■ 無愛想ですが


※哀訴するの続きです

何をするにも邪魔をする、それがアイツの印象だ。
ある時は硬派な鬼灯様の方がいいと女の子に振られ、ある時は理由もなく手指の骨を砕かれ、ある時は僕が描いた力作に風穴を空けられた。アイツに関わると碌なことが起こらない。
だからこそ、彼女とアイツをしっかり引き離しておいたのだ。非常に不本意だが、僕とアイツは似ているらしいからきっと名前ちゃんの能力を欲しがるだろうと、なんとなく漠然と感じたから。だというのにちょっと仲違いをした間にまるで蛇のようにするりとウチの従業員を引き抜いていくなんて、全く油断も隙もありゃしない。確かに僕も、長い事そつなく名前ちゃんが業務をこなしてくれるものだから、彼女の能力の有難味をすっかり失念してしまったことは失敗だったんだけど。
でも僕は心の奥底では自信があったんだ。僕が折れて地獄まで名前ちゃんを迎えに行けば、彼女は帰ってくるだろうという絶対の自信が。

「名前さん、こちらへ」
「鬼灯様…」

の、はずなのに、どうして彼女はあの忌々しい鬼神から目を離さないのか。どうして彼女は先ほどまで本気で振りほどこうとしていなかった僕の手を、今度は本気で振りほどこうとしているのか。わからない、なぜ、どうして。
僕が名前ちゃんの手をしっかり握っているはずなのに、彼女はまるでここにいないような錯覚を受ける。それは名前ちゃんの意識が全て、あの黒い鬼に注がれているからだ。駄目だ、このままでは名前ちゃんは向こうに行ってしまう。せめて、せめて少しでも意識を逸らさねば。その一身で口から飛び出た言葉は、攻撃的な内容だったにも関わらず少しだけ震えていた気がする。

「邪魔すんなよ」
「邪魔なのはあなたですよ」

そういうと鬼は黒い服を翻しながらスタスタとこちらに歩いてきた。思わず名前ちゃんの手を強く握ると、彼女の手は少しだけ逃げるように動いたかと思うとすぐにだらりと力を抜いた。なぜ?と思いながらチラリと名前ちゃんを見ると、先程の困ったような、悲しそうな表情は成りを潜め、安堵の表情が浮かび上がっていた。その表情は黒い鬼が一歩、また一歩とこちらに歩みを進める度に色濃くなっており、アイツが名前ちゃんからの信頼を勝ち得ているのだという事実がそこに存在している事を僕に付きつけてくる。
僕の視線が名前ちゃんに向いている間にすっかり距離を縮めたのだろう、地獄の鬼は僕の手を猛烈な勢いではたき落とすと、代わりに名前ちゃんの手を取った。
名前ちゃんはというと、僕に取られた時とは打って変わって抵抗一つしやしない。それどころか、やんわりと手を握り返しているように見える。あまりの光景に上手い言葉が浮かばない。ただ浮かぶのは、この鬼は一体どれだけ僕の邪魔をすれば気が済むのか、という怒りの感情のみだ。

「お前、本当…何なんだよ」
「ただの鬼ですが」
「悉く僕の邪魔してきてさ!最後には名前ちゃんまで持っていく訳?」
「名前さんは物ではありませんし、ましてやあなたの所有物でもない」

名前を呼ぶことすら忌々しい鬼神はまっすぐ僕を睨みつけながらそう言い放った。ああそうだ、名前ちゃんはものじゃない。だから僕が彼女を引きとめることはできない。
でも、うちの従業員なんだ。彼女がいなきゃ、まともに仕事もできやしないほど重要な人なんだ。お前に軽々しく地獄にとどめられたら困るんだ、返して貰わなきゃ。

「名前ちゃんは誰のものでもない。だけどお前のものでもない、そうだろう?」
「私は無理強いをした覚えはありません」
「ならその手を離せよ拷問中毒者」
「……ええ、いいですよ」

そういうと地獄の鬼神は彼女の手を取っていた手の力を抜いた。しかし、重力に従って下に落ちるはずだった手はいまだに繋がれたままだ。お前ふざけんなよ、という意思を込めて鬼を睨んだが、当の本人は涼しい顔をしながらなんでもないように言い放った。

「私は手を掴んでいませんよ」
「はぁ?」

冗談もほどほどにしろよ、と思わず拳を握りながら告げると、以外にも反応を示したのは隣の名前ちゃんだった。僕らの応酬をぼんやりと眺めていた名前ちゃんは急に目を見開きながら、黒い鬼と手を数度見比べると、小さく謝罪を述べながら手をパッと離した。その瞬間、男の手は重力に従って大腿の側面に戻っていく。
こいつが手を握っていないという事は、逆に名前ちゃんがこいつの手を握っていたという事になる。しかも、無意識的にだ。まさか、名前ちゃんが無意識的に庇護を求める存在がこいつだなんて。あまりの事実に愕然としていると、眼の端に移った鬼灯がにやりと含み笑いをしたように見えた。



始めて聞く腹の奥底から響くような白澤様の声は、この状況を飲み込み切れずぽかんとしていた私の意識を呼び覚ますには十分すぎる程の怒気を孕んでいた。ハッとしながら、目の前の白澤様を見ると、その視線は私の手元に注がれている。一体何が?と急いでそちらに目を向けると、なんと恐れ多くも鬼灯様の手をがっしり握り締めているではないか。思わず鬼灯様を見上げると、いつもの無表情でじっとこちらを見下ろしている目と視線がかち合う。しかしその瞳はどこか穏やかで、一瞬、ほんの一瞬だが別に手を離さなくてもいいかな、なんて血迷った事を考えてしまった。

「すみません、勝手に手を握ってしまって」
「いえ、初めに掴んだのは私ですから」

そういうと鬼灯様は、私と白澤様の距離を広げるかのように私の斜め前に移動した。鬼灯様が立ち位置を変更したからか、白澤様の姿はその特徴的な白衣でしか確認できない。白澤様が嫌がらせするなよ、とイライラした口調で呟いているが私にとっては好都合だ。白澤様が見えているとマトモに頭が回らなくなるから。
ホッと息をつくと同時に鬼灯様越しに白澤様の小さな呟きが聞こえた。内容は聞きとれなかったが、声色からどう考えても明るい内容ではないことが伺える。同時に鬼灯様の登場で少し和らいだ空気が先ほどの切迫したようなものへと変化を始めた。地獄に漂う恨み辛みを含んだ空気とはまた違う、凛とした圧迫感に思わず一歩、鬼灯様との距離を縮めてしまった。
ああ、まただ。都合が悪くなると鬼灯様に頼りたくなるのは、ここ数十年でできてしまった悪い癖だ。気付かれないうちに元の場所に戻ろうと足を上げた瞬間、ふわりと肩に添えられた大きな手に優しい仕草で引っ張られた。
引っ張られたことによりぐらつく足元に反射的に両手を伸ばすと、簡素だが上等の黒い布に手が当たる。あれ、これ、もしかして?と思いながら恐る恐る顔を上げると、真っすぐ白澤様を視線で射抜く鬼灯様がものすごい至近距離に見えた。

「は…え?鬼灯様?」
「はい、鬼灯ですが」

鬼灯様に抱き寄せられた体勢は何がどうなってるんですか、とかそもそもなぜ私たちこんなに密着してるんですか、とか聞きたいことはあったが、残念ながら私の口からでた疑問はたったの一言だった。それを聞いた鬼灯様は、きょとんとした顔をしたかと思うと、何を馬鹿なことを言ってるんですか、といいながらあたりまえの答えを返してきた。絶対私が聞きたいことは分かってるはずなのに流石はドS男爵…簡単に答えを教えてくれない。
いやそういう事ではないんですけど、と心の中で文句を言うと同時に肩に添えられた手の力が強まる。そのままさらに鬼灯様の方に身体を寄せるように肩を引かれたかと思うと、前方から耳に聞き覚えのある、しかし馴染みの無い低い声が届いた。そちらに目を向けると、気分の高ぶりからか頭から二本の角を生やし、獣姿に戻りつつある白澤様がまるで能面のような表情で立っている。その視線は鬼灯様ではなく、私を一直線に射抜く。その安穏とも騒乱ともとれる瞳と視線がかちあうと、身体に触れているのは鬼灯様のはずなのに、まるで身体が呪縛に掛けられたかのような錯覚を受けた。強張った身体を必死に動かし、せめて視線を逸らそうと足掻いているとそれすらも妨害するような、静謐かつ冷静な声が廊下に響く。

「やっぱりそいつと良い仲なんだね」

そういうと白澤様は感情の読めない顔で、何も嘘つかなくてもいいのに、とからかうような声色で呟いた。その無の表情と朗らかな声のアンバランスさが白澤様の異質感を引き立てる。
こんな白澤様は知らない。私とて白澤様の事を好いて下心満々で薬局に就職した身分だから、恥ずかしい話だが白澤様の事を結構気にしていたのだ。何が好きなのか、何が嫌いなのか、どんな女の子が好みか、得意な料理は何か、苦手な調合は何か。たくさんの良い所をあの長い長い時間で一つづつ知って、たくさんの嫌な所を一つづつ学んだ。けれど、目の前の彼はあの時間で知ったどの彼とも一致しない。惚れ込んだ女の子に見切りをつけられ、何年も落ち込んでいた時も、御上からの命で難関な調合を必死で研究していた時も、薬局の中でだらだら年寄り臭く過ごしていた時も。あんな顔は一度たりともしたことがないのだ。
白澤様から感じる、なんとも言い表しがたい圧迫感、威圧感から逃げたい。そう思った瞬間には私の手は無意識的に動き始めていた。



不本意ながら長らく付き合いのある白澤という神を知る人にその性質を問えば、おおよそ二言目にはこう返ってくる。『優しくて穏やかね』『恨みなんて一つもない人だよ』と。だというのにこの姿はそのどれにも当てはまらない。瞳孔を開き、まるで宿敵に向けるような視線を愛でる対象である“女”に向けるなど、こいつを知る人物が見れば目を疑う光景だろう。
しかし今まで馬鹿だ阿呆だと罵倒してきたが、今日改めてこいつの阿呆さを認識し直した。
名前さんとの間を物理的に邪魔すれば全身で不機嫌を表し、名前さんの肩を引けば抑えきれない神気が外に漏れ始める。その神気に名前さんが気圧されてもそんな事にも気付かない程に頭に血が昇る。
こんなに分かりやすいのに、こいつはなぜ何年も、いや何十年も名前さんをほったらかしておいたのだろうか。軽薄かつ軟派で女とみれば口説かずには居られない性質のこいつが、易々と入れ込んでいた女を逃がすなど。まさか本命には鈍いなんて王道、この年中色ボケ害獣が突っ走るとは夢にも思わなかった。
クソ爺の阿呆っぷりを一人再認識していると、隣に密着した名前さんの息が少しづつ荒くなり始めていることに気づく。そのリズムは不安定で過呼吸に近い状態だ。これは良くない。いい加減イライラしてる爺を鎮めようと口を開こうとした瞬間、頼りなくふらふらと動いた名前さんの指先がほんの少し、小指の先ほどだが私の服の端を摘んだ。チラリと腕の主に視線を向けると、彼女の視線は駄獣から外れていないにも関わらず、呼吸のリズムが心なしか落ちついてきている。先ほど手をつないだ時に空気が和らいだのも、あいつから庇った時の安堵の表情も偶然ではないらしい。残念でしたね、白澤さん。

「骨折り損でしたね」
「うるせぇよこの鬼風情が」
「その鬼風情に一杯食わされたあなたはよほどポンコツなんでしょうねぇ」
「何が言いたいんだよ」
「その山ほど付いてる眼で、今の状況をしっかり把握してください」

不機嫌さを隠しもせず、乱暴に言い捨てる駄獣によく見える様自分の右腕を上げると、その袖を摘んでいた名前さんの手も釣られるようにして持ち上がる。名前さんはようやく自分が私の袖を摘んでいた事に気付いたのか、ぽかんとした顔でまるで金魚草のように口をぱくぱくさせている。その姿は非常に間抜けだ。しかしなぜこんな鈍い妙な女に興味を持ってしまっただろうか。恋は盲目とはよく言ったものだ。
一方の白澤さんは、私の袖をみるや否や苦虫を噛み潰したような表情をしたかと思うと、こちらに一歩足を踏み出す。それに反応するように名前さんが身体を強張らせ、半歩こちらに歩み寄った。その反比例するような反応に思わず笑いが零れる。いい加減認めろよ知識の神様、女心の知識も豊富なんでしょう?



「あなたはお呼びでないんですよ」

そういうと鬼灯様は、時間が押しています、と言いながら私の手を再度取りなおした。それが存外優しげな手つきで少し驚く。そのまま鬼灯様は白澤様から背を向けるように方向を変えると、少し早足で門の方向に向かって歩み始めた。
鬼灯様に手をひかれながら壁に掛けられた時計を見ると、約束していた食事の時間が間近に迫っているではないか。約1時間も白澤様と問答していたのか、でも体感時間はそれ以上だったなと息のつまる先ほどの時間を思い出してゾッとする。
話を中断させる形で白澤様との会話を終了させてしまった訳だが、私に帰る意思が無い事は伝わっただろうか、それが不安だ。ほったらかしてきてしまったけど大丈夫かな、と上下に揺れる視界の中チラリと振り向くと、ギラリと瞳を揺らす白澤様と眼が合った。まるで獲物を狙う獣の様な視線に心拍数が跳ね上がる。
みなかった事にしよう、そう無理やり先ほどの記憶を頭から抹消させていると、握られている手の力が強まる。それに返事をするように、しっかり手を握り返すと、いつもの表情を少し柔らかくさせた鬼灯様が、今日はゆっくり過ごしましょう、と優しげな声色で言った。
やっぱり鬼灯様の近くは心地が良い。そう思いながら再度、少しだけ視線を後ろに向けると、そこには白い布切れが一枚落ちているだけだった。


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