金魚掬い


 いつものように終業時刻ぴったりに閻魔殿を飛び出そうとした矢先、上司に声を掛けられた。いつもなら仕事が少し残っていようが明日やればいいやとお構いなしに帰る私を白い目でみるだけの上司鬼灯様は、その日ばかりはいつもの無機質な声ではなく、少しばかり楽しそうな声色で口を開いたのだった。

「今日は盂蘭盆ですね。そこで相談なのですが名前さん、来客に盂蘭盆を案内して頂けませんか」

白いあの人ですよ、と語尾に付けくわえた鬼灯様は、どうされますかと可愛らしく小首を傾げた。鬼灯様と関連のある白と言えば白澤様、つまり白澤様と盂蘭盆を回れる、よってこの機会を逃す訳にはいかない。この答えを猛烈な勢いではじき出した私は、ほぼ反射的に挙手をしていた。

「よろこんでご案内させて頂きます!」





「なんでそんなにぶすくれてんだよぅ」
「別にー」

白い人っていうからてっきりあの人だと思ったのに、約束の刻限になって現れたのはモラル一丁の変態雪鬼だったのだから、あの時感じた落胆は言葉に言い表せないほどのものだった。
それに幾ら暑いからといってもパンツ一枚はありえない。こいつには羞恥心と言うものが欠落しているのか。そんな私の内心を露ほども知らない春一は、無理やり着替えさせた甚平を翻しながら金魚掬いの屋台へと猛烈な勢いで駆けて行く。その足の速さたるやまさに風の様で、追いかける気にもならない。もうお好きなようにどうぞ。
金魚すくいの屋台で、おじさんに怒鳴られながらもポイを片手に金魚を乱獲する春一を見ているとさらにため息が出る。
大体あの鬼灯様が案内をしてほしいとお願いをしてきた時点で美味しい話で無い事に気付くべきだったのだ。単細胞な自分の脳みそが恨めしい。
それに春一なんて案内なんて全く必要なさそうなほど一人で満喫しているし、案内なんてほっぽって帰ろっかなと人ごみに逆らうようにして反対側を向くと、急に目の前に白い色が飛び込んできた。
思わず悲鳴を上げながら一歩足を後ろに引くと、その白はその間を詰める様に一歩足を踏み出した。名前がその距離の近さに固まっている間にその白こと春一は、名前の手を取るとその手に赤色の金魚が泳ぐ袋を持たせる。

「…なにこれ」
「金魚。生きてるのは初めてみたな」
「凍ってるじゃない」
「冷凍保存」
「食用じゃないんだから」

食べられる金魚は金魚草だけで十分だ。あれだって元人間の私からすれば遠慮しがたいものなのだが、いかんせん、味が淡白で非常に美味なものだから結局、鬼灯様に勧められるがままに食べてしまうのだが。
 そんな事を思いながらチラリと覗いたビニールの中には、二つの氷がぷかりと浮かぶ。澄んだ水の中に浮かぶ二つの氷は、中心に赤と橙の色を含んでいる。ビニールの袋を左右に揺らすと、呼応するようにリズムよく揺れる氷は、一切溶けだす気配を見せない。
哀れな事にこの二匹は、その瞳さえも動かすことが出来ないほど芯からしっかりと凍らされているようだ。金魚とはいえ地獄の金魚、現世の金魚とは頑丈さもタフさも訳が違う。少し焼かれた、凍った、程度ではその動きが停止されることはないのだが、流石は摩訶鉢特摩の問題児、もといブリザードという事か。
見事に凍らせたものだなと感嘆していると、その金魚を楽しげに見つめていた春一は、頬を緩めながら突拍子もない事を言い放った。

「それ、名前に似てるなぁって思ったから選んだんだよぅ」
「は?…顔が金魚に似てるっていわれてもうれしくないよ」

魚顔なんて不名誉極まりない。
しかも知人に似ている金魚を凍らせるなんて、妙な事をする鬼だ。八寒の雪鬼はみなこうも自由人なのか、いやこいつが例外なだけだ。訝しげな視線を送る私を余所に、春一は私の手に持たせたビニールをひったくると、満足げにそれを見つめた。

「それ、八寒に持って帰るの?」

育てるの?と聞かなかったのは、あの環境ではこの金魚は生育できないからだ。水が無ければ生きてはいけまい。一部例外的に池もあるが、あの池は獄卒が住まう池だし、この金魚が飛び込んだら一瞬にして餌になるだろう。

「おぅ。この金魚なら小さいし、家に飾っておけるからな」

こういうのが欲しかったんだ、そう言った春一のその瞳がどこか、熱っぽい様な気がしたが、きっと気のせいだろう。



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