最近の、もっと厳密に言うと白石さんを好きになってからあたしの心は忙しい。感情の浮き沈みが激しくて、小さなことで飛び上がるくらい喜んで、些細なことでもう起き上がれないんじゃないかと思うくらいに落ち込む。だから明確にあたしと白石さんを遠ざけようとする財前の言葉はいつも刃物みたいに痛かった。
昨日いつもと同じようにテニスコートに向かったあたしを待っていたのは白石さんではなく財前だった。そして白石さんはここにはいないと言った。委員会の急な呼び出しで部活の最後の方に慌ただしく抜けたと理由を話す。そして部活の先輩の一人がいなくなっていて、部員で探しているけれどもうそろそろ帰って来ると説明してくれた。てっきり白石さんに避けられたのだと思ったあたしはその説明にすごく安心してしまって。話を聞いている間ずっと強張っていた顔がへにゃりと崩れてしまった。


「よかったぁ。白石さんに避けれれたんかと思った」


あんまりにも嬉しくて涙と笑いが一緒に出てくる。そんな表情を財前に見られてしまったのが恥ずかしかった。慌てて口元を押さえる。一瞬の間をおいて、財前は先輩たちが来る前に帰った方がいいと言った。あたしはそれに頷いてテニスコートを後にした。



財前も優しいところがあるんだなぁ。なんて考えながら映画部の部長の話を聞いていた。今日は映画部の方の集まりだった。文武両道を掲げていてもやはり夏の大会の前は運動部の活動の方が比率は大きくなってしまう。だからこっちに顔を出すのは久しぶりだった。今の時期は活動も緩い。部長が大きな声で最近見た映画の話をしているのをどこか遠くに感じながらあたしは昨日のことを思い出す。財前がいなかったら白石さんがいないことにショックを受けていただろう。待ち続けて他のテニス部の人に見つけられていたかもしれない。もしそうなっていたらとあたしはどうしていたんだろうと考えたけど怖すぎてやめた。そしてすぐに早く白石さんに会いたいなと思う。昨日会えなかったから余計に。そうした焦ったような、ふわふわした心地いい昂揚感のような不思議な気持ちを抱えながら残りの部活の時間を過ごした。

今日は白石さんいるかなと思いながら部室を出たら、望美先輩と自然と並ぶ形になった。それにお互いに顔を合わせてにっこりと笑う。


「奈緒ちゃん、久しぶりやね」


望美先輩は優しいから好き。映画部の方では一番懐いているかもしれない。入った当初にまだ何も分かっていなかったあたしに色々と教えてくれたのは望美先輩だった。
そのまま今年の文化祭にはなにをするのかとか最近映画は見たかとかそんな話をしながら歩いた。学年別の玄関を抜けてもまたいつの間にか合流しててそのまま校門とは違う方に進む。そこではたと気づく。なんで同じ方向に向かってるんだろう。こっちはテニスコートの方だ。


「もしかして望美先輩ってテニス部ですか?」
「うん。あれ、言うたことなかったっけ?女テニのマネだよ」


衝撃的だった。あたしはこんなに身近でよくしてくれていた先輩がテニス部だと言うことを知らなかったのだ。今まであたしがテニス部に行った時に会わなかったのは奇跡的だなと思った。


「奈緒ちゃんもこっちに用事あるん?」
「あ、えっと…」


なんて言おうかと思っていると「望美!安西さん!」とあたしたちを呼ぶ白石さんの声が聞こえてきて反射的にぐるりと首をそちらに向けてしまう。その先にいたのはやっぱり白石さんであたしの胸は勝手に弾む。白石さんはもうすでにユニフォーム姿で。なんでも次の大会のオーダーを顧問に提出してきた帰りらしい。あたしはその大会に行きたいと思ってしまった。


「安西さん、昨日はかんにんな」


昨日のことを謝ってくれる白石さんにあたしは首を思い切り横に振った。「二人は知り合いなの?」とあたしと白石さんの顔を交互に見る望美先輩が言った。


「せや。最近、部活の後にテニスを教えてるんや」


あたしは白石さんにテニスを教えてもらうことを秘密の共有のように感じていた。だから白石さんが簡単にそうやって言うのを聞いてがっかりとしてしまった。あたしのことをなんとも思っていないからこうやって人に言うのも躊躇しないんだろうなって。「へぇ。そうなんやね」なんて望美先輩も少しだけ意外そうな顔をしたくらいでその話題は終わり、あたしと望美先輩が映画部で一緒だと言う話に移ってそう言うと白石さんは少し驚いていた。


「昨日は委員会で呼び出されてん。誰かに伝言していけばよかったわ」


そのまま三人でテニスコートに向かっていると白石さんがあたしに言った。それで財前が自分の意思で残ってくれたことを知る。やっぱり財前にも優しいところがあるんだな、と思う。素直じゃない財前はきっと認めないだろう。でもあたしは「伝えてくれた人がいたんです」とだけ答えた。




テニスコートに着くと「望美ー!」と先輩を呼ぶ大きな声が聞こえて来る。その声の主は多分一年生の小さな男の子だった。先輩はその子を金ちゃんと呼んだ。その金ちゃんは望美先輩にすごく懐いてるのが見えた。そして二人が「たこ焼きを食べに行こう」と話しるのが聞こえてきて仲がいいんだなと思っていると、そこにすごく大きな男の人がやって来た。その人を見た瞬間に先輩の表情が硬くなるのが分かった。どうしたんだろうと思いつつ、白石さんを横目で見た。そしたら白石さんがどこか違うところを見ていることに気づいた。その視線を辿ると、あの人がいた。あの人−白石さんの好きな人。白石さんはあの人に向って優しく微笑みながら手をあげた。さっきまで喜びで跳ねていたあたしの心臓は今度は苦しみできゅっと締め付けられる。白石さんの好きな人は手を振り返しながら望美先輩に抱きついた。


金ちゃんと呼ばれていた男の子は一年生の遠山金太郎くん。望美先輩が気まずそうにしていた大きな男の人が三年生の千歳千里さん。そして、白石さんの好きな人が三年生の南雲明依さん。望美先輩の幼なじみらしい。世界は狭い。あたしは全員紹介されながら、今日は早く来すぎたのかもしれないと思っていた。いつもならこんなに人はいないのに。白石さんに会いたいと強く思いすぎたのがいけなかったのかもしれない。あたしと白石さんの共有の秘密が財前にバレて、そして望美先輩にも広がって、そのままどんどん大きくなってしまった。まぁ二人だけの秘密だと思っていたのはあたしだけだったみたいだけど。

望美先輩は遠山くんと千歳さんと先に帰ってしまった。一緒にたこ焼きを食べに行くらしい。その約束があったから映画部の帰りにこっちに寄ったんだと言っていた。でも望美先輩は困った顔で最後までこちらを振り返っていた。それは多分南雲さんも誘ったのに首を縦に振らなかったからだ。一緒に行けばいいのに、と思ったけれど、そう思った瞬間に自分がとても汚い人間に見えて嫌になってしまった。白石さんにどうして行かないのかと聞かれていたけれど南雲さんは「たこ焼きの気分じゃない」としか言わなかった。「うちも帰るわ」と南雲さんが行こうとした時に白石さんは「じゃあ…」と口を開いた。それに続く言葉はもう分かっていた。あたしは言わないで、と心の中で強く願ってしまった。そんなことを思ったらまた自分が汚れて見えてしまうのに。でもそんなことを白石さんは知ってか知らずかそのまま言葉を繋いだ。


「一緒に残らへんか?」


だけど南雲さんはありがとうと笑って「せやけど帰るわ」と言った。そしてあたしに「頑張ってな!」と拳を握って見せた。そのまますぐにバイバイと言いながらニコニコと手を振って駆け足で帰ってしまった。あたしはホッとしてすぐに白石さんを見た。その表情が寂しいとかそういったものとはまた違っていて焦ったようなもどかしいようなもので、それを見たあたしはハッとした。きっと南雲さんはあたしに気を使って帰ったんだ。さっきの頑張ってと言うのはテニスのことだけじゃないのだと気づく。白石さんはそれをすぐに悟ったんだ。なんて声をかければいいのか分からなかったあたしはそのまま白石さんを見つめた。でもすぐに白石さんは笑って「ほな、始めよか」と言って来て。あたしも「はい」と答えた。ラケットを握り、向かいのコートにはあたしの好きな白石さん。本当に頑張ってもいいのかなと思いながら打ったボールはへろへろだった。




そんな顔が見たかったんじゃないの




2020.08.23




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