■ 別次元の人と入れ替わり


 私の上司の特徴を上げていこう。
まず頭はとても優秀で、顔も美醜でいえば美の部類に入る。しかし下半身はあっちへふらふらこっちへふらふらとだらしなく、戦闘力は某スコープによる数値で表すなら1にも満たない数値が叩きだされるだろう。それに歳を食っているせいか食は細く、薬に頼った生活をしている。だが心根は穏やかで、気が長く誰にでも分け隔てなく接するものだから慕われる事が多いのも事実。大まかにいえばこれが私の知る神獣白澤様だ。

の、はずなのだが今日の白澤様はどうも様子が異なる。ちらりと視線を白澤様に向けると、そこにはいつものように女の子と楽しげに会話する姿が見えるのだが、不思議な事にただの当たり障りない“会話”のみでデートのお誘いや女の子へのタッチが一切ない。それに加えて朝一番からいつものように薬作りの準備をしていた私の所にちょこちょこっと寄ってきたかと思うと、いつもなら今日もかわいいねーと軽口を叩くように通りすがりに口説いていくだけなのに、今日はえらく真面目な顔をして私の両肩を掴んだと思うと、いつ僕を好きになるの?なんて聞いてきたのだ。その表情があまりに真剣すぎて、つい何を御冗談をと流してしまったのだが。
あはは、と女の子たちの楽しげな声が店内に木霊する。しかし内容は職場の話や最近のニュースの話など色めいたものとは縁遠いものであり、珍しく口説き文句が少ない。やっぱり、おかしい。あの白澤様が女性を目の前にしてこんな健全なお話ばかりするなんて。
いつものようにカウンターに腰かけた白澤様をじっと上から下まで観察してみるが、白の白衣にチャイナ服、赤いピアスに目尻の朱、どれをとってもいつもの白澤様だ。私の考えすぎかな、とため息をつきながら手元の薬をグルリと混ぜると、勢いよく混ぜすぎたせいか中身がぼこりと音を立てながら飛び散った。

「熱っ!」

少量だが手元に付着してしまったらしく、切り傷だらけの指にじーんとした痛みが走ると同時に指が赤く腫れあがってゆく。水ぶくれになっちゃう、冷やさなきゃと急いで台所に向かおうと踵を返すと、背後からきゃ!という女性の悲鳴が上がった。もしかしてそっちまで飛んでしまったのだろうかと急いで後ろを振り向くと、驚きの光景が目に飛び込んできた。

「名前ちゃん大丈夫!?あぁ、そんなに赤く腫らして…さあこっちにおいで」

そこには、侍らせていた女性をまるで突き飛ばすかのように押しのけながら、血相を変えてこちらへ駆けてくる白澤様がいたのだ。押しのけられた女性は、軽く尻もちをついたかと思うと目元を吊り上げ、白澤様最低!と憤慨しながら店を後にしてしまった。その他一緒にいた女性達も、白澤様の態度に少し驚いたような表情を浮かべながらそそくさと退散していく。
今までいくら私が怪我しようとも、女性にちゃんと一言断りを入れてから治療に入っていたのに、それが女性陣になど目もくれず私に一直線とは何事なのだろうか。なにか悪い物でも食べたのか、それとも何かにとり憑かれているのでは?いや、そもそもこの人は本当に白澤様なのだろうか、と疑問を浮かべながら白澤様を見上げると、白澤様はどこか慈愛に満ちた表情でこちらを見下ろしながら私の指を取ると、迷うことなくそれを口に含んだ。…口に含んだ?

「は、白澤様、何を!?」
「何って、治療だよ」

何言ってんの?とでも言いたげな表情を浮かべながら、尚も白澤様は私の手を舐めるのを辞めない。つるりともぬるりとも言い難い感覚が指を走った。時折爪と肉の間を遊ぶかの様に行き来する生温かい舌に背筋がぞわりと粟立つ。こんな治療、あるわけない。あまりの羞恥に耐えきれず、半ば無理やり引き抜くようにして指を引っ張ると、ちゅ、という音とともに白澤様の唾液でべたべたになった自分の指がようやく外気に触れる。
一方の白澤様は残念そうな顔をしながら、そんなに無理に引き抜かなくていいのにと楽しげに言った。

「名前ちゃんってばせっかちだねぇ、まあ治ったからいいけど」
「はぁ?!舐めて直すなんて原始的なもの利く訳ないでしょ!」
「僕は神獣なんだよ?唾液に治癒作用くらいあるさ」
「そんな馬鹿な話…」

冗談ばっかりと思いながら自分の手元に目を落とすと、驚いた事に先ほどまで赤らんでいた火傷の痕ばかりか擦り創切り創の類まで全てきれいさっぱり消え去っているではないか。そんな馬鹿な、白澤様は万物に精通する“知識”の神で合って、癒神ではないのに、なぜこんな能力が備わっているのだろう。ぽかんと自分の指をぼんやり見つめていると、白澤様が何時の間にか私の真横に移動してきていた。何?と思う暇もなくおもむろに肩を抱き寄せられたかと思うと、いつもより少し低い掠れた声で囁く。

「ねえ、いい加減僕に振りむいてよ」

突然の告白に顔に熱が集中する。こんなに真面目に口説かれたのは初めてだった。いつものあいさつみたいなものとは違う、真剣味を帯びた声に頭がじん、としびれる。まるで声に魔力が籠っているみたいだ。いつもの明るく柔らかな白澤様の声とは180°異なるそれに見えない何かで縛られたかのように身体の自由が奪われる。熱に浮かされたかのようにぼんやりする頭で…白澤様って、こんな人だったっけ?と考えた。
すっかり身体が固まっている間に白澤様は流れる様な仕草で私の顎を捉えると、もう片方の手でするりと頬を撫ぜる。それはまるで愛おしい物に触れる様な仕草であると同時に、色欲を孕んだ手つきだ。その手つきに気を取られている間に、白澤様の顔が少しづつこちらに迫ってくる。白澤様の唇が、触れあう直前まで迫った所で急に頭が覚醒した。いやまてそもそも私と白澤様は恋仲じゃない!
そう頭で答えを導きだすと、すっかり力の抜けた腕で白澤様を押し返した。白澤様はまさか抵抗されると思っていなかったのか、ぽかんと虚を突かれた顔をしている。今しかない。
そこからの行動は早かった。目に付いた配達用の籠を引っ掴むと、配達に行ってきます!と逃げ出すようにドアから転がり出たのだ。後ろから制止の声が掛ったが、後ろは振り返らない、振り返ってはいけないような気がする。白澤様の声を振り切りながら自分が持ちうる全力で穏やかな天国の小道を駆けた。今晩どこで過ごそうと必死に頭を巡らせながら。




「どうぞお引き取り下さい」
「そんな!見捨てないでください鬼灯さん!」
「私とて暇ではないんですよ、なぜわざわざ天国まで出向かなきゃいけないんですか」
「そこを何とか!今日の白澤様、おかしいんです!」
「アイツがおかしいのは年中でしょう。では私はこれで」
「そんなぁ…」

悩みに悩んで出した結論は、白澤様を撃退できる最強の兵器に白澤様を一発ポカッとやってもらって正気に戻ってもらおうというものだった。安直だけれど、きっとこれが一番効果絶大のはず、というより私の脳みそではこれ以上の策が思い浮かばないだけなのだが。
という訳で急いで地獄までやってきたというのに、今日で丁度3徹目だという鬼灯さんは、目元の隈をさらに濃くさせながら、まるで野良犬でも追い払うようにシッシと掌をひらひらさせたのだ。それでもしつこく背中を追っているのだが、一向に首を縦に振ってもらえない。忙しいのにこんなお願い、ものすごく邪魔なのは百も承知なのだが、私とて死活問題なのだ。このままのこのこ薬局には帰れないし、申し訳ないがどうにか承諾して頂かねば。
再度お願いします、と逆さ鬼灯を背負う背中に懇願すると、鬼灯さんは腹の底から出すような、はぁ、という大きなため息をつきながら振り返った。その表情はヤのつくご職業と言われても納得がいくほど恐ろしい形相で、思わず息を詰めてしまう。鬼灯様は恐怖でカチンと固まった私を一瞥すると、こうも付きまとわれると仕事が捗らない、と吐き捨てるように呟いた。

「はぁ…しつこいですねあなたも。仕事が終わったら話は聞いてあげますから…黙ってそこで待ってろ」
「やっぱりだめですよねー…えっ?いいんですか!?ありがとうございます!」

これであの妙な白澤様とおさらばできる。そう考えると気持ちが急に軽くなり、つい足をぶらぶらさせてしまった。あ、やってしまったと思ったときには時すでに遅く鬼灯さんに鋭い目線を向けられる。もう下手なことはしないでおこう、と手近な椅子に座りこんだ瞬間、目前の鬼灯さんの目つきが一相鋭さを増した。うわ、私また何かやらかした?と自分の失態を必必死で思い出していると、後方から聞こえた覚えのある声に身体に緊張が走る。

