ぼくのだいじなおもちゃ箱
瞑られた薄い瞼の裏で、悪い夢にうなされているのだろうか。

「・・・・・・なまえ、か。」
「・・・!」

名前を呼ばれてからちょっとして、意識が浮上した。いつの間にかベッドの上に傾けてしまってた上体を起こしたら肩や背中が軋んであちこち鈍く痛む。手探りで寝具の近くにあるクラゲ型のテーブルランプを点けると、優しいオレンジ色の光の中で龍之介が眩しそうにそっと瞼を持ち上げた。龍之介が緩慢に首を動かすと、額に乗ったタオルがあっけなく滑って枕の上に落っこちる。汗と濡れタオルのせいで湿っぽいそのおでこに手を当てると依然として熱く、彼の身体でまだまだ発熱物質が作られてなけなしのエネルギーが削られてるんだって分かる。
ぼったり重たく濡れたタオルを拾ったら、龍之介の熱を存分に吸収したみたい。カーディガンの襟を合わせながらゆっくり立ち上がって後ろを向くと、不意にどこへいく、と声をかけられた。なまえと呼ぶ声はいつもだったら平坦で感情なんか1ミリも読み取れないのに、掠れた喉と熱膨張のせいで重たくなってしまったのだろう頭のせいでどこか頼りなくって不満気な色が出てる。

「あなたも、僕を置いていくのか。」

も?

温いタオルを変えることは諦めて、再び寝台近くの椅子に戻って浅く腰掛けた。関節痛のせいで全身が痛むのか、厚い布団の下で音もなく呻く龍之介の眉間に皺が寄る。

「たまらなく、なる。」
「・・・。」
「ああ、いっそ、その脚もいでしまおうか。」
「、」
「僕を否定する声も、要らぬ。その喉も、潰してしまうのが、いいか。」

頬に触れていた手はずるりと力なく下方に滑って私の喉にたどり着く。途切れ途切れの熱っぽい言葉を吐き出すのと同時に骨ばった細い指が急所に絡みついて、首筋に爪が食い込むと気道が緩やかに潰されてひゅ、と音が鳴った。
高熱によって浮き彫りにされた龍之介の独白は危険思想極まりない。そのオペラ座に棲む怪人みたいな危うさは冷酷な殺人鬼のものじゃなくってまるで無垢な幼子だ。それならきっと、私の知ってる龍之介ということになる。今の彼は、私の知ってる時間と私の知らない時間とが折り重なって形成されている。そしてその根底にいるのがかつて頭を撫でたとき、柔和に目を細めた子供だというのなら、ファントムもまるで全然恐ろしくない気がしてきてしまう。

『どこにも行かない。』
「・・・どうだか。」
『ずっと一緒にいる。』

心を書いた紙を小さく折り畳んで龍之介の手に乗せると、彼はそれを噛み締めるように強く手のひらに握りこんだ。指先が白くなったその中で、くしゃりとメモ用紙が潰れた音が鳴る。

一緒にいたい。私たちの空白はあまりにも大きくて、戸惑うことも沢山ある。けれど一人ぼっちの私にここにいてもいいと言ってくれて、独りにしてくれなかった。後にも先にも私には龍之介だけだ。昔、灰色の煙った空の下で触れた指先は柔くて温かった。私たちは真っ赤な血よりも濃いもので繋がってて、他に何にもない私はそれに依存してる。少なくとも、龍之介が私に背を向けて、離れて行ってしまうまでは。幸せな分だけ、それはとっても恐ろしいこと。

「なまえ・・・なぜ、泣く。」
「っ、」

言われて、下睫毛に溜まっていた熱い涙の粒が零れ落ちた。分からない。でもとっても切なくて、感情が堰を切って胸の中から溢れてしまう。今、喋ることができなくってよかった。声が出ても、多分赤ちゃんみたいに言葉も分からない嗚咽しか出なかっただろうから。無声音の息が小刻みに吐き出されるたび、頬を伝った涙は私の膝の上に落ちて塩辛い染みを作る。するりとまた龍之介が不器用な指を伸ばして、私の目元をくすぐった。彼の爪に乗った涙は薄暗い部屋で一瞬だけ光ってピリピリ乾いた跡になる。ああ、と龍之介が再度力のない嘆息をして、子供の時みたいに目を細めた。

「あなたは・・・笑顔は言うまでもないが、泣く姿も一層、愛らしいな。」

端っこが夜の暗闇と融解している橙色の淡く小さな光の世界に私たちは2人きりだ。髪の毛をゆっくり引っ張られて、近づく熱っぽい唇に温かく触れる。
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