■ 愛想尽かされた


※愛想つかしましたの続きです

『出ていきますからね』が最後の言葉になるなんて、誰が予想しただろうか。

名前ちゃんと軽い言い争いをした手前彼女が居る時間には帰り辛く、いつもよりも大分遅い時間に天国に帰宅すると、店内の明かりはすっかり消えてしまっていた。
よかった、顔を合わせずに済んで、と思いながら酔いのまわった頭を冷まそうと台所に向かう。食器棚からコップを取りだそうと足を進めた時、足が縺れてしまいテーブルの角に思いっきり大腿部を打ちつけてしまった。あまりの痛みに悶絶していると、テーブルの上に積まれている書類の山が目に付く。何となく一番上に乗っている書類を見てみると、諸費用と書かれている欄の下に小さくプレゼント代、と書かれているではないか。もしかして…と思いながら目を横に滑らせると、今度遊びに行こうと思ってた用意しておいたお金と同じ金額が書かれている。そんな…この分だけは置いといてって言ったのに!
あまりにひどい仕打ちに苛立ちを隠せないままその書類を乱雑に放り投げると、勢いが付きすぎたのだろう、傍に置いてあった白い封筒がテーブルから滑り落ちた。

「なにこれ」

なんで落ちるんだよ、と思いながらそれを指先で拾い上げると、封筒に細い文字で白澤様へ、と書かれているのに気が付く。どうせ中には仕事が終わりました、とかそういう事務的な内容が書かれているのだろう。置手紙なんて面倒なことしなくても、メールなりなんなりで連絡を取ればいいのに。いつもなら何とも思わない名前ちゃんからの手紙すら、女の子と遊べなくなったこの苛立ちを増幅させる材料でしかない。
もう水を飲む気分ですらなくなった。こんなにイライラする日はとっとと寝るに限る。そう見切りをつけてさっさと自室のドアを開き、着替えも碌々せずすぐさまベッドに潜りこんだ。せっかく遊んできて良い気分だったのに台無しだ。明日名前ちゃんが出てきたら、このプレゼント代って所をどうにかして給料に回さないで良いようやりくりしてもらおう、そう思いながら仄かに太陽の香りがする布団に顔を埋めた。



「もうなんで起こしてくれないの!」

急いでベッドから飛び起き、寝巻から普段着に着替えながら枕元の時計を見ると、その針はもう太陽が空高く昇りきってしまっている時間を示している。何時もなら遅くとも開店時間頃には名前ちゃんが起こしてくれるはずなのだが、今日開店時間を過ぎてもはほったらかされてしまったみたいだ。きっと昨日の口論をまだ引き摺っているんだろう。起こすぐらいしてくれてもいいのに、と思いながらも急いで自室を飛び出すと、何時も名前ちゃんが座っている椅子が空っぽだった。店の方にまわっているのかなと思い、店に足を運ぶがそこにも彼女はおらず、居るのは忙しなく店準備をする兎達だけだ。店の外はがやがやと騒がしく、一羽の兎が店の入り口を指しながら客が外で待っている事を知らせてくれた。急いでドアを開くと、数人の客が店内へとなだれ込む。

「風邪のお薬を頂戴」
「どうかしたの?白澤さま」
「今日は冷え症のお薬を頂けるかしら?」

口々に注文をつけたり、自分の体調を心配したりする女の子たちに、開店時間が遅れたことを謝りながら薬を売るというあまりの慌ただしさに名前ちゃんが顔を出していないことなどすっかり忘れ去ってしまっていた。

日が暮れる頃、ようよう最後の客を送りだすと、あまりの疲労に手近にあった椅子にどすりと座り込んでしまう。店の入り口では、最後の力を振り絞った兎がのろのろとした動きで“開店”の札を“準備中”に替え始めていた。これでやっと一休みできる。
しかし名前ちゃんが一人居ないだけでこんなに忙しくなるなんて。ふぅと息を吐き出しながら、昨晩乱雑に戸棚に押しこんだ名前ちゃんからの手紙を取り出した。大方これに今日休む旨も書いていたのだろう。横着せずに昨晩ちゃんと確認してしておけばよかったなと後悔するが後の祭りだ。まあ朝は大寝坊してしまったけど、どうにか店を回すことはできたし、終わりよければすべてよし、だ。
押し込んでしまっていたためくしゃくしゃに潰れてしまっているだろうと思われた封筒は、便箋が分厚いのかはたまた便箋の量が多いのかわからないが、封筒に少し皺が寄っているだけで形は崩れていない。一体中になにが入っているのやら。パリッと糊づけされた封をビリビリと破り中身を一気に引き抜くと、一番手前に書かれていた文字に目が点になる。

