「奈緒、今日ファミレス寄らない?パフェ食べたい」


陸上部の女子更衣室。制服に着替えながら友達が聞いてくる。あたしはジャージのままのんびりと汗を拭いて念入りに鏡をチェックしている。


「んー。パス!」


そう言った瞬間に友達からの最近付き合いが悪いというブーイングが入る。そうやって最初は騒いでいた彼女たちもあたしがリップを塗っているのを見て、にやにやと笑い始める。


「ほんと最近なにしてるんだか」
「タイムも縮んだし、楽しそうだしぃ?」



詮索し始める友達を適当にあしらいながら背中を押して更衣室から出す。あたしは端から見ると楽しそうなんだろうか。辛い恋の真っ最中です、なんて言ってしまえたら楽なんだろうか。





友達と別れてテニスコートへ向かう。その足取りは軽やかだ。白石さんに会えるのはもちろんのこと。あたしはテニスが楽しいということに気づいてしまったのだ。もしや素振りから始めろと言われるかと思ったのだけれど、そんなこともなかった。白石さん曰く「楽しむことが大事やで」とのこと。二人でラリーをすることがほとんどだった。それでも基礎を大事にする白石さんは素振りも壁打ちもフォームの直しも全部教えてくれるんだけど。
テニスコートに近づくにつれてボールを打つ小気味良い音が聞こえる。あたしにはまだこんな音は出せない。フェンスの外から見てみると、壁打ちをしている白石さんが見えた。真剣な顔でボールを打つ白石さんはやっぱりかっこいい。そのボールが当たった跡が一点に集まっていることが分かって思わず息を飲んでしまった。


「なんでお前がここにおんねん」


膝裏をラケットでつつかれてバランスを崩す。あたしはすぐに誰か分かって睨みつけると、思った通り財前がいた。なんで、こいつはこんなにあたしを敵視してくるんだ。あたしが睨みつけても全然びくともしない。その態度が自分だけ熱くなっているみたいで、少しムカつく。


「白石さんにテニス教えてもらってるんですー!」
「はぁ?!」


うるさくしてしまったからか、白石さんが壁打ちをやめてこっちにやってくる。そしてあたしをコートに迎え入れてくれるけれど、財前はおもしろくなさそうな顔を隠しもしない。白石さんは苦笑混じりに「二人は席隣やんな?いつもそうなん?」と聞いてくる。あたしは膝の屈伸しながら、その問いかけの答えを考える。実はあたしが白石さんに恋してから財前とギクシャクし始めたように思っていた。そんな風に言ったら、財前は怒りそうだから絶対言わないけど。財前はなんて答えるんだろうか。あたしは財前の方を見ると、驚くくらい冷たい目をしていた。


「無駄な努力してる奴が嫌いなだけっすわ」


尖った言葉に胸が悲鳴をあげた。その言葉は今のあたしのことを指しているのだと分かったから。もしかして財前はあたしのこと…なんて考えていたあたしは馬鹿以外の何者でもない。あたしの今の行動は無駄なのだろうか。出会うのが遅かったり、好きな人に好きな人がいたら、もうだめなのだろうか。少しでも一緒にいたくて、そうしたらもしかしてこの気持ちが通じるかもしれないと思うのは無駄なことなんだろうか。
足に力が抜けて、膝を曲げたまま尻餅をついてしまった。立ち上がろうと思っても、上手く力を入れられない。そうしていると、包帯が巻かれた手が差し伸べられた。


「俺も無駄は嫌いや」


白石さんの声にあたしは絶望して、差し出された手を取ることができなくなる。


「でも努力に無駄なことなんてないと思うで」


思わず俯いた顔を上げると白石さんが優しく笑っていた。その瞬間、あたしはこの人を好きになって良かったと思った。強く強く思った。でもそれと同時にこの人はとても残酷な人だとも思った。だけど、それでもあたしは差し出された包帯でぐるぐる巻きの手を取った。この手を離したくない。ずっと握っていたいと思ってしまった。