「遅いから迎えに来ちゃった」

まるで語尾にハートマークでもついていそうな声色でそう言うと、薬局の店主は私の両肩に手を置いた。ただ手を置いているだけなのに、言いようのない圧迫感と威圧感を感じる。じっとりとした汗が背筋を一筋流れた時、目の前の鬼灯さんが眉間の皺を濃くしながら愛用の金棒を手に取り、素晴らしいコントロール力とスピードでそれを白澤様向けて投げつけた。ヒュっと風を切りながら一直線に飛んでいくそれは白澤様に直撃し、白澤様は閻魔殿の壁にめり込む。そして鬼灯さんが壁と一体化した白澤様を鼻で笑って終わり。
そう、それがいつも通りのパターンだ。しかし、これはどういう事なのだろうか。

「おい白豚…お前何した」
「神に向かって歯向かうなんて身の程知らずにも程があるよ、鬼風情が」
「黙れ偶蹄類」
「はっ…どんなに罵倒しようともその姿じゃざまあないね。それより名前ちゃんを長時間拘束するのはやめてくれる?」

血なまぐさい匂いが移ったら大変じゃないか、といいながら白澤様は鬼灯様を足の先で転がした。

これは一体何が起こっているんだろう?
地面に倒れ伏す鬼灯さんと、それを見下げる白澤様。鬼灯さんの額からは幾筋か血が流れており、傷の深さをうかがわせる。一方の白澤様は、傷どころか服に汚れ一つない状態という圧倒的な差。
私のなけなしの脳みそでは全く状況が理解できない。だって、鬼灯さんが投げた金棒は、寸分の狂いもなく白澤様の顔面目がけて飛んでいった。あ、ぶつかったなこれはと思った瞬間、白澤様が不敵な笑みを浮かべ、その表情のまま人指し指を一振りすると、見たことのない文様が描かれたまるで障壁の様なものが白澤様と私を囲む。その障壁は金棒が触れた瞬間、ゴォンという音を立てながらそれをはじき返したのだ。その風景に目を見張る鬼灯さんの隙をついて白澤様は、袖から鬼封じと描かれた札を幾枚か取り出すと、それを鬼灯さんに向かって投げつける。その札は鬼灯さんをぐるりと円を描くように取り囲むと彼の自由を奪ったのだ。
あの白澤様がまともに札を書けるはずがない。それに才能はあれどセンスが皆無なのにそんなに上手い事鬼灯さんに札を命中させることが出来るはずもない。だのにその全てを難なくこなすなんて、この人は本当に白澤様?
ちらりと白澤様の方を見上げると、どうしたの?と言いながら白澤様が小首をかしげる。その瞳は何時もの灰色ではなく、鈍く光る黄金色をしていた。誰なんだ、この人は?
恐ろしさのあまり、椅子から転げ落ちるようにして白澤様の手から逃げ出す。白澤様から距離を取るには、と半ば無意識的に考えながら足を動かした先は鬼灯さんの元だった。ぐ、とうめき声を上げる鬼灯さんの額にハンカチを無理やり押しつけると、白澤様が放つ空気がぐっと重たくなる。もはや息をするのも苦しいほどだ。

「名前ちゃん、そんな奴の所に居ると悪いモノが移るよ。さあこっちにおいで」
「…い、嫌。貴方は一体誰なんですか?」
「僕?僕は万物を知る神獣、白澤だよ」
「うそ。だって白澤様は、闘いなんて何一つ出来ない上に札だって満足に書けないのに、傷だって癒すことはできないのに、それなのに」

こんなに重苦しい空気を纏う事も、ましてや鬼灯さんを逆に撃退する事も、人に無理を強いるのも、白澤様ならきっとしない、できない。

「あなたは私の知る白澤様じゃない」

白澤様をどこにやったんですか、と問うと、目の前の彼は口角を上げながらふふ、と笑った。

「そう?まあそうかもしれないね。でも、そんな細かい事はどうだっていいじゃない」

そういうと目の前の彼は一歩、また一歩とこちらへ歩みを進めた。白い靴の裏が立てる、カツンカツンという音が響くたびに私の身体はどんどん強張っていく。いよいよもう腕を伸ばせば触れられる、そんな距離まで近づいてきた彼に、瞳をギュッと閉じると手元の鬼灯さんがぴくりと動いた気がした。
一方白い彼は、どうしたって僕が白澤であることは揺らぎない事実なんだから、と楽しげにいうと鬼灯さんにハンカチを押しあてていた方の手を取り、半ば無理やりに私を引っ張り上げた。慣性に従ってよろめきながら立ち上がるが、ぐい、と力任せにひっぱられたせいか、腕に指が食い込む。痛みに気を取られている間に、目の前の彼は私の肩に手を回すと、まるで恋人同士がするように抱きしめ、囁くように耳元で呟いた。

「やっと捕まえた」


[ prev / next ]
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -