■ 悋気 上


 
衆合地獄は華やかな地獄だ。
絢爛豪華な衣装を纏った獄卒に、華美な花街。人通りも多ければ酒屋も多く、遊び人もごまんと存在している。
それだけ多種多様な人が集まれば自然と起こるのが喧嘩というもの。
他愛ない口先だけのいい争いから、手や足が出る穏やかじゃない争いまで。
それらを諌める役目を持つのが、衆合地獄の用心棒である。



「さっきはありがとうございました、まさか獄卒同士の喧嘩を仲裁して頂く事になるなんて」

本来なら私が諌める役目なんですが、と眉を下げた名前は両手を軽く握ると、くるりと金太郎に向き直り小さな礼をした。
閻魔殿内で喧嘩が起こるなんてことはほとんどあり得ない。なぜならそこは地獄の補佐官のテリトリーだからだ。
そんなところでひと悶着起こそうものなら明日の朝日は拝めない。
それどころか運が悪ければ、亡者と一緒に地獄ツアーでも組まされる可能性だって大いにあり得た。
だが閻魔殿から一歩足を踏み出せばその縛りは薄くなる。目が光っていない訳ではないが、それでも閻魔殿内部よりは幾らかチェックが甘かった。
それでも古参の者は十二分に理解している。ここで何か起こそうものならどうなることかわからない、と。
だのに閻魔殿周辺で騒ぎが起こってしまったのは、最近配属されたばかりの叱責専門の荒くれがお互いの叱責方法が生ぬるいとくだらない言い合いを始めた事にあった。
あーでもないこーでもないと大いに騒ぎたてた二人は、結論がでなかったのか手が出る足が出るの喧嘩に発展させてしまったらしい。
そして運悪く金棒飛び交う喧嘩の第一発見者になってしまったのが、私と金太郎さんの二人であった。
当たればタダで済みそうにない道具まで取り出しての喧嘩は見逃せるものではなかったが、私は所詮事務仕事専門の獄卒。
鍛え抜かれた男二人の間に突入することなど出来る訳もない。
そんなこんなでまごついていた私を見かねた金太郎さんが、鮮やかな手付きで二人の手に握られていた金棒を弾き飛ばすと、男の肩を掴み二人を地に伏せるという、見事な手腕で喧嘩を諌めてくれたのである。

本当に金太郎さんがいてくれて良かった。居てくれなければ私は今ごろ医務室だ。
案内を始めた当初は、身長が高いし大柄だしで苦手意識しかなかったが、今ではその感情は完全に消え去っていた。
感謝の意を込めて再度ぺこりと頭を下げると、大きな両手を振りながら頭を上げて下さい、と苦笑する金太郎さんが小さく口を開いた。

「力が強い事だけが私の取り柄なものですから」

それに男の喧嘩を女性に仲裁させる訳にはいきませんよ、と言い放つと、衆合地獄の優秀な用心棒はにこりとほほ笑む。
イメージを崩さぬようにという理由で未だ"金"の文字が躍る赤い前掛けを着用した上、童の様なおかっぱ姿の彼は、お世辞にも『カッコいい』とは言い難い。
しかしその不思議な見た目など瑣末な事だと言える程の魅力が彼にはあると思う。
なにより優しい。道を歩けば女性に声をかけられ、子どもに懐かれ、老女に食べ物をお裾わけされる。
女の園といっても過言ではない衆合地獄で絶大な人気を誇る金太郎さんは、流石に女の扱いも子どもの扱いも、老女の扱いも、それに人助けの方法も十分に心得ていた。
でなければ階段から足を滑らせたお婆さんを空中キャッチして、なおかつ優しく地に下ろしてあげるなんて中々できることではない。
空中キャッチされたお婆さんをみて、こんなに優しく扱ってもらえたらいいなぁ、と思わず声が漏れたのは秘密だ。

しかし、お香さんから『金太郎さんに閻魔殿及び周辺を案内してあげてくれないかしらァ』と頼まれた時はどうなる事かと思ったが、いざやってみればなんのことはなかった。
金太郎さんは優しいし気が利くし、衆合地獄で働くだけあって女性の扱いにも慣れている。その上私の手に負えない事案まで片してくれた。
当初は不安しかなかった頼まれごとだったが、予想とは裏腹に少しハプニングもあったが大きな問題なく終板を迎えることとなった。

案内を始めた地点、丁度鬼灯様の金魚草畑の前まで辿りついた金太郎さんは、くるりとこちらに向き直ると柔らかな笑みを浮かべながらぺこりと頭を下げた。

「今日は無理を言ってすみません。少し閻魔殿周囲を知りたかっただけだったのですが、ご迷惑を」
「いえこちらこそ助けて頂いたので!」

ご迷惑どころかお世話になりっぱなしの半日だった。こちらも返すように頭を下げると、向こうも再度ぺこりと頭を下げてくれた。
そのまま何度か二人でぺこぺこと頭を下げ合う光景はさぞかし不思議な光景であっただろう。
やっとお礼合戦に一区切りついた頃、壁に掛けられた時計を振り返った金太郎さんは、時間かと呟くと優しい視線をこちらに送ってきた。

「今日はとても楽しかったです、細かいお礼はまた今度させて下さい」
「お礼なんてとても、十分な案内ができたかどうかもいまいちですし」

途中まではハプニングなく案内できていたが、最後はあの喧嘩二人組に気を取られて説明も何もかもおざなりだった。かなり駆け足の説明だったが、役に立つだろうかと肩を落とす。
すると頭上から、いいえ勉強になりましたよ、と声が降ってくると同時に、優しく微笑む金太郎さん。その嘘の無い瞳にホッと胸をなでおろした。

「また分からない事があれば聞いて下さい。私に分かる事であればお手伝いします」
「ええまたお願いしま、」

そこで金太郎さんの声が急にぷちりと途切れた。
それと同時に赤い前掛けが見えていたはずの視界が真っ黒に染まる。
何事かと目を白黒させていると、猛烈な勢いで腕をがしりと掴まれ、引き摺られるようにして手を引かれた。
訳が分からない中で、思わず後方を振り返るとみるみる内に見えなくなる金太郎さんの赤い前掛け。それと比例するように強まる腕の力に、振り払おうとするも抗えない。
ぐいぐいと加減など全く考えていない勢いで右腕を引かれながら、必死で転げないように足を動かす。
曲がり角を幾つか曲がり、お前ら仲良くやれよと茶化す様に声をかけてきた紫色の獄卒を半ば突き飛ばすように押しのけながら辿りついた先は、鬼灯マークの描かれた扉の前であった。
ぜいぜいはあはあと息を切らしながら顔を上げるとそこには、いつもの鉄仮面を崩さない第一補佐官殿が静かに佇んでいる。
いつもと変わらない無表情のはずだが、どことなく苛立つような雰囲気が感じられて背筋がぞわりと震えた。
今ばかりはいつものこの表情が恐ろしい。
伺うように鬼灯様の顔を見上げると、黒い相貌がじっとりとこちらを見下ろしていた。


「金太郎さんは優しかったですか」
「…鬼灯様?どうしてここに」

口から零れた問いは思いのほか固い声色だった。自分はこんなに今機嫌が悪かったのか、と鬼灯は一人驚いた。
だがしかし、もとより柔らかい声などしておらず、気付く人は気付く程度の瑣末な違いだったことだろう。
それでも普段より固い私の声の違いを聞きとったのか、偶然か、こちらをゆっくりと伺うように見上げた名前の目にはほんの一筋の恐怖が浮かんでいた。
それに少しの罪悪感を感じながらも、その表情を自分が浮かべさせているのだと思うと高揚感が胸を満たすのも事実。
どうも加虐性を煽る人だ、と目下の名前を見下ろした鬼灯は、演技がからないよう努めながら小さくため息を吐きだした。

