「猫市ちゃん危ないー!!」
「え?」
クラスメイトの驚いた顔を確認した瞬間、私の顔にねっとりとした何かがブチ当たった。
悲鳴をあげるのもそこそこに手で顔を覆えば、濃い甘い匂いが鼻から入ってくる。
「うぇっ…!な、なにこれ…」
「ああぁごめんんん、怪我ない!?」
「うん…怪我は無いけども…」
怪我よりも肩から上、べったりと張り付いた蜂蜜をどうしろと。何だかもう怒る気力もなく、笑ってしまった。
どうやら相手の子が持っていた大きな蜂蜜の瓶(それも蓋は開いていた)を躓いた拍子に私に向けて投げてしまった様だ。
瓶自体は私に当たる事無く床の上に落ちたけど、なみなみと瓶を満たしていた蜂蜜は私にクリーンヒット。
髪から垂れた蜂蜜が頬を伝って白い白衣に琥珀色の染みを作った。
「先生に事情話して、更衣室のシャワー借りてくるよ」
「あうぅ…ごめんね…」
涙目になりながら私を見送るクラスメイトの子と別れ、廊下へ出る。一旦クラスへ戻って体育着を取る必要があった。
蜂蜜が廊下に垂れないよう注意しながら進む。自分から異様な程甘い匂いがして、ちょっとだけ酔いそうだった。
甘い匂いがするって時点で、私は気がつかなきゃいけなかったんだ。その匂いに反応する人がいるって事を。
「猫市さん」
「…?久楼先生?」
体育着を汚さない様に慎重にビニール袋にいれ、さて更衣室へ…と思った時、階段傍で呼びとめられた。振り返れば声の主の久楼先生が。
その時点で少しだけ嫌な予感が走る。ぽたりと琥珀色がまた白衣の胸元へ。まるで冷汗の様だ。
「随分と可笑しな恰好をされてますな」
「お菓子作ってた子に蜂蜜かけられちゃったんです。今更衣室のシャワー借りようと思っ…!」
体育着を持っていない方の手首を掴まれる。手も蜂蜜塗れだから先生手袋汚れちゃうよ。と思っても先生は構わないようだった。
先生、と呼びかけても蜂蜜塗れの手をじっと見られる。嫌な予感が確信に変わりそうだった。
「せ、先生、はなっ…ひっ!」
指先を先生の舌が這った。何の迷いもなく。妙にその様子がゆっくり感じられた。
「シャワーで洗い流すなど勿体無いであります」
何処か加虐的に笑う先生。
それほど強くない私の思考回路が音を立ててぷっつんした。
「かっ影ちゃああぁぁん!!!!」
先生が言葉の続きを言う前に、私は影ちゃんの名前を思いっきり叫んだ。
私の声に影ちゃんが反応、足元の影に体が沈む感覚。
そのまま私は影ちゃんに飲み込まれ久楼先生の前から姿を消した。
に、逃げないと、やられる!!(主に私の羞恥心が)
影ちゃんが連れて来てくれたのは何故か3階の会議室だった。
1階に行けばよかったのに…!と恨めしげに影を見つめたらいきなりの事で上に飛んでしまったとのこと。
でも、まず距離を置けたのは良かった。影ちゃんに後でサービスしないとな。
床に滴った蜂蜜を白衣の裾で拭い、私はそっと会議室から廊下を見た。久楼先生は見当たらない。
見つかる前に1階に行って離れにある体育館まで行って更衣室に逃げ込むだけの簡単なクエスト。
さあ、私にできるのか。
「…よし」
意を決して会議室から抜け、私は2階でいた階段とは逆の階段から一階を目指した。