今でも思い出せる。目を閉じれば鮮明に、くっきりと。


オサムちゃんを初めて見たのは入学式が始まる少し前。これから通う校舎を見ておこうと1人でふらふらと校舎の周りを歩いていた時だった。スーツ姿ではあったけれど、ヒゲは生えていたし、髪だって明るめの茶色。正直な話、教師には見えなかったし、保護者にしては若すぎた。この学校という場所には少しイレギュラーに見えてしまうその姿に私は少し身構えた。でも、彼は私に気づくことはなく、桜の木を見上げていたかと思うとすぐに校舎の中へと入ってしまった。
警戒はしていた。けれど、彼の髪の明るい茶色と桜の淡いピンクのコントラストがとてもきれいで私は見とれてしまった。桜の花びらが舞うその空間だけが現実とは違う場所のような、そんな気がしたのだ。
その後、彼が入学式で教員席にいることに驚き、また自分の担任だと分かった時にはまた驚いた。

担任だからと言っても特になにかを話すわけでもなく数週間を過ごした。けれど、ある日オサムちゃんに私は呼び出される。放課後の教室に2人きり。嫌らしい意味なんてこれっぽっちもない。ただ私がいつまでも運動部に入っていなかったから。私が通う四天宝寺中学は文武両道を掲げていて、運動部と文化部の2つに入らなければいけない。それなのに私はまだ文化部のアップリケ部にしか入っていなかったのだ。


「なんか興味あるスポーツとかないんか?」
「特には」


オサムちゃんは大きなため息をつく。そんな風にわざとらしく困ったような態度をとらなくてもいいじゃないかと少しムッとした。私はスポーツに微塵も興味がないし、汗をかくこと自体そんなに好きじゃない。だから文化部の方はすぐに入部することができたけれど、運動部はいつまでも決めることができなかったのだ。そんな私のことをオサムちゃんはめんどくさいと思っているのだろう、とその時は考えていた。少しの間、俯いて頭をかいていたオサムちゃんはその手を止めて言った。「じゃあ、俺の顧問の男子テニス部マネージャーな!」と。上げられた顔は満面の笑みで。
ただのやけくそで自分が顧問の部活に名前だけ入れて幽霊部員にするつもりなのだと思った。多分、その頃の私の中でのオサムちゃんの評価はあまりよくなかったんだと思う。その理由は第一に外見。教師らしからぬ見た目。きちんとしたスーツ姿は入学式の日だけで、次の日以降は「それはおしゃれ?」と聞きたくなってしまうような花柄の帽子と服。教師としては少しおかしいと思った。ふざけたような態度で周りからは親しまれていたけれど、私はどうしても馴染めなかった。この頃は今のようにオサムちゃんだなんて呼ぶことすら嫌だった。(そんなことを言っていたら、この学校自体がおかしいのだけれど。私は今でも校長のボケにこけることができない。)
けれど、オサムちゃんはそんなつもりなんかじゃなかった。本当の意味は、その後に続いた言葉が教えてくれたの。


「絶対入ってよかったって思わせたるで!青春しようや!」


放課後の教室は夕日で紅く染まっていて、そう言ったオサムちゃんの笑顔も染まってた。それは私も同じ。けれど、私のは夕日の紅だけじゃない。夕日とは違うなにかが私の頬を染めていた。
私はその言葉にテニス部に入ることを決めて、そのままオサムちゃんに連れられてテニスコートへ向かったのだ。


あれから2年。私はテニス部のマネージャーを続けていた。マネージャーの仕事はもう慣れたものだし、嫌いだった汗をかくこともそんなに苦ではなくなった。最初はぎこちなかったけれど部員のみんなとも仲良くなれた。今では練習の様子を見ただけで誰の調子がいいとか悪いとかそんなのまで分かるようになった。
みんなとの練習は楽しい。みんなが頑張っているのを見ることができるから。私もそんな彼らになにかできないのか、なんて思ったりもする。きっとこれが青春てものなのかも、なんてあの日の夕焼けに染まった教室を思い出す。スコアボードで顔を半分隠して、コートの隅っこにいるオサムちゃんの後ろ姿を盗み見た。そしたら、オサムちゃんがその視線に気づいたかのように振り向いたから、思わず私は息を飲み込んで視線を逸らす。それでもオサムちゃんは近づいてくるものだから、それと比例するみたいに心臓の音が大きくなる。


「萌!スコアとれとる?」
「うん。でも今日はなんだか謙也の調子が悪いみたいで心配」
「そうか。そこまで分かる萌は偉いなぁ。よっしゃ、1コケシやろう」


オサムちゃんは目を細めて笑うと私の頭をくしゃくしゃと撫でた。その手は大きくて優しい。子ども扱いされているみたいだけど、心地よくて嫌とは言えない。テニス部に入ったばかりの頃は本当に辛くて何度もやめようと考えた。けれど、私にできることが増える度にオサムちゃんは今と同じように褒めて撫でてくれた。きっとこの手があったからやめることなく今の今まで続けてこれたんだと思う。もうやめたいなんて思うことないし、むしろオサムちゃんの言っていた通りに入ってよかったと思っている。
頭を撫でるオサムちゃんの手が私の頭から離れる。それに名残惜しさを感じながら私は顔を上げた。そうすれば、さっきまで優しく笑っていたオサムちゃんが真剣な顔で謙也を見ていた。その視線の移り変わりに少しだけ嫉妬してしまう。
銀さんとのペアでダブルスの練習をしいる謙也の動きがいつもよりも遅い。自称浪速のスピードスターの彼のスピードがいつもよりも遅いのだ。ほんの少しだけなのだけれど。けれど、その些細なことを見逃してはいけない。これを教えてくれたのもオサムちゃんだった。みんなとは少し離れたフェンスの近くで、2人きり。そのみんなを見つめる真剣な眼差しも、そう言った後で照れ隠しのようにふざけた笑顔も、全部が今でも瞼の裏にあるのよ。




「謙也!」


部活が終わって部室を出た謙也を待ち伏せして呼び止めた。それに気づいて振り返った謙也の瞳が揺れたのが見える。謙也と一緒に部室から出て来ていた白石が私を見て「先に行っとるわ」と行ってしまった。それを見て私は行かないでほしい、と思う。


「な、なんなん?」
「今日調子悪そうやったからどうしたんかなって」


上擦った声でおずおずと聞く謙也に私は用件だけを話してすぐに行こうと思った。ただ調子が悪そうに見えたから少し気になっただけ。それで話しかけただけ。ただそれだけのこと。誰にするでもない言い訳を心の中で呟き続ける。そんな私には気づかないのか謙也が鼻の頭をかきながら「気づいたん?実は白石にも同じこと言われてん」と言った。白石も気づいていたのか。さすが部長。


「ふぅん。で、大丈夫なん?」
「あぁ、うん。ただの寝不足やねん」


少しいたたまれないように話す謙也に私はため息をついた。わざと、それも厭味なくらいに大きく。謙也の顔は困ったように歪んだけれど、笑みは崩れていない。私は気にせずに悪態をつき続ける。「アホ!それで浪速のスピードスターとかよう言うわ。ちゃんと自己管理しいや」と腕を組みながら眉の間に力を入れて続ける。でも謙也の困ったような表情は穏やかのものに変わった。そして「おん、ありがとうな。気ぃつけるわ」なんて笑うものだから調子が狂ってしまう。


「気づいてくれて嬉しかったわ!」


そう言う謙也の顔は真っ赤で、本当に調子が狂う。私はわざと悪態をついて強く言ったのに。それなのにそんな嬉しそうな顔なんてしないでほしい。私に笑いかけないでほしい。


「明日には浪速のスピードスターに元通りっちゅー話や!じゃあな!」


赤い頬のまま良い逃げする謙也の背中を見て私はまたため息をついた。私はきっとずるいんだろうな、と思う。痛む胸に気づかないふりをして、私も家までの道を歩き始めた。




本当は知らない振りをしていた




title/深爪
2012.05.05
2013.03.09




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