「私の仕事場でもあるんですから、居てもおかしくはないでしょう」

特に今日はあちこち駆けずりまわりましたから、とちらりと横目で視線を送る鬼灯に名前の肝がひやりと冷える。
どえらく遠まわしな表現だが、鬼灯様が言いたいのはこういうことだろう。
今日はあちこち回りましたから、あちこち案内して回っていた私と金太郎さんの姿もバッチリ発見してました、と。
鬼灯様とは恋仲だ。そして私は金太郎さんを案内することを、鬼灯様に事前に告げたりしては、していない。
逆の立場、鬼灯様が女性と歩いている姿を事前情報なしに発見したならば、私は最高に不機嫌になれる自信がある。
鬼灯様がそこまでの感情を抱いてくれているかはわからないが、それでも少しでもそういう感情が湧きあがるのは不思議ではないだろう。それに彼は勝手をされるのが嫌いな人だし。
急な話と言えど一言ぐらい言っておくべきだったか、と過去の自分を後悔していると唐突に腋の下に手が差し込まれた。
急な刺激に驚く暇もないまま持ち上げられると、そのまま鬼灯様の肩に担ぎあげられる。
所謂俵担ぎであった。

「彼は大層力持ちでしょう、私も負けてないつもりですけど」
「ひっ、おっ、下ろして下さ…っ」

ほーら、といつもの低音ボイス、無表情でお茶目に肩を揺するが私にとっては恐怖以外の何物でもなかった。
ぐらぐら揺れる視界をどうにかすべく無意識に掴んだのは何と鬼灯様の頭だ。
しがみついた瞬間、これは不味いものを掴んだ、と内心白目をむきそうになるがそこを必死に堪える。この長身から落ちたら絶対に痛い。
急な高さに腹部への地味な衝撃にもはや涙目の私に満足がいったのかどうか、謎のお茶目を止めた鬼灯様は手早く自室の鍵を開けると慣れた手つきてドアノブを回した。

「一度くらい抱き上げてもらえたら、なんて言ってたみたいですから」
「だっ、抱き上げるってこういう事じゃ」

私が、いや、女性が抱き上げて欲しいっていうのは絶対にこの体勢ではない。米俵を担いで移動する抱っこではないのだ。
絶対分かっててやってるだろうに、とじっとり鬼灯様を睨めつけるがそんな視線を意にも介さないこのお方は、移動の衝撃で呻く私を余所にすたすたと足を進める始末。
大した抵抗も出来ずぐったりしていると、急に立ち止まった鬼灯様にぽい、と地面に投げるようにして落とされた。
急な浮遊感に目をつぶると、次いで背中に感じるのは柔らかな布団の感触。
私を放り投げた鬼灯様は、担いでいた金棒を乱雑に隅に追いやると片足をベッドの端に乗せた。

「後は…優しくして貰いたい、でしたっけ?」

ギシリ、と二人分の重みに悲鳴を上げるベッド。ちなみに鬼灯様の片足は私の足の間にある。
逃げ場は、と左右を見渡そうとするが、それをする前に両手がベッドに縫い止められてしまえば逃げ場は失われたも同然だった。
鬼灯様のがっしりした手に掴まれてしまえば、私のちっぽけな手で抵抗が果たせる訳もない。
何時の間にやら所謂馬乗りの体勢になっていた鬼灯様をそろりと見上げると、先程と打って変わって楽しげに口角をほんの少しだけ吊り上げ、ギラリとした牙を覗かせている。
鬼灯様がこの状況で楽しそうだなんて嫌な予感しかしない。優しさから程遠い事態になるに違いないだろう。自分の口の端が引きつる感覚がした。


「いいですよ名前さん、御望み通り目一杯、優しく丁寧に扱ってあげましょう」

一昼夜、と告げながら引きつる口角を撫でるように指を添わせると、目に見えて名前さんの動揺が大きくなった。
それでも逃がしてやらない、私の心労を増やしたツケを払ってもらうまでは絶対に。
優しさが欲しいというなら、私なりの優しさをあなたに嫌というほど与えてやろう。楽しみですね、と開いた口が歪むのが分かる。
仕事は片付いた、休みも根回ししてある、後は目の前の御馳走を頂くだけ。

瞳を揺らす名前を前に、さてどうしてやりましょう、と呟いた鬼灯の表情はこれ以上ないほど楽しげであった。


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