■ 壁ドン


※短めです。ほんのりキャラ崩れ

 閻魔殿、人気のすくない通路を歩いていた所、後方から馴染みのある声が聞こえた気がした。こんなところで呼び止めるなんて珍しい。もしかしたら何か書類ミスでもしたのだろうかと思いながら振り返ろうとしたところ、書類を持っていない左側の腕を不意に掴まれた。
存外がっちりした手と、男らしく太い腕に驚く間もなく、柱の陰に身体を抑えつけられる。あまりに急な行動に目を白黒させている間に、勢いよく伸ばされた腕は、おおよそ普通の殴打音ではない、バァン!という破壊音を立てながら私の顔の真横に収まった。あまりの勢いに壁がベコリと凹み、パラパラと破片が地面に落ちる。それを目で追った名前は、バクバクと大鐘を鳴らす心臓の鼓動を抑えることが出来なかった。

「あ、え…」

『私、何か粗相を?』と言いたいのだが、恐怖のあまり口から出るのは言葉と言えない単語ばかり。恐る恐る目の前の男の顔を伺うが、その顔には怒りも苛立ちも浮き上がっていない。ただの無だ。何を思って鬼灯がこのような行為に出たのか、名前は全く理解できずにいた。
自身の腕の内でぶるぶると震えながら顔を青くさせ、視線を左右に揺らす名前を見ながら、鬼灯は小首を傾げ口を開く。

「名前さんには無効でしたか、“壁ドン”」
「…は?」

 巷で流行ってるんでしょう?壁ドンといいながら、例に上げたのは現世で話題の少女漫画原作の映画の話。壁ドンや不意打ちキス、さらには股ドンまで網羅していると話題の映画は、現世の女の子に好評だとお香が楽しげに話ていたのを思い出す。
 もちろん私とて女、壁ドンに憧れないといえばウソになる。そしてその相手がこの目の前の鬼神であればと妄想した事もある。
でもこれじゃない。女の腕を猛烈な勢いで鷲掴んで、壁に頭を強かに打ち付ける勢いで押しつけた後、壁を素手で破壊するような物は壁ドンとは違う。確かにドキドキはしたが、それは胸のときめきによる物ではなく、恐怖による心拍数の増加だ。吊り橋効果にしたってひどすぎる。
この人女心をなんだと思ってんだ、と内心げっそりしていると、耳に小さく鬼灯様の独り言が聞こえてきた。
 
「現世で言う、壁ドンのタイプは全部盛り込んだつもりだったんですが」
「タイプ?」

思わず聞き返すと、あぁと気のない返事を返しながら、鬼灯様は壁を抑えつけていた側の手をゆっくりと離した。壁を陥没させたというのに、少しだけ赤みを帯びただけで済んだ掌は彼がいかに頑丈であるかを物語る。鬼灯様が鬼神であることを再確認しながら、彼が掌に付着した壁の塗料を払う様子をぼんやりと見つめる。と急に鬼灯様が、タイプについてでしたね、と切り出した。

「壁ドンって隣人を黙らせるために壁を破壊する勢いで殴るパターンと、男性が女性を壁際に追い詰めて逃げられないように拘束するパターンがあるでしょう。2パターンもあるものですから、名前さんがどっちにときめくか分からなかったので両方を織り交ぜた、壁破壊をしつつも名前さんを腕に閉じ込めるパターンを考案し、実践してみました」

カレーとラーメン一緒に食べたらうまいみたいなトンデモな持論を持ち出し、どことなく満足そうな顔を浮かべる鬼灯。その持論を聞かされた名前はというと、鬼灯が怒っている訳で無い事がわかったためか、へなへなと地面にへたりこんでしまった。
思ったよりこの恐怖の壁ドンにやられていたようで、足が震えて使い物にならない。いまさらながら震え始めた唇を必死で開き、鬼灯に文句をぶつける。

「あなた絶対分かっててやったでしょう!」
「わかっちゃいました?」

 愉悦に染まる瞳を隠しもせず、鬼灯は実に楽しそうにへたりこんだ名前を見つめる。そのまましゃがみ込んでしまえば、名前などすっぽりと隠してしまいそうなほど肩幅がある事を、嫌でも意識してしまうのも無理はない。明確な体格差に胸がドキリと跳ねた。
 鬼灯の腕からは解放されるも、いまだに恐怖が尾を引く名前の頬を、まるで壊れ物に触れるかのごとく優しげに撫ぜる。ごつごつとした男らしい手とは思えぬ繊細な手付きに背筋が震えた。

「そうやって震えているあなたも、まるで小動物の様で愛らしい」

 そういうなり頬を撫でていた指が、未だ震える唇へと移動する。先ほどと異なり、弄ぶように上唇と下唇を行き来する指の動きはどことなく扇情的だ。時折爪をひっかけながら名前の唇をなぞる鬼灯は実に満足そうな表情を浮かべている。
その瞳と視線が合った瞬間、内からじわじわと熱情が湧き出てくる様な感覚に襲われた。雰囲気に呑まれる。いや、もう呑まれている。
 名前はその雰囲気に抵抗するがのごとく、震える唇を押さえて必死に言葉を紡ぎだした。

「そういうのは恋人に言うものですよ」

 口から零れ落ちた言葉は、思ったよりか細く覇気のない声色であった。
それでもいい、これで思いとどまればお互い傷は浅くて済む。少なくとも私の傷は浅くて済むはずだ。鬼灯様が本気なのか、冗談なのかは図り知ることはできない。でももし冗談だったら。からかいの延長が少し行きすぎただけだったら、と思うと名前は一歩踏み出せないでいた。
正直に言えば、今向けられているのが掛け値なしの好意ならば、両手放しで受け止めたいのが本音だ。しかしあと一押しが足りない。存外臆病な自分に苦笑が隠せなかった。
 そんな名前をじっと見つめていた鬼灯は、スッと瞳を細めると唇を行き来していた手で両頬をがっちりと掴んだ。急に固定された視界に、所在なさげに視線をうろたえされる名前の耳元に唇を寄せる。そのままガリ、と耳朶を食むと息を飲む声が聞こえた。耳元に吹きかけられる生温かい吐息に見を捩らせる名前を大柄な体でしっかりと抑えつける。こうなれば名前が逃げ出す手段は皆無だ。
腕の内で震える名前に口を緩めながら、鬼灯の口が緩やかに開く。

「ならいっそなりましょうよ。ねえ名前、いつまで私から逃げるつもりですか」

そう呟いた鬼灯の目は、餌を目の前にした猛獣そのものであった。


[ prev / next ]
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -