せめて喜びの唄を
ああ、そもそも柄じゃない。

ワインレッドの椅子に沈み込み足を組むと小さな舌打ちを口の中に閉じ込める。大勢いる観客の1人であっても静かで独特の神聖さを保つ劇場の雰囲気を壊すという無粋な真似などするべきではない。特に、今日はなまえの舞台でもあるのだ。
見栄えが派手な舞台やオペラならばともかくお上品を象った演奏会など昔はちょっとも興味はなかった。しかし今では開いたパンフレットに並ぶ曲名の半数以上は聞いたことがあるし、そのメロディを口遊むことだって可能だ。どっかの誰かさんが飽きるほどヴァイオリンの弦を弓で弾き、踊るように奏でていたから。

柄ではない。
後ろでこちらの様子を伺っている男にはさっきから気が付いていた。後ろを向いて確認するまでもない。懐に隠しているのは銃火器の類だろう。ざっと把握しているだけで5人はいる。肘置きに腕をついて顔を支えると開演5分前のブザーが鳴って、鼻に皺が寄った。ここにいたらあいつが巻き込まれる・・・なんてヘマは万が一にも起こしはしない。だがのんきに演奏会を続けるどころではなくなることは明白だし、俺の素性もなまえに知れてしまうかもしれない。何よりあいつには血生臭いことは似合わない。こんな気遣いも以前の自分ならしなかったし、今後もあいつ以外にするつもりはさらさらない。自分の丸くなった心に自分で辟易する。あいつだけ、これはたった一人のためだけに角が削がれた心で、優しさだ。

ゆっくり席を立って防音性の分厚い扉を開けた。
劇場の外、表通りから死角になっている場所に入り込めば漸く男たちが俺を囲み始める。どうやら表にいた人数も合わせて10人を超えているようだが、それでも俺の敵ではない。俺の膝を折りたければそれこそ戦闘艦でも引き連れてこい。

「うるせえ」

がなり立てる黒服の野郎どもにそう一言呟くとさらに声を大きくさせてくる。硝煙反応と銃弾の始末や死体処理も合わせればなまえの演奏にはこれで完全に間に合わなくなった。
しかし、唯一の救いはあいつに銃声が聞こえることはないだろうことだ。



「中也」
「ばっ何つー恰好してんだこのど馬鹿!」
「ええ、そんなに言うことなくない?」

いつの間にやらいなくなってた中也に気が付いたのは自分の演奏が終わってから。スポットライトの眩しさにも慣れてついでに心の余裕も出来たとき。休憩時間になったからカーディガンを羽織るのもそこそこに会場のあちこちを駆け回って、ようやく見つけたら開口一番文句を言われてしまい唇を尖らせる。
中也が見に来てくれるって言ったから、浮かれた心で今日のために新しくしたパールピンクのロングドレスは胸元が開いてて肌が普段よりちょっと多めに露出してしまってる。多分中也はそのことを言ってるんだろう。

「おら、着とけ」
「ん、ありが・・・いだっ」

額を指で突かれた。痛い。

「あ、演奏どうだった?」
「あー・・・、まあまあだったんじゃねえの」

ふい、と中也が体ごとそっぽを向いてしまうものだから私は彼の表情が見えなくなってしまった。居心地悪そうに、中也が片手で自分の首を触る。気づかれないようにちょっとだけ笑った。嘘のつけない人だなあ。秋の穏やかな風が草の上を滑ってきて髪を揺らし頬をくすぐる。

「今日はお客さんのために弾いたから、今度は中也のために弾きたいな。リクエストある?」
「あ、そ。別に、好きにしろよ」
「うん。めちゃくちゃ好きにするつもり」

赤くなってるだろう、じんじんと小さな熱を持つ額を押さえながら笑うと不意に中也が回れ右して戻ってくる。乱暴で大股な足取りに下草を踏みつけながら、とっても不機嫌な表情をつくってる。最近分かったことだけど、この不機嫌はほんとの不機嫌じゃない。逃げずに足を地面に縫い付けてぽかんと見つめていると頭をぐしゃぐしゃに撫でられた。

「えっちゅ、中也」

中也さま?どうしたの乱心?せっかく綺麗に整えられてた髪が、鳥の巣みたいになってる気が・・・あっ終わった。最後は手櫛みたいに頭の上から下まで髪に指を入れられて撫でる。途中引っかかったり絡まったり、乱暴でも優しい指先が離れると目の前にはいつもの中也が立ってた。彼の夜色の目の中には私が1人、入ってる。

「腹減ったなァ、おいなまえ、飯行くぞ」
「やった!おごり!私パンケーキ食べに行きたい」
「真昼間から甘いもんかよ。デブになんぞ」
「エネルギー使ったから甘いものが必要なんですー、夕ご飯は?」
「あー・・・食ってく」
「じゃあ帰りに買い物しまーす」
「肉じゃが」
「じゃあジャガイモと人参と、あっあと醤油」

肩にかかった中也の外套をひらめかせながら、踵の低いヒールでステップを踏む。口ずさむのはエドワード・エルガーの愛のあいさつ。中也にあげたい歌は沢山あって、この演奏会の短い時間じゃあ収まりきらないから。だからあなたの優しい嘘に幸せな音を添えていたいな
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