がりこちらを向いた。正面から顔をとらえると、とてもきれいで優しげな表情をしていた。朝なのにもうすでに暑い。それなのに制服をきちんと着た彼はどこか涼しそうだ。その彼の瞳があたしを映した。気付けばジョウロの先からポタポタと水が溢れていて、そこだけ土の色が濃くなっている。彼は笑った。それはそれはきれいに。春の風を思わせるように。あたしはつられるように、でも少し硬く笑いかえした。
そのまま花壇の前にいる彼の横であたしは残りの花に水をあげている。会話はない。あたしは気まずいと思いながらも声をかけることもできなかった。水を得た花は瑞々しくなったように感じる。それはあたしだけではなかったのだろう。彼はふふふと笑った。喜んでるね、と言って。同じように感じたことが嬉しくて今度はあたしも自然に笑っていた。彼はあたしが笑ったことに驚いたみたいで、すごい速さで首をこちらに向けた。彼の目もまんまるだったけれど、あたしも驚いて目をまんまるにする。なんだ残念、と呟いて彼はまた花壇に向き直す。


「きみは美化委員?」


花を見つめたまま言った。あたしは「違う」と答える。そうするとまた彼は驚いたようにこちらを見る。このきれいすぎる顔に見つめられるとなんだか調子が狂ってしまう。


「きみがずっとここに水をあげててくれてたの?」


こくんと頷く。すると彼は急に立ち上がってあたしの目を真剣に見つめて、でも柔らかく笑った。本当にきれいに笑う人だなと少し頬を染めて思うあたし。でもすぐにそれは新たな考えにかき消された。もしかしてこの人はずっと水やりを忘れていた人なんじゃないかと。「部活のついで?」という彼の問いかけにあたしは首を横に振る。「この花のために毎日来てたの?」という問いかけにはこくんと縦に首を振った。


「そうなんだ。俺はこれから部活なんだ。久しぶりに学校に来たんだけど、このこたちが枯れてなくて本当に良かった」


嬉しそうに笑った彼に不信感が募る。部活のついでに来たということなんだろうか。


「あなたは美化委員?」


そう問いかけると顔をそらすように下に向けて「さぁ、どうかな」と言う。あたしはその煮え切らない態度にずっと膨らんで張り詰めていたものが爆発してしまった。


「枯れないか心配してたならなんで来なかったの?水不足で元気をなくしてたのよ!責任感ていうものはないの?このこたちだって生きてるんだから!」


思わず大きくなる声でまくしたてた。彼はまたあたしのことをまんまるにした瞳で見つめる。それは震えていて、あたしは責めるような言い方をしてしまったことに後悔した。でも間違っていないとも思う。


「そうだね、このこたちも生きてるんだよね」


慈しむように花に向かって彼は言った。あたしはなんだか居心地が悪くなって間違ったことは言っていないと思いながらも「ごめん」と謝ってその場を早足で立ち去った。自分は間違っていないと言い聞かせるように呟いたけれど、どこか腑に落ちないところがあった。なにかもやもやとした気持ちがあって、あたしはそれが気持ち悪くて、早く帰って真奈美に会いたいと、走り出した。





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