「安西、俺と勝負しようや」


あたしが立ち上がると財前が言った。「は!?」と思わず出た声は白石さんと同じように重なった。気が動転するあたしに考える白石さん。


「あたし女!しかもまだ始めて一週間!」
「思てたより長いやん」


助けを求めて白石さんの方を見ると、ずっと考えていたらしい白石さんが笑って言った。「ええんやないか?」と。白石さん曰く、本当のテニスしてみた方がいいんじゃないか、ということだ。確かにあたしはまだ軽いラリーしかしたことはない。きちんと対人のテニスそのものをしたことがないのだ。「ただし、時間ないからワンセットマッチな」という白石さんの言葉で、あたしと財前の試合が始まった。





必死でボールを追いかけているうちに試合は終わった。あっという間だった。あたしは肩で息をしているというのに、それとは対照的に汗もかかずに涼しそうな顔をしている財前。当たり前のことだけど、財前の圧勝だった。


「ぐやじい!!」
「でも始めて少ししか経ってないのにうちの天才の財前からポイントとれただけすごいで」


最初から結果が分かっているくらいに戦力の差がある試合はおもしろくない。それは自分が勝つ方でさえ。だから自分が負けるのなんてもっとつまらない。その点、陸上は自分との戦いだ。そういうところが好きだった。ふぅ、と息をついて気持ちを鎮めようとする。


「やっぱ陸上部期待の短距離エースやな。瞬発力あってボール追いかけるスピード速かったで」


白石さんが褒めてくれただけで、鎮めようとしたものがまた起き上がる。あたしは嬉しさのあまり「ありがとうございます」と体を半分に折るように頭を下げた。自分の良いところを見つけてもらうのは嬉しい。それが好きな人ならなおのこと。あたしはテニスを始めて良かったと思った。テニスは下心ありで始めた。白石さんに近づきたいという不純な動機。本気でテニスが好きでやっている人からしたら、あたしみたいな奴がテニスしてるなんて嫌なんだろう。ちらりと財前を見たけれど、どこを見ているのか分からなかったし、やっぱり汗だくのあたしとは正反対の涼しい顔でやっぱり悔しくなってしまった。


「今日は遅なったな。日誌書いてくるから、二人で片付けしといてくれるか?」


そう言って白石さんは部室に入っていく。あたしは財前と二人、ハンドルをくるくると回してネットを緩めた。いつも白石さんと二人でやっていたことを財前としていることに違和感を覚える。でもきっと財前の方がその違和感は強いのだろう。「ここんとこネットは張ったままでええ言われてたからおかしい思てたんや」と財前はぽつりと呟いた。あたしはまた居心地が悪くなる。


「まぁ、でも俺からポイントとれたから一つ教えてやるわ」


にやりと笑う財前にあたしは喉を鳴らして唾を飲み込んだ。財前がこんな風に笑うということはきっとあたしにとって嫌なことなんだろう。


「白石部長の苦手なこと。逆ナンしてくる女の子なんやて」


そう言った財前の顔はもう笑っていない。「ガツガツこられるの苦手なんちゃう?」と付け足す財前にあたしは何も言えない。わざと視線をずらした彼は今のあたしの行動について問いかけているのだ。こうして白石さんとのことを追いかけているあたしのことを。でもあたしにはこうすることでしか、白石さんには近づけない。なんの接点もないのだから。見ているだけなんてできない。そうして見ているだけの間にあの二人の距離はどんどん近づいていくかもしれないじゃないか。そんなの耐えられない。でもその行いのせいであたしと白石さんの距離が離れていくのならどうすればいいのだろうか。
そうやって考えが深みに入っていこうとした瞬間、部室から白石さんが出てきた。


「おぉ、片付けご苦労さん。俺はこれ出してくるから二人とももう帰ってええで」


部誌を軽く上げて、白石さんは笑った。そして、向けられた背にあたしは問いかけた。


「しっ白石さん!また明日も来てもいいですか?」


あたしの問いかけに振り向いた白石さんは一瞬きょとんとしたけれど、すぐに笑った。「当たり前やん」と。また明日とお互いに言葉を交わす。あたしは胸につかえていたものがすとんと落ちて、誇らしげな顔を財前に向けた。そうするとわざとらしいため息が返ってくる。


「もう好きにせぇや」
「言われなくても!」


確かに下心から始めたけれど、あたしだってテニスの楽しさを知ったのだと言おうと思ったけれどやめておいた。そのかわり「いつか財前にも勝ったるわ」と言ってみたら、「寝言は寝て言え」と言われてしまった。




あいを許して




title/深爪
2016.06.21




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