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▼ 隠れる

とんとんと小気味よい音を立てる足音が、本丸の少し痛んだ廊下に響く。足音の主は髪を短く切りそろえた碧眼の青年だ。蒼い目を湛えた青年は、その柔らかな顔立ちをまるで般若の様に歪めたまま、ドシンと床を踏み鳴らすと、縁側で転がっていた薙刀に声をかけた。

「ねえ……名前さん見かけなかった?」

柔らかな声色とは程遠い、ややドスの利いた声で話しかけられたにも関わらず、顔色一つ変えないまま青年―――堀川に向き直った岩融は名前?と呟くと、カリカリと頬を掻く。

「うむ…そういえば先ほど、向こうで見かけた様な気がするが」

おぉい名前!と岩融のよく通る大声が掛ると同時に、そう遠くない所でガタンと大きな物音が一つ響いた。そこからすぐさまたたた、と男のものとは異なる軽やかな足音が耳に届く。
この本丸でこんな足音を立てるのは見た目が幼い短刀か、せいぜい鍛冶職人ぐらいのものだ。しかし短刀は揃って遠征に出かけているし、鍛冶職人は先ほど審神者に材料を手渡されているのを見たばかり。つまり、この足音の主は一人しかいない。
そこまで考えた堀川は、岩融へ礼を告げると小走り気味にそちらに足を進めた。一言物申さねば気が済まない、とばかりに。



これでも懸命に足を動かしているつもりなのだが、どうやら先ほどよりも距離が近い気がするのは気のせいではなさそうだ。やはり女と男とでは足の長さにも歩行スピードにも差が出るのだろう。
なんで兼さんと一緒の遠征じゃないんですか!と不満げに声を上げる堀川くんから逃げるためにも一層足の運びを早めているのだが、声が近くなるばかりでこのままでは逃げ切れそうにない。しかし、彼に捕まるのだけは絶対に回避したいところだ。今の堀川くんに捕まってみろ。小一時間どころか半日は、相棒の己をなぜ共に出さなかったかと、こんこんと文句を言い続けられる事請け合いだ。
大体、遠征のメンバーは主―――ここを纏める審神者が決めるのであって、私はそれを皆に伝達する雑用係なだけなのだ。幾ら私に文句を言い連ねようとも、主の決定は覆らないし、変更させるだけの権利も技量もない。つまり、私に文句を幾ら言おうが無駄なのだ。
とんだとばっちりだ、と名前がため息を吐きだしたと同時に、背後から聞こえる声が大きくなった。

「あっ居た!名前さん!ちょっと言いたいことが――」

ちょっと止まって下さい!と大声で呼び止める堀川の声につられるようにして名前が振り返ると、そこには本丸随一の美青年が鬼の形相をした恐ろしい光景が広がっていた。とてもじゃないが、『ちょっと』ではすみそうにない様子に、本格的に危機を察した名前は最後の力を振り絞り、全速力で廊下の角を曲がる。
廊下を曲がってしまえば、ほんの一瞬堀川の視界から消える事が出来る。その隙にどこか手ごろな部屋に逃げ込んでしまえばいいのだ。
ダダダダ、と恐ろしい音を立てて迫りくる堀川を一切振り返らず、全力で廊下を駆け抜けた名前は、廊下を曲がってすぐにある襖に手を掛けると、猛烈な勢いで部屋に転がり込んだ。

「ほんの少しの間匿って下さい!」

物凄い勢いで自室に転がり込んできた名前の姿を視界に収めた一振りの大太刀は、さらりとした黒髪を靡かせながらゆるりと振り向き、口を開いた。

「はあ、構いませんが…何事ですか?どうやらえらくあなたを探しているようですが」

その証拠に、少し遠くに「止まって下さい!」と叫ぶ堀川の声が聞こえる。
一方、呼び止められている名前はと言えば、小さな敷居に躓き、すてんと床に転がったまま肩で息をする有様だ。どう見ても逃走劇の真っただ中にしかみえない。
普段は比較的のんびりまったり過ごしている女のあまり見かけない姿に、少しだけ眉をつり上げた太郎太刀は、ふぅとため息をつきながら手入れをしていた御幣を横にずらした。

「主が堀川くんと兼さんを別々の遠征に出したから堀川くんが御立腹で…」

主が堀川と、次こそは和泉守と共に遠征に出す、と固く約束を交わしていたのは一月ほど前の事だ。連度も上がってきたし、大型の遠征の隊長に和泉守を、という話も上がっていた気がするが、その辺りは聞きかじっただけなので細かくは把握していない。しかし、あの場で確かに約束を交わしていたのは事実、そしてその場を私ががっちり見てしまっていたのも事実。
だからといってその場にいただけの私に文句を言いに来るのは筋違いだ、そう思いたい。
私じゃなく主に直談判してよ、とついつい口から愚痴を漏らすと、その一言で何となく状況を察したのであろう太郎さんが、あぁ、と呟きを漏らした。

「あの日は主も随分酔ってましたからね…」

次郎太刀が山のように主に酒を盛るから、とそこまで呟くと、何かを察したかのようにスッと立ち上がった太郎さんが、急に私の片腕を引っ張った。何事?と考える暇もないまま、手を引かれる方によろけると、視界一面が真っ黒に染まる。ああこれ、太郎さんの服だと思った時には、くるりと身体の向きを変えて座り込んだ太郎さんに引き摺られるまま、彼の足の間に正座してしまっていた。

「えっ…あれ?太郎さんこれは…もがっ」
「静かに」

何事ですか、と問う前に、籠手を装着した大きな手に口もとがすっぽりと覆われてしまっては言葉など発せない。もごもごと言葉にならない呻きを漏らす私を余所に、太郎さんは空いている片腕を私の腹部に移動させるとグッと引き寄せてきた。
より密着度が上がる事により、背中にじんわりと広がる体温に、頬に熱が集まる。ヒュ、と自身の喉が鳴る音が聞こえた。
驚きのあまり早鐘を鳴らす心臓の音しか耳に届かない。それほどに緊張した状況の中、腹に回された腕の力が強まる、と同時にサラサラとした長い黒髪が頬をくすぐった。髪がするすると頬を滑るくすぐったさに思わず身を捩ると、至近距離から、動かないように、と声が落とされる。

「彼が来ます」

しばし静かに、と太郎さんが小声で囁いたのが早いか、部屋の襖がスパーン!と開かれた。その音に驚く暇もなく、続けて怒りの滲み出た堀川くんの恐ろしい声が部屋に響き渡る。

「すみません…名前さんを、見かけませんでしたか?」

ここらで見失ったんです、と淡々と告げる堀川くんの声色は固い。
遠征問題とはまったく無関係の太郎さんに物を訪ねる手前だろうか、言葉遣いだけは綺麗なものであったが、言葉の端々から隠しきれない苛立ちが滲み出ている。恐らく当の本人は気付いていないのだろう。そりゃあそうだ、あれだけ楽しみにしていた遠征の約束を反故にされたのだから。
見つかるなかれ、と必死で息を詰めている名前を一瞥した太郎太刀は、名前を抱え込む腕の力を少しだけ強めると、自身の後ろで滲み出る怒りを隠しきれない堀川にむかって口を開いた。

「いえ。私はずっとここに居りましたので」

足音しか聞いてません、と告げれば、あからさまに落胆した様なため息が背中にかかる。急に名前がこのあたりで行方をくらましたものだから、どうせこの部屋に逃げ込んだのだろうと目星をつけていたのだろう。その予想は大当たりなのだが、それを彼に告げる必要はない。
日ごろから冗談や嘘をつく性質で無い事が幸いしたのか、太郎太刀の嘘をそっくり信じ込んだ堀川は、もぉぉ!と叫ぶなり髪をかき混ぜると肩を落とした。

「そうですか…見つけたら僕が探していたと伝えて下さいね!」
「ええ、わかりました」

そう太郎太刀が返すと、ここでの仕事は終わったとばかりに満足そうに一つ頷く堀川。そしてそのままくるりと踵を返すと、もうどこ行ったんだ!と大声で叫ぶなり襖を閉めることなく走り去った。まさに嵐ともいえる勢いで。

名前さーん!という堀川くんの呼び声が程遠くなった頃、ようやく安全になったと判断したのだろう、私の口もとを覆っていた手を離した太郎さんは、私の腹を圧迫していたその手も解放した。急に無くなった圧迫感に、すぅと勢いよく息を吸い込むと肩に入っていた力がスッと抜ける。堀川くんに追いかけられる鬼ごっこと、太郎さんとの半端ない密着度という二重の緊張感は、思ったより私の精神を削っていたようだ。
肩の重みを逃がすため、ぐるりと首を回すと、長い黒髪が再度頬を掠めた。

「どうやら撒けたようですよ」
「ありがとうございます…助かりました」
「私の体躯が役立つのは、こんな時くらいしかありませんからね」

そうどこか寂しげに呟く太郎さんは、確かに並ぶと圧巻と言えるほどの巨漢である。しかし、その長身とて、慣れてしまえば逆に抱擁感や安心感を得られるのだ。いうなら大樹の木陰みたいなものだろう。

「それだけ身長があると、どっしり構えてくれてるみたいで安心感があって好きです」

それに優しいし、と付け加えると、太郎さんは虚をつかれた様な表情を零した。
自分のコンプレックスは、余所から見れば意外と長所に見えたりするものだ。太郎さんが自分の体躯をどう思っているかは推して知るべしだが、個人的にはそこが好みだと言う事を告げることぐらいは罰は当たらないだろう。
バタバタと騒がしくした上に無断で部屋に転がり込み、挙句の果てには自分を匿えなどと好き勝手を言ったにも関わらず、黙って私を置いてくれた太郎さんにはしばらく頭が上がらない。
今度なにかお礼せねば。なにをすればいいだろうと思いながら、先程騒がしくしたお詫びと礼を告げ、部屋を後にしようとしたところで―――自分の影が大きな影と連なる。
急に自身に影がさした事に驚いた名前が後ろを振り返ると、そこには黒い大太刀が静かに佇んでいた。

「あなたは私が優しいといいますが、それは思い違いです」
「でも、急に転がり込んできた私を匿ってくれましたし、やっぱり優しいです」

これが大倶利伽羅だったりしたら、嫌そうな顔をしながらどっかに行けと言われたに違いない。そう考えると堀川くんに捕まりそうになったのが大太刀部屋付近でよかった。不幸中の幸いだな、と太郎さんの部屋に逃げ込んだ経緯をぼんやり思い返していると、ふいに頭に暖かな重みが掛る。
そっと頭上を見上げてみればそこには、困ったような顔をして私の頭に手を乗せる太郎さんの姿があった。

「…私とて相手は選びます。それとも、あなただから匿ったと言った方がいいんでしょうか」
「え…それってどういう、」
「言葉通りですよ、名前さん」

そういうなり太郎太刀は、ポカンと口を開けて放心している名前の頭の頭をぽんぽんと数度撫でると、通常時では恐らくしないであろう頬笑みを零す。そしてそのまま名前の手を取ると、驚きに身を震わせる名前を余所に、啄ばむ様な口づけを一つ落とす。そしてそのままその切れ長の瞳をスッと細めると、ポツリと呟いた。

「好きな時に逃げて来られるといい、何度でも」

あなたが好むこの図体で隠してあげますから、と呟く太郎さんの楽しげな表情が、やけに印象に残った。


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