「退職届?」

そこにあったのは見慣れた名前ちゃんの文字だった。急いでそれを開き、内容にざっと目を通す。書かれていた内容は要約すると、『今月分の給金が払えなかったので自分の分で賄いました。来月からやっていく自信が無いので退職します』といったものだった。
思わず中身を何度も見返しながら、フと思う。今まで名前ちゃんが居なくともこの薬局は運営できていたんだ。なら別にここ最近小言が増えた小姑の様な名前ちゃんが居ない方が僕の好きにできるんじゃないのだろうか。
それにどこに行ってしまったかもわからない名前ちゃんを闇雲に探し回るのは賢い選択とは思えない。ならば彼女の怒りが収まるまで僕がここを一人で運営しながらここが赤字じゃない事を示し、彼女に自然に戻ってきて貰う方が建設的だ。
それに喧嘩別れした手前迎えにも行きにくいしなぁと思いながら、のんびり名前ちゃんを待つ作戦にでる。きっと、少し経てば何時も通り仕方がないですね、といいながら帰ってくるに決まっているさ。



書類にポン、と見慣れた鬼灯印の判子が押される。どうやら今回も特に問題なく案件は通ったようだ。働き始めた当初は色々とミスばかりだったが、今となってはミスもめっきり少なくなった。それになにより、頑張りを認めてくれる人がいるというのは何よりのやる気の源だ。つい口元が緩んでしまい、それをあわてて袖で隠すと鬼灯様が何時もより少し目元を緩めながら束の書類を手渡してくれた。

「名前さん、今月の書類も不備はありませんでした。よく出来ていましたよ」
「本当ですか!ありがとうございます」
「しかし凄いスピード出世ですよねぇ。あなたの能力を甘く見ていました」
「いえ、私がここまで来れたのは鬼灯様の力添えあってこそです。何より私はあの日、拾って頂かねばここにはいませんから」
「私もつくづく良い拾い物をしたなと思っていますよ」

そういうと鬼灯様は、あまり根を詰めないように、と言いながらさらりと頭を撫でてくれた。鬼灯様は仕事で成功すると、惜しみなく称賛を送ってくれる。確かに手放しでの称賛ではないが、言葉の端々にある労りの一言や優しい声色にとても満足しているのだ。
天国の薬局を辞めて早数年、成り行きで鬼灯様に拾ってもらった私は、記録課で雑務をこなす所からスタートし、今では経理のなかなかのポジションに就かせてもらっている。まあこのポジションに就けたのは、不本意だが以前の職場で培った予算をやりくりする能力
があったからに起因するところが大きい。その点に関しては白澤様に感謝だ。
不備のなかった書類を抱えながら、今晩は何を食べようかな〜なんて夕飯に思いを馳せていると、後ろから聞きなれた声がかかる。

「名前さん、今晩食事でもいかがですか」

珍しいお誘いに驚きながら振り向くと、鬼灯様が穏やかな声色で、出世祝いがまだでしたしね、と口を開いた。鬼灯様からの珍しいお誘いだ、乗らない手はない。それに最近お互いが忙しなく、会話の時間すらまともに取れていなかったのだ。たまには鬼灯様とゆっくり世間話がしたい。とその結論を猛烈な勢いではじき出した私は、間髪いれずに頭を大きく上下に振った。

「もちろんです!今から楽しみです」

そう告げると鬼灯様は、場所は私が確保しておきますから、というとくるりと方向を変え、では夕方頃迎えに行きますと言いながら颯爽と閻魔様の所に向かってしまった。その口もとは見間違いでなければ少し緩んでいたような気がする。鬼灯様も楽しみに思っていてくれるなら幸せなことはないな、と思いながら手元の書類を抱えなおすと、先程までずしりと腕を抑えつけていたはずの重みが少し軽く感じた。こんな事で幸せになれるとはなんてお手軽な女なんだろうか。ふふ、とつい笑みがこぼれてしまう。今晩がとても楽しみだななんて思いながら、長い廊下を少し駆け足で進んだ。


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