愛しい同族
今は、たった一人で眠ってる。じくじく痛む身体は四肢のあちこちの感覚がもはや痺れてしまって冷たい。脳が許容できる痛みのキャパシティを超えてしまったのか、足の爪先の方はすでに痛みが甘いものに変わってしまってた。重たくて言うことをまるで聞いちゃくれない体を手放して、薄っすらぼんやりした意識は私の心だけをしっかり持ってどっぷり暗い闇の中に沈んだら、瞼の向こうにちかちか光る白い光が遠のいて、まるで海の底で眠るみたいって思った。



目が覚めたら横浜の街の雑踏の中にいた。あちこち見まわして、目をぱちぱちさせて見る。いつもと変わらない、少しだけ煙たい空気に濃いブルーの空、その下の固くて黒いアスファルト、それを踏みつけてここじゃない何処かを見つめながら忙しく歩き回る人たち。働き蟻みたいにあくせく動いてる彼らを暫く見つめ続けて、唐突に思い出した。そうだ、探偵社に行かなくちゃ。

「あ、谷崎くん。」
「・・・は。」
「・・・。」
「・・・。」

見慣れた赤煉瓦の建物の前に来て、ぴたりと足を止めた。どうしよう、私このままこの会社の中に入っちゃっていいのかな、うんうんと答えの見えない問いに頭を悩ませていると丁度谷崎くんが建物の扉を開けて外に出てきた。いっつもナオミちゃんと一緒なのに今日は一人なのかな、そう思いながら話しかけると彼は目を真ん丸にさせて私を指さす。・・・、・・・あれ、会話が全然続かない?

「もしかして私のこと覚えてない?」
「い、いや覚えてるけど・・・え?」
「ほんと?よかった。・・・あ、実はこのたび私幽霊になっちゃったみたいで。」
「・・・はああああ!?」

だって膝から下が透け透けで、なくなっちゃってるし。



谷崎くんはいつも飄々としてる、気がする。私の主観だから、実際には違うのかもしれない。事実、ナオミちゃんに言わせれば本当はそんなことはないみたいで、怒りっぽいし情に脆いところもあるらしい。だけどそんなにも沢山の時間を谷崎くんと過ごしたことのない私からすれば、彼は捉えどころがなくって優しく流れていく雲みたいな人。同じ探偵社で働いていて彼と私とは同い年だけど、彼は異能力を持ってるとっても優秀な社員さんで私はデスクワークばっかりのありふれた事務員。ナオミちゃんと仲がいいからそのお兄さんの谷崎くんとはたまに挨拶を交わす程度の仲。まあつまりそんなに親しくはないってこと。

「何で、どうしてなまえちゃんが、」
「あっ私の名前覚えててくれたんだ。」

いっつも、やあ。とかナオミの友達の、とかばっかりだったから。それは果たして名前なのか?

「いや当たり前・・・ってそうじゃなくて!何で幽霊って。」
「えっと多分この世に未練があって成仏できなかった・・・のかな?」
「そうでもなくて!」

何で幽霊になったのかは私にも分からないや。だって気が付いたら透け透けスケルトンの体で横浜の街中にいたから。私の脚や手、その末端の方は空気に溶けてしまって見えないし、体の方も色が付いた空気がそこにあるみたいになってしまってる。私のことは見えない人の方が圧倒的に多いみたいで知らない人の目の前で手を振ったり顔をのぞき込んだりしても、全然気づかれなかった。偶に見える人、いるみたいだったけど彼らは私たちへの対処法を大変よく分かってらっしゃるらしく、すぐに目線を逸らしてそそくさと何処かへ消えてしまうのだ。着いていこうかとも思ったけど、それは脳内で憑いていこうに変換されてすぐに足を止めた。私は悪霊じゃありません。
谷崎くんははっとした様子で携帯電話で何かを話し始めた。相手はナオミちゃんみたいでどうにも背中が焦ってる。彼の小さな声で断片的な単語が聞こえるだけ。聞き耳を立てたくてうずうずしたけど彼は生きた人間であり、プライバシーというものがある。幽霊もそれを守るべきだろう、とちょっと離れてそれを見守った。

「いつ死んだか全然分からなくて、いつの間にか幽霊になっちゃってた。谷崎くん私がいつ死んだか知ってる?」
「・・・いいや。」
「、そっか。」

ほんのちょっと笑う。気にしないでって言おうと思ったけど、やっぱりやめて、知っててほしかったなあなんて困ったことを言ってしまう。いじけた本心を曝け出せたのは多分もう死んじゃったからだ。お堅い骨と肉の体を飛び出したまっさらな私の心だけが今ここにぷかぷかと浮いて、きっと私を作ってる。今の私はいつもよりもきっと素直なはず。谷崎くんが苦しそうに俯いて緩々と首を振っているのを見て、悲しくなるのと同時にほんのちょっとだけ嬉しかった。私のことを、悲しんで悼んでくれてありがとう。



道路の真ん中で話してたら通行中の皆様に大変ご迷惑をかけてしまう。私たちは近くの小さな公園に移動した。そこには家族連れの子供たちがそこそこいて、谷崎くん1人ごと喋ってるみたいに見えちゃうんじゃないかって心配になった。幽霊になって谷崎くんの風評被害の片棒を担ぐなんて、そんな、いよいよ悪霊じゃないか。でも谷崎くんはちょっとだけ笑って大丈夫を返してくれた。

「僕の細雪でこの辺りの景色を偽造してるンだ。」
「偽造?景色を?」
「ああ。向こうの人たちからは僕たち2人が喋ってるみたいに見えるし、こっちからは誰もいないみたいに見えるようにしてる。」

へえ、それはすごい。私の持てる言葉の全てを駆使して彼に賛辞の言葉を送る。すると谷崎くんはちょっと照れたみたいに大袈裟だよと笑ってくれた。へにゃりと下がった眉もたれ目がちの目尻も優しい。彼の笑顔は好き。見てるこっちまで優しい心になれそうな笑い方をしてくれるから。

「でも、戦闘ではあんまり役に立ってくれないよ。」
「そうなの?でも普通の景色と全然変わらないように見えるね。」

幽霊の目も誤魔化せちゃうくらいだから、もっと自信をもっていいと思う。これならきっと魑魅魍魎の類も谷崎くんには敵わないよって言うと、彼は噴き出した。

「幽霊ってさ、」
「ん?」
「ぽーんって、飛べたりするの?」
「ええ?どうだろう。」
「飛んでみようとか思わなかったの?」
「ううん、ここまでは歩いてきたの。でもやってみるね。」
「・・・。」
「・・・。」
「・・・・・・。」
「・・・・・・はあ、どう?今結構頑張ったんだけど、1メートルくらい飛んでた?」
「いいや、1ミリも浮いてなかった。」

それから他愛もないことをたくさん話した。幽霊って建物の間をすり抜けられるの、とか人の考えてることが見えるのと聞かれたけれど答えはどれもノー。建物のすり抜けに関しては四肢の末梢の色のついてないところ、指先なんかは通り抜けるけど、色のついた透明な空気体のところで詰まっちゃう。幽霊って案外何も出来ないのかもしれない。最近流行ってるウィジャボードは幽霊を呼び出して未来のことを教えてくれるけど、幽霊の私は他人の未来どころか過去も分からない。今考えていることすらも。だって自分のこともあんまり分かってないんだから、当たり前かとしみじみ思う。幽霊って実は生きてる時とそんなに変わらない。ただちょっと存在感がないだけ。

「あはは、谷崎くん変なの。」
「はは、なまえちゃんだって。」
「あーあ、こんなに楽しいなら谷崎くんともっと生きてる内にいっぱいお喋りしとけばよかったなあ。」

そう言うとシン、と谷崎くんが黙り込んで私たちの間に沈黙が流れる。谷崎くんの能力で公園の中には秋の優しく温和な空気と季節外れの白くて幻想的な雪とが一緒存在しててとっても不思議な景色。柔らかい花弁雪は地面や谷崎くんに触れると溶けてなくなってしまう。私の手の中に落ちてきた大きな雪の粒は手のひらをするりと通り抜けて砂の上に落っこちた。言わなきゃよかったかな、でも言いたいことだから。本音を伝えないと、私には明日どころか1時間後だって、確かなものではない。うっかり満足しちゃって成仏してしまうことだって考えられる。

「何で幽霊になっちゃったか分かんないけど、私、お別れに来たのかも。」
「そんなこと、」
「でもね、他のことあんまり思い出せないのに、唯一はっきり探偵社に行かなきゃって思ったから。」
「・・・。」
「そしたら谷崎くんが私のこと見つけてくれたの。」
「・・・え、」
「嬉しかったの。」

ありがとう。私のこと見つけてくれて。横浜の街の中で、誰も私を見てくれなかった。私の意識は確かにそこにあるのに、透明人間にでもなっちゃった気分でひどく不安な気持ちだったの。体は透明なのにお腹の方は鉄か鉛みたいに重たくなって憂鬱だった。私はいるかいないか分からない存在で、偶に現れる見える人も私のことは関わらない方がいいものとして見たから。谷崎くんが泣きそうなほど顔を歪めて、そうしたら不意に彼の携帯電話に着信があって、場を繋ぐみたいに慌ててそれを取り出した。私から少し離れて電話に出る。はい、はいと相槌を打っていき、その声音はどんどんと大きな声ではっきりした音に変わっていった。猫背はしゃっきり伸びて、電話の向こう側にいる人にありがとうございますを言う時にはきちんと真直ぐになって軍人さんみたいに規則正しいお辞儀までした。

「なまえちゃん、病院行くよ!」
「・・・えったに、谷崎くん気をしっかり持って。私が見えるからってそんな、精神疾患とかじゃないよ、多分、幽霊だから説得力ないけど。」
「そうじゃなくって!」

ああもうと言いたげにもどかしそうに、でも込みあがってくる嬉しさを誤魔化しきれないみたいに彼ははにかんでる。

「なまえちゃん、死んでなんかないよ。」
「・・・え?」
「ナオミがさっき病院に確認してくれたンだ。なまえちゃん、意識不明のままだけど今もちゃあんと生きてる。」
「え?え。」
「生きてるんだよ、なまえちゃん!」

谷崎くんの言葉は端っこが嬉しそうに跳ねてる。にこにこと喜色満面で今にも雀躍しそうな勢いで私の両手・・・というよりちゃんと触れる両腕の部分を掴んだ。生きてるの?じゃあなんで幽霊なの?頭にはたくさんの疑問が溢れてきたけどそんな些細なことは谷崎くんが走り出した勢いで一気に吹き飛んでしまう。ちらつく雪を視界の端っこに置いてけぼりにして私たちは公園を出た。秋風に吹かれて飛んだ、銀杏がくるくると回ってる。

もどる
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -