明日の色はすみれ色
谷崎くんに連れられて、道中1回も迷うことなく真直ぐなルートを辿って着いた、白くて四角い建物の前。丸く剪定された木や規則正しく並んで纏められた花壇の花が午後の空気に揺られてる。どうやら私はここにいるらしい。

谷崎くんから聞くところによると、私はどうやら探偵社を襲撃してきた人たちに撃たれたらしい。探偵社の中だったら武闘派の社員さんがいつもどうにかしてくれるんだけど、私が襲われたのは探偵社の外、薄暗い路地裏だった。私だってちょっとは武術を習ってたけど、でも男の人を何人も相手にしたら敵わないし、そもそも素手対銃ってフェアじゃない。まあそんなこんなで私はずたぼろにやられてしまって、しかも不運なことに相手が異能力者で、どうしてだか与謝野先生の異能力(治癒という名の解体ショー)が効かなくなってしまってた、みたい。じゃあ相手の異能力を無効にする太宰さんに何とかしてもらえばいいんだけど、彼はお生憎さま、今現在別件で横浜を離れているらしい。まあつまり私は度重なる不運の結果、死にかけたみたい。あ、死にかけてるのかな、現在進行なの?

「いや、今は容体は安定してるはずだよ。」
「そうなんだ。・・・でも生きてるならそう言ってくれたらよかったのに。」

もう死んじゃったものかと思って谷崎くんには色々と、困らせてしまうようなこと沢山言ってしまった。思い出したら恥ずかしいことだって。もっとたくさん生きているうちに喋りたかったとか。思い出したら恥ずかしいのと悔しいので、身体を持ってないはずなのに目尻がじりじり熱くなって唇を引き結ぶ。半ば八つ当たりのように谷崎くんにそう言うと、だって本当に幽霊になっちゃったと思ったんだものといつも通り、飄々とした答えを返す。さっきまでの泣きそうな顔はどこに行ってしまったの。

「なまえちゃんが死んじゃった、なんて自分で言うから。」
「それは、・・・そうだけど。」
「ああ、ほんと驚いた。」

寿命が3年は縮んだよと彼はぼやいた。
受付を通りすぎて、エレベーターの中に乗り込む。どのボタンを押すか迷っていると私の背中から肩を通り越して腕が伸びてきて、谷崎くんが5番の四角いボタンを押した。そこだけちかりとオレンジ色に瞬いて、灰色の中に夕焼けを閉じ込めたみたいに光る。

「さ、着いたよ。」
「うわあ・・・。」
「うわあって、君の身体なんだから。」
「だって・・・ぼろぼろで包帯まみれ。」

人工呼吸器を口に着けて、額や腕に白くて清潔な包帯を巻かれて布団をかぶっている。きっと隠れて見えないところも包帯だらけに違いない。腕からは何本かチューブが伸びてその内1つは心電図に、後の全ては黄色とか赤とか液体が入った点滴に繋がれてる。中身は薬とか栄養剤とか色々だろう。覗き込んで、触ってみようとするとするりと透明な指先は溶けて、肉体の壁に触れることはない。固く閉ざされたまつ毛は一切動かず血色のない頬からは昏々と眠り続けなければならない、何らかの意思を感じる。・・・、あれ。戻るってそういえばどうするの?

「えっと・・・どうしよう、谷崎くん。」
「どうしたの、なまえちゃん。」
「も、」
「も?」
「戻れない・・・。」



「いやいや、こう幽体離脱の逆バージョンみたくできないの!?」
「うん、なんだかすり抜けちゃって無理みたい・・・。」
「・・・ほんとに?」
「・・・ごめん。」

何回も何回も、2人で思いつく限りの方法を試して私は私の身体に戻ろうとしたけど、全然効果なし。透明な私は横たわった肉体を通り抜けるだけで、まるで私が戻ってくることを拒んでるみたいにすら思える。空っぽの身体、心を持ってない私の躰は重たく白いベットに沈み込んで指先の1つも動かさない。それを私と谷崎くんと2人で見つめて、やがてため息をついた。
私も彼も、何も言わないから心電図の無機質な一定連続音だけが個室の中に流れてる。窓の外の空気はじわじわと茜色に変わりつつあって、パステルカラーのカーテンを暖かみのあるオレンジに染める。明かりのついてないこの部屋は隅っこやベットの影が暗くって陰鬱なムードが流れてる。
やがて扉が開いて白い服を着た壮年の看護師さんが入ってくる。片手にはきっと私のであるだろうカルテを持ってた。谷崎くんを見るとちょっと笑ってもう面会の時間は終わりですよって告げる。

「それにしてもあなたも大変ね。」
「え?」
「彼女さん、まだ目を覚まさないもの。」
「・・・え?いや、ちがっなまえちゃんは僕の彼女とか別にそういうんじゃなくて」

ぱたぱたと両手を振ると彼のぶかぶかの袖が揺れる。ええ、何もそんなに必死になって否定しなくっても、まあ本当のことなんだけど。唇を尖らせて来客用の固いパイプ椅子に腰を下ろしつつ2人の会話を見守る。看護師さんには私が見えないから仕方ないんだろうけど、仲間外れにされたみたいなこの感覚は、未だに胸の中がとげとげして変な感じ。嫌だなあ。看護師さんはくすくす笑って、そんなに必死にならなくてもいいのにって谷崎くんをからかう。きちんと纏められた髪の毛とかピンで留められた前髪とか、皺1つない看護服は規則正しくてきっちりしてるのに、自身の物腰は落ち着いてて柔らかい。

「叱ってあげてね。」
「はい?」
「だって、あなたはこんなにも毎日来てるのに、彼女さんはまだ知らんぷりしてるんだもの。」

えっ、と思わず声が漏れた。毎日?どうして、そんなの全然知らない。だって、知らなかった。意識がまだ体の中にある時、指先が痺れてあちこち痛くて体が鉛みたいに思ってた時、閉じた瞼の向こうには谷崎くんがいたってこと?ずっと、私が目を開けるのを待ってたってことなの?谷崎くんを見ると、彼の表情には夕日が差し込んでとっても寂しそうで、どうしてだか心がざわざわと波立ってしまう。

「目が覚めたらあなたが叱ってあげなくちゃ。」
「・・・はい。一言文句言ってやりますよ。」

へにゃり、と眉を下げて困ったみたいに笑う谷崎くんを前に、ついに泣きそうになってしまう。看護師さんが出て行って、また2人で無言になったけど、今度の静寂はそうそう長くは続かなかった。彼の優しさとか不安とか、たくさんの感情を知ってしまって、肉体を出たせいで曝け出された私の心はいよいよ限界だったのかも。目からは温度のない雫が溢れてくるし、喉から出てくる嗚咽が情けない。泣くな、と思うのにその気持ちに逆らって涙は頬を伝って床に落っこちる。

「どうしよう、谷崎くん。」
「うん。」
「私、このまま死んじゃうのが怖いみたい。」
「うん、僕も、このままなまえちゃんが死んじゃうなんて許さない。」

もっと、あなたとお喋りがしたかった、とかお別れがしたいなんて可愛い未練だけじゃすまない。いろんな後悔とか、したいこととか、生きているはずの私の身体を前にしたら稚拙で純粋な執念が浮かんでくる。もっともっと、谷崎くんと一緒にいたいよ。このまま消えちゃいたくない。ほろりと落とされた本心は空気の中に溶けて、同じように私の意識まで薄らいでいく。何だか急に視界が真っ暗になって、体中が重たくなってしまったみたい。それでも何とか頑なだった瞼を押し上げると、谷崎くんが泣きそうなくらい笑って私のこと見つめてた。ああ、よかった。私、ちゃんと戻れたみたい。

「許さない。」
「う、ん。」
「ナオミだって、カンカンに怒ってるンだから・・・。僕だって。」
「うん。」

この先も、もっと僕と一緒にいてくれないとゆるさないよって言ってくれる。指先の感覚は相変わらず鈍いはずなのに、彼に握られたその部分だけは、包帯の上からでも彼の温もりを感じられて、自然と目尻から涙が流れた